1人の武将の人生
伊勢の国の戦国時代 あまり描かれない 隣の尾張国は、有名なのに。そこで描いて見た。
彼は、1560年伊勢の国 神戸 今の三重県鈴鹿市に生まれた。幼名は、みつ丸 父は、岸岡武兵衛。伊勢の大名北畠氏に使える家臣の神戸家の武士 武では、有名な武士で、神戸家では、朱槍を許された武士である。母は、神戸の商人 和菓子屋の娘 お香 この夫婦の1人息子がみつ丸である。
永禄3年(1560)5月、桶狭間で今川義元を討ち取った織田信長は、翌年、美濃の斎藤義龍が急死すると、美濃への本格的な侵攻を開始する。そして永禄10年(1567)、義龍の跡を継いだ龍興の居城である稲葉山城を攻め落とし、美濃を手中に収めた。信長は、美濃平定の前後から、併行して伊勢侵攻に取り掛かる。
当時、南伊勢は、南北朝時代から伊勢国司の座にある北畠氏が、中伊勢には長野氏、その北には関氏が勢力を張っていた一方、北伊勢では「北勢四十八家」と称される小規模豪族が、互いに対立と連合を繰り返していた。
永禄元年(1558)、伊勢国司・北畠具教は次男・具藤を長野氏の養嗣子に入れて和睦して以来、北畠氏と長野氏は友好を保っていた。 このような背景があるので、伊勢の国はなかなか意見がまとまらないまま時が進んでいた。