1章【予感】デモ隊編①
2015年3月。東京都府中市。
特殊部隊は、戦後進駐軍が通信基地として使用していた跡地を基地本部として利用し、活動していた。そんな本部にももうすぐ春の風物詩、桜の便りが届こうとしていた。気候は落ち着きを見せ、木々の幹からは花の芽が顔を出しつつある。
そんな穏やかな季節の訪れとは裏腹に、日本では近年政治的兼ね合い――特に、政府の安全政策に端を発したデモや暴動が首都圏を中心に頻発していた。
騒動の原因は、3年前に成立した秘密通信保護法だった。
秘密通信保護法とは昨今の世界情勢を踏まえて定められた法案だ。
この法案は多国間との機密情報の共有を主とし、その取扱いに関わる者、特に公務員を中心としたものに機密の持ち出しおよび口外を禁じるものである。もし反した場合には罰則を与えるという、傍から見たら半ば言論封殺にも見える法だ。表現の自由とは相対しかねない法案になるだろう。
しかし、この法がなければ文字通り日本は他国との緊密な情報交換もとれず、輪に入ることができないという国際問題も絡んでいた。
というのも、この法が成立するまでの日本は、同盟国アメリカにさえ機密情報を管理する法がないとして、世界の深い軍事機密についてなどは必要事項以外に伝えるのも避けられていたのだ。例に挙げれば、沖縄密約などの公開も、いかに日本が情報公開に開かれた国かが見て取れる。
昨今の日本人が国外でテロ・紛争に巻き込まれるケースも後を絶たないことから、人命救出のためや日々予断が許さない近隣諸国との利権をめぐる衝突を危惧しての法制化だった。
秘密通信保護法自体は国会で成立し歩き始めていたが、肝心の罰則規定や秘密の保管期限などについてはこれから関連法を作り定めるという状況であった。
そんな中特殊部隊は、政府の機密に関わる案件や事件に、自衛隊を主に公的機関と連携し日々事態収拾に当たっていた。
無論、自衛隊の後衛部隊として、暗躍する形となっているが。
朝8時。そんな特殊部隊の一日が始まろうとしていた。本部場内の至る所では早くに出勤してきた者や、夜勤の部隊員たちが行き交っている。
その一角に構える本隊舎。第7部隊司令官の木田敏一は特殊部隊総司令官に呼ばれ総司令室を訪れようとしていた。
「やばいなー、またやっちゃったよ。酒はしばらく禁止だな」
いつもと同じ守られることのない誓いを口にしながら、遅刻ではないにせよ余裕のない時間に押されつつ、木田は足早に向かっていた。
まだ酒の余韻が残る気がする頭を奮い立たせながら廊下を進んでいく。
やがて一つの部屋の前に辿り着くと、息を整える間も惜しいようにドアをノックした。
「失礼いたします。第7部隊司令官木田中佐参上しました」
ややあってから、ドアの向こうから低い声で返される。
「うん。入りたまえ」
ドアを開き中に入った木田は一礼すると部屋の中央あたりへと進む。部屋の中はアンティークな家具が並び、部屋の主の趣が感じられる。
「失礼します。お呼びでございますか」
軽い息切れをさせ小走りで来たことを伺わせる木田を、部屋の奥に置かれた年代物のデスク越しに、椅子の背もたれに少し寄りかかりつつ、目を細めて見る初老の男。
「木田、また昨夜は酒でも飲んでいたのか?」
ずばり言い当てられ思わず口元が引きつるように緩む木田。男はため息をつくと席から立ち上がり一喝した。
「ほどほどにするんだな。司令官という立場をプライベートでも意識することだ」
凛々しくも威厳の見られるこの男は特殊部隊総司令官岩下曹吾。この本部における最大権力者だ。
思わず背筋を正した木田をうなずきながら見ると、話を切り替えるように声のトーンを変えて話を続ける。
「先の潜入の任、ご苦労であったな」
「いえ。総司令官のご助力もあり、無事解決できました」
「警察との捜査を指すんじゃないのだから解決ではないだろう・・」
直立しながら口元を緩めながら答える木田にため息まじりに返す曹吾。
「まあよい。諸君の活躍により最悪の事態は免れむしろ潜入任務事態は成功したのだからな」
ついつい、部隊員二人に感化されるように答えてしまった木田は、まずいという表情を浮かべながら苦笑いした。今日まで3日ほどの休暇を取っていたためついかる口を滑らしてしまった。
「失礼いたしました。特殊部隊としての任務に全力を注いだまででございます」
取り繕う木田に、岩下曹吾はデスク引き出しよりファイルを取り出し開くなり、鋭い表情で木田を見つめた。
少し頼りなさげに慌てて姿勢を整えている木田を見つつ、強めにため息をつくと曹吾が口を開いた。
「ではさっそく本題に移ろう。――木田敏一中佐。本日付で、特殊部隊参謀長の職務に任じる」
「……?…」
曹吾の急な話の展開に今ひとつ遅れをとり、その言葉を頭の中で反芻させつつも、ぼうっとした表情を浮かべる木田。
「ん、んんっ!」
そこに曹吾がわざと咳払いをして、木田を現実世界へと引きずり戻した。
「えっ!わっ私が参謀長ですか?」
曹吾の咳払いに意識を取り戻す木田は、慌てて聞き直す。
参謀長とは、特殊部隊の作戦時ならび平時における部隊行動の取りまとめ役である。特殊部隊においては、この参謀長に作戦などにおいて行動の強制権はないものの、基本的な指揮系統の順序の中では総司令官の直下に当たる。つまり、実質特殊部隊におけるナンバー2だ。
第一部隊から第7部隊の中で最年少司令官である自身の、突然の昇格に驚きを隠せずにいた。
「そうだ。しばらくは第7部隊の司令官の任も兼務してもらうがね」
そんな木田を背に、窓から景色を眺めながら淡々と続ける曹吾。
「(俺が参謀長!この俺は参謀長!うっそマジー!?ええ~やばいじゃない~!!)」
思わず心の声に笑みがこぼれる木田。姿勢は正しているものの、今にもガッツポーズでもしそうな雰囲気だ。
そんな木田の心中を知ってか知らずか曹吾は振り返り、木田に向き直った。
「これまでの成果、そして前回作戦では見事な指揮対処を行い、無事成功というべき結果を収めた。ぜひ本部の方でも頑張ってもらいたい。お願いできるかね」
「はい!!若輩ものではありますが、この木田敏一天命を全うし職責にあたらせていただく所存であります!」
感動のあまり、よくわからない用語を言い放つ木田。だが、そこに木田のやる気を感じ取った曹吾は自身の選択は間違っていなかったと眼光をゆるめた。
「以上が呼び出した件だ。朝の忙しい時間にすまなかったな、引き続きしっかり頼むぞ。詳細については、後程追って指示する」
「承知いたしました。では、失礼いたします」
気持ちが弾む木田は、溢れそうな気持ちを溢れさせる為、早々に総司令官室を後にしようとぎりぎりの体裁を保ちつつ部屋を出る。
『バン…バン、バンッ…』
が、つい勢い良く閉めたドアは閉まらず、押し込むようにドアを閉め退室した。
戦中から使われている箇所も多く、部品が劣化している物が諸所にあるようだ。
その音を怪訝そうに聞きながら、木田への伝達事項を終え一日の始まりを前に、岩下曹吾は机上のパイプレストからパイプを拾い上げ、咥えて火を燈した。
時刻がもうすぐ10時を指すころ、特殊部隊本部へと出勤してきた部隊員たちで場内はざわめきはじめていた。
そして、ここ中央隊舎の第一会議室では、各部隊の司リーダーが一同に揃う定時連絡会議が開かれようとしていた。
10時直前。リーダー会議の筆頭をいつも務める安藤孝文第4部隊リーダーが、円形テーブルの中で入口から最も遠く上座にも取れる席から、席についた各部隊のリーダーの顔を見回すと、開会の宣言をした。
「おう。皆いいか。ぼちぼち定連会はじめっぞ。――真山、資料頼むわ」
「はいぃーっ!」
安藤の横に立ち控えていた第五部隊リーダー真山誠は、独特な甲高い声で返事をすると、やたらと俊敏な速さで資料を全員に配布する。そこまで大きなテーブルではない上にリーダーのみなので、進行とその補佐役を除くと5人しかいない。しかし全員に配り終え、元の位置へ戻るまでおよそ2秒足らず。異常に速い。
そんな風景にもすっかり慣れているのか、丸テーブルについた各リーダーは気に留めることもなく一様に「はい」とだけ答えると会議が始まった。
この定時連絡会は週の初め、つまり月曜日に定期的に行われ、各部隊が部隊の近況報告を行い情報共有を行う場だ。各隊はそれぞれ独自に任務を受けることが多いため、不透明なことが多いのがネックとなる。それを回避するために作られたのが、このリーダー会議というわけだ。ここで報告と合わせて、別隊への支援要請なども行われる。
第1部隊から始まった報告は順に第5部隊まで報告が終わり、最後に第7部隊の順が回ってきた。第7部隊は、唯一所属である部隊員二人が、三週間の特別休暇を取っており不在の状況であるため、代理に第7部隊司令官の木田が出席をしていた。リーダーが集まる会議の中では、少し異色な空気がそこには感じられた。
木田が報告をはじめると他部隊のリーダー同志でこそこそと話し声がきこえた
「第7部隊さすがだな。3週連続で会議に司令官送ってくるとはたいしたもんだ」
「いやいや一文字足りないぞ。たいした”もんだい”だ」
『ドンッ』
「うるせぇぞ。敏一が報告してんだろ」
安藤の机をこぶしで叩く音と怒声に、周囲が一瞬で静まり返った。木田はその光景を見つつも、真剣な表情を崩さず続ける。
「――以上となります。皆には迷惑をかけるが、一つ。第7をよろしく頼みます」
木田はそう締めくくり、椅子へ腰を下ろした。
すべての報告、連絡が終わり簡単な質疑応答が済まされると、全員が起立し会は終了となった。各自部隊室に戻るべく会議室を退室していく。そこで木田は退室しようとする安藤を後ろから呼び止めた。
「安藤くん。さっきはどうも」
照れ笑いを浮かべながら会議中のざわつきを静止してくれた安藤に礼を述べた。
「おぅ。そういやあいつら帰ってくるの明日だっけな?」
「ああ」
うなずきともため息とも取れる声で答える。しかし口元は微笑んでいた。
「問題児のご帰還だ」
翌日。特殊部隊第7部隊室前の廊下。
『問題児』の二人はそんなことが合ったと露知らず、久しぶりの特殊部隊本部へ出勤し、休暇中の土産話を楽しそうにしながら部隊室へ向かおうとしている。
第7部隊リーダー柄沢浚並びに第7部隊隊員の岩下結城の声が廊下にきこえていた。第7部隊室へと向かう道中他愛もない会話を交わす二人。
「いやー。あれは完全に惜しかったわ」
岩下は歩きを途中で止め、ジェスチャーを交えながら休暇中の出来事を柄沢に伝える。
「毎回思うんだがな、相手は君の事はなんら意識してないと思うんだが・・」
岩下の話に相槌を打つも、いつもの勘違い恋バナに、あきれながら返答しながら歩を進めていく。
不意に、岩下が足を止めてため息をつきながら首を横に振ってみせた。
「夢のないやろうだな。人生で一度は右脳使ってみなよ」
岩下のおちょくりに足を止め、振り返った柄沢はすかさず返す。
「右脳だって使ってますよ!左脳だけでどう生きていくんだ、えっ?」
そんな柄沢に対して岩下は再び歩き始め、追い越して首を振りながら先を歩いていく。
「生きてくとかゆう話じゃなくてさ、恋、恋なのよ」
そんなやりとりをしているうちに、二人は第7部隊部室前に辿りついた。
部隊室を前に話を区切らせになり、一呼吸をおいた二人。柄沢がリーダーとして、といったように緩やかにノックしようと手を持ち上げようとすると、それを追い越して岩下がすばやくドアをノックした。
「っとと――柄沢中尉、岩下中尉。入ります!」
柄沢が慌ててドアの先にいるであろう上官に向け言うが、返事は来ず。いつもであれば「おう。入れ!」など司令官の木田らしい明るく親しみを持てる声が飛んでくるはずが、来ない。この状況に顔を見合わせる二人。
自分たちが戻ってくる時間も当然知っているはずで、それに彼のことだ。その時間に合わせて部屋で待機して、出迎えようとするはずだ。
しばらくすると、代わりに中から高めの、甘い口調の女声が返ってきた。
「はーい!どうぞー」
岩下が首を傾げながらドアを開け、二人は部隊室へと入った。
すると、三人のデスクとは別に応接用に用意されたソファーに腰掛けている、茶髪で巻き髪の、見かけはコギャルかと突っ込みたくなる姿の、タイトスカートの女性がお菓子をほお張りながらお茶をしていた。
彼女は結崎結城、通称『ゆいゆい』。防衛省の事務官官僚であり、特殊部隊と防衛省の連絡業務を担うものとしてその間を行き来している。第7部隊とは任務で情報共有をするなどといったことも多く、そのため第7部隊室によく現れるのだ。
「久しぶりだな。ゆいゆい」
その姿を見て柄沢は安堵の表情を浮かべ語りかけた。
「なんだ。ゆいゆいかよ。期待しちまったわ」
岩下は、廊下での話で出てきた女性じゃなかったのかとばりにぶっきらぼうに答えると、自らのデスクに座り引き出しの中身を見始めた。
「久しぶりね。浚ちゃん」
柄沢へとにこやかに挨拶するなり、岩下に詰め寄るとにらみつける。
「ちょっと、何よ、ゆいゆいかよって。誰がよかったのよ」
岩下は引き出しを見ていた目を、眉を吊り上げた結崎に向けると、慌てて答える。
「いやいや。誰ってないんだけど。いやーゆいちゃん久しぶりだね」
苦笑いを浮かべながら答える岩下を、細目でじっと見てからむすっとしたまま元いた場所に戻る結崎。
そんなやり取りを微笑みながら眺め、自席に着こうとする柄沢だったが、ふと自席の斜め左前、入り口の真正面に位置する司令官の机に目が行く。
「うん?机が綺麗になっているな」
普段は印鑑を求めた資料や関係書籍、お菓子のあき袋が鎮座する司令官の机が、主を失ったかのごとく綺麗さっぱり何も無くなっていることに気づく。
柄沢と同じく机へ目をやる岩下。机の上を少しの間眺めていると、ゆっくりと口を開いた。
「そうか・・・。木田ちゃん切られちゃったのか。留守の間に何したのかしらないけどこれからだってのに」
哀れみを全身から募らせつつつぶやくと席を立ち上がり、お茶をすすりながらケータイをいじる結崎の座る、ソファー前のテーブルに置いてある花瓶を取りに向かう。
柄沢は顎に手を置き、そんな岩下を遠目に見つめながら考え込むそぶりをする。と同時に、部隊室のドアが開き、木田が顔を見せた。
「おぉ。二人ともご苦労。てか、久しぶりだなー!休暇はどうだった?!」
3週間ぶりの再会。木田はそんな再会を喜びうれしそうに語りかけた。
が、そんな明るい声が部隊室に響くも、帰ってくる言葉は無い。代わりに結崎のお茶をすする音が静かに響き渡る。
「木田ちゃん・・・。忘れ物かい?」
「は?」
再び沈黙の時が流れ、結崎のお茶をすする音が響き渡る。
木田は疑問をうかべ、岩下へと目を凝らす。そこでテーブルから移動中の花瓶と、彼の先にある自分の机が目に写り慌てて岩下の傍へと駆け寄り花瓶を引っ手繰ると、近くの柄沢の机へととりあえず置く。
「やめろやめろ、花を置こうとするな花を!」
岩下は、木田を見つめ悲しげな表情を浮かべた。
「だって木田ちゃんさ。せめて何かしてあげたかったのよ」
「なんでそうなるんだ・・・。あっ。さてはお前何か勘違いしてるな」
岩下の妙な言動に、自分が第7部隊を追われたと勘違いされていると察知した木田。しかし、岩下はそれに気づくどころか、窓の外を眺めながらつぶやく。
「桜が綺麗に咲いてきたな。卒業シーズンか」
再度、妙な沈黙が流れる。柄沢は岩下の目線の先の木を見る。
「いや・・。あれは梅だわ」
柄沢の訂正を無視し物思いにふけ、言葉を続ける岩下。
「木田ちゃん。あんたの胸から勲章が消えて、弦だけになっちまっても俺らにとって第7部隊にとっての勲章は永遠だぜ」
眩しい日差しを一身に受けつつ語る岩下。周囲も一瞬は岩下のように木田が特殊部隊を去ったものと思っていたが、入ってきた木田の身なりを見るなりこの事態に察しはついていた。眩しい男以外は。
「だから。首にもなってないし卒業もしてないから!これをよく見ろ、これを」
木田は自身の制服とそのモールを指差した。
「大丈夫、俺には見えるよ・・。木田ちゃん」
何を言っても姿勢を崩さない岩下に、もはや目を細めあきれ具合で見つめる木田に、ソファーの方から助け舟が流れてきた。
「トッシー、参謀長に出世したんだもんね」
結崎は机の上に置かれたお菓子の小鉢に手を伸ばしながら言う。その言葉に木田は強くうなづいて答える。
「そうそう。ってゆいちゃん。居たのはわかってたけど何でメール返してくれないの」
「何でいるのじゃなくてメールか・・」
若干ずれている言葉に、ため息をつく柄沢。
そして岩下はというと、このやり取りに眉根を吊り上げいまいち何の話なのかぴんと来ない様子。しばらく考えこんだ末、何かがひらめいたのか口を開いた。
「サンポール長。掃除の責任者かなんかかい?!」
さすがにわざとだとわかったので、木田は冷静に返す。
「そこまで徹底してボケるな。――結崎さんの言うとおり、先日付けで参謀長の職務を与えられた」
「……って、何!?」
岩下はまた現れた新しい単語にますます困惑し、作り笑顔を浮かべながら柄沢に尋ねる。
柄沢は花瓶を司令官のデスクに動かすと、かすかにため息をついて説明を始める。
「端的にゆうと特殊部隊の作戦指揮を執り行う人物のことだ。現場へ流す指示を立案決定する作戦会議、これを仕切るのが仕事だ。事務方のトップで作戦指揮においての位は、総司令官の直下に当たる」
ハキハキと説明をする柄沢にうなづきつつ、木田に目を向ける岩下。
「はあ~・・。総司令官の直下とは・・・」
そんなことよくやるなとばかりの嫌そうな表情を浮かべ、まじまじと木田を見る。それに対してドヤ顔の木田から柄沢に向き直る。
「コレで本当に大丈夫かね?」
「上官に向かってコレ呼ばわりするな!まったく、普通の部隊なら給与引き下げか体力訓練のフルコースものだぞ・・・」
岩下の発言に頭を抱える木田。そのやり取りを微笑ましく見ていた柄沢。
「しかしながら、参謀長へとは大出世じゃないですか。」
柄沢はそう言って木田を持ち上げて見せた。柄沢のヨイショに再び口元が緩む木田。
「いやいや。どうやら前回の作戦が評価されたようでな。昨日、総司令官とお顔を合わせた際に頼むと言われてさ」
「ってことは俺たちのおかげじゃん」
間髪いれずひらめいたように岩下が言う。その言葉に周囲が頷く。その空気を感じ見回しながら木田、眉根を下げる。
「ん。ま、まあ。そうとも言えるな」
木田は、司令官でありながら日頃から忠実に頑張る第7部隊二人には助けられていると実感しつつも、感謝をいう機会がなかったこともあり、照れくさがりながらも感謝の意をこめ言った。それを聞いたのか聞いてないのか次への展開の素早い岩下。一変して明るい声で提案をする。
「なら、お祝いだな!昇進祝いってことで!んでもって今日のディナーは木田ちゃんのおごりだな」
「待て、なんで昇進したやつがおごらないとならないんだ」
木田が岩下へ突っかかろうとするところで、岩下にかき回された話を元に戻すべく、柄沢が話に割って入った。
「それはそうと司令の栄転でこの部隊の司令官職はどうなるんです?」
柄沢の問いに岩下がにやつきはじめた。
「ふんふん。浚ちゃんがスライドってわけね。そうだろ木田ちゃん?」
岩下の言葉に、困った表情を浮かべながら木田は腕を組んでみせる。
「そういきたいところなんだがな。しばらくは俺が兼任することになったんだ。」
「両方やるんかい。あんたも欲張りだな」
「欲張りってどうゆうこった。俺としてもできるなら参謀長は大役だ、仕事をちゃんと担えるように専任になりたいさ」
木田は自分もその任に異議があると苛立ちを見せる。しかしこの言葉にソファーに座っていた結崎が声を上げてきた。
「トッシーひどい!第7部隊のおかげで出世したところもあるでしょ!大切にしなきゃ駄目じゃない!」
再び困った表情を浮かべる木田。
「ゆいちゃん。そうゆう意味じゃないなくてさ・・・」
その一連のやりとりから、しばらくの第7部隊の行く末を察知した柄沢は安心した。
「そうですか。しばらくは司令、大変になりますね」
この第7部隊は墓場部隊と呼ばれ、各部隊で不必要・異端児と呼ばれたものが集められて作られた。二人が入ったのは、それから少ししてからだ。それから二年ほどの間、就任する司令官は問題のある人物が就任したりとその資質が疑われる者ばかりで、結局事態打開のため追い出しを繰り返した。その末、木田の就任によってやっと部隊らしい活動ができるようになり、柄沢・岩下の二人は部隊員として力を発揮し活躍できるようになっていた。
とはいえ仕事といっても、他部隊とは異なり定期的な任務もなく、たまに総司令官直々から発せられる仕事がある程度だ。それもあり存続を常に危ぶまれていただけに、柄沢が司令官木田の出世によっていよいよ解散かと危惧していたからだ。
何より、この部隊が成り立っているのは、木田が周囲の部隊とうまくやり取りを行い、信頼を得ているからだ。そうでなければ墓場部隊に活躍の場などほとんどなく、汚名返上の機会すら持てない。
「浚ちゃん、次期だね。よかったね!」
岩下はそんな柄沢を祭り上げるようにいう。しかし柄沢は、自身のまだ足りていない、いや取り戻さなければならないものをわかっていたため、素直に受け答えることができなかった。
「岩下。上に立つというのは大変な責任なんだよ。今の俺には無理だ」
柄沢は、本来なら上昇志向の高い人物だが、この場では消極的に答える。この柄沢の言葉に、周囲は岩下が爆弾に火を点火してしまったと冷たい空気が流れた。
柄沢はある事件をきっかけに自信を欠いてしまっていて、特に強い責任のかかる事柄については、積極的になれなかった。そしてそれが、先ほどの言葉を言わせていた。
岩下の言葉に不穏な空気が流れる第7部隊室。それに気づいた柄沢はうつむき加減になっていた顔を上げて周囲を見た。
「いや・・。俺はまだ未熟者だしさ。そ、そんなことより俺の後に就くリーダーとして、岩下を一人前にしなきゃさ」
柄沢は空気を察したのか、普段は口にしない言葉使いで周囲に気を使う。
休暇前に受けた大規模な任務。その前であれば外の空気でも吸いに外に出たりして、一拍置いていたからだ。そこから変わり、他人を気遣い、そして自分の殻と向き合おうとする柄沢の一歩に、周囲は心の中でほほえましく思いつつ、態度では見せぬよう振舞う。
「ゆうたん。まだ子供だからね。一人立ちにはまだまだかな?」
「おい。お子様みたいなこと言うなや」
「全く浚の言うとおりだ。岩下!自分のことを気にし、そして意識しろ!」
木田の言葉にむっとする岩下。
「木田、うるせぇぞ」
「コラッ!今度は上官に向かって呼び捨てか!」
怒鳴りながら、笑みを浮かべて岩下につかみ掛かりくすぐる木田。そんな彼らの気遣いに、柄沢もまた静かに笑みを浮かべていた。
長い休暇を経て、木田の立場が変わろうと、この第7部隊は変わらない空気でいた。
その時、司令官デスクの電話が鳴った。木田は岩下から離れると、受話器を手にする。
「はい!こちら第7部隊室。はっはい、はい。――すぐに」
受け答え、電話を切る木田。
「よしっ!柄沢、岩下。出動命令だ」
『はっ!』
電話を切るなり発した鋭い声に、二人は間髪入れず返答する。3人の表情は、先ほどと打って変わり、すでにプロの持つ真剣な表情へと変わっていた。木田がその二人に檄を飛ばす。
「表参道に急行!デモ行進を警察と共に護衛しろ」
「えっ!デモ隊を守るんかい?!それ特殊部隊の仕事か」
岩下の問いに木田は頷くと、柄沢へと目を向ける。
「ああ。詳しいことは――浚、追って連絡する。ともかくそのデモってのが今一部で話題のリーフの会のデモ行進だ」
「リーフの会…!わかりました。岩下、行くぞっ!」
リーフの会。このワードに、木田と柄沢はただならぬ予感を感じていた。結崎も口を引き締めて様子を見守っている。
「ブリーフ?パンツ?!」
岩下、約一名以外は。
「パンツじゃない。まぁとにかくいくぞっ!」
柄沢に促されるままに、岩下は共に部隊室を後にした。廊下へと出て行った二人の――もとい一人の言い間違いを言い続ける言葉が、徐々に聞こえなくなっていく。
二人がいなくなり、とたんに静かな空気を取り戻した部隊室。そこに残った木田と結崎の二人。木田が結崎へと振り向く。
「ねぇ。ゆいちゃん!どうしてメール返してくれないの?!」
「えぇー。ちゃんと返してるじゃない。朝はおはよ(はあと)夜はおやすみって送ってるでしょ」
「それじゃ。ただの挨拶じゃん。僕が愛してるよとか、大好きだよとか送ってるのに返してくれないじゃない」
木田は先ほど二人と話していた言葉や表情とは異なり、楽しげに結崎へと話しかける。
この会話から気付けるように、二人は付き合っているのである。見て取れるように少々…というより、大分木田の方が入れ込んでいるのはいうまでもない。
そもそもの二人の出会いは結崎が防衛省より特殊部隊に出向していたときに、木田が一目ぼれしたところから始まっているのだが、多くを語られる日が来るかはわからない。
「あっ!こんな時間。じゃあトッシー。いえ、木田参謀長!私は失礼します」
そう言ってそっけなくではなく、木田に優しい微笑みを見せて結崎も部隊室を後にした。
「全く・・・」
一人残された木田は、女心の難しさをひしひしと感じる。入室時のさっきとは一変。もやもやとした心境に包まれた。
「俺は、まだ半人前だな。――ゆいちゃん」
そうひとり言をつぶやく。常に前向きな姿勢なのが、この男の良いところだ。
再び司令官デスク上の電話が鳴った。木田は物思いにふけっていた余韻のまま電話に出る。
「はぁい。木田です」
「わたしだ。・・・大丈夫か・・・」
「あっ。大丈夫です」
総司令官の声に正気に戻り、いつもの木田敏一で返答した。
「先ほどの件だが・・・」
曹吾はそう前置くと、木田へと話を始めた。