ボクトダレカ
たまごが先か、にわとりが先か。
考えていると熱を出しそうなジレンマである。
そういえば彼が生きているとき、こんなことがあった。
「君はこれをどう思う」
彼は掌に卵をひとつ、乗せていた。生なのか、茹でているのか、弁当の付け合わせなのか、それとも懐で暖めているのか。
「ただの卵だな。色は白い。ところで茶色だと栄養価が高いと聞くがそれは本当かねえ」
「そうか、君にもこれが見えるのか」
「……」
そうなのだ。たびたびこういうものを見せてくる。通常、人には見えないなにか。僕たちはその見えないなにかに繋がれて、こうしてつるんでいるといっても過言ではない。僕はといえばその繋がりが割合、心地良かったのだが、彼はそれをぶち壊しに、こうして怪異を見せびらかしてくるのだ。今回は、この卵。僕にも触れることができた。
「どうするんだ、これを」
「割るのだよ」
さも当然というように、彼は僕の机に卵をカンと叩きつけ、ノートが開かれているその上に卵を落としていた。
べたり。
ノートの上に広がったのは、黄色い黄身ではなく、ぐったりとした雛だ。雛、といえるのかどうかさえ怪しい。目玉は大きく肥大しているくせ、頭が妙に縮んでいる。羽根になるであろう部分は左右の形が違っていたし、随所、骨が見えていた。死んでいることは明らかだ。――というより、この卵からして幽霊なのだから、死んでいるのは当たり前。
「有精卵の幽霊」
「食べるかい? 久保」
「要らん。誰が食べるか、こんなおぞましい」
ノートの上から手で払いどかし、死んだ幽霊(ひどい矛盾だ)を教室の床へと落とした。質感がリアルだ。手の甲には白身のような液体がくっついてしまった。
「ちなみに俺は食べたがな」
「なに」
「自宅の冷蔵庫の前に、ふたぁつ落ちていたのだ。姉がね、卵をたんまり貰ってきたようで。押しつけられたそうなのだが……その中に混ざっていたんだろう」
「ケーキ屋にでもなるつもりか、お前の姉は」
「お陰で昨日の夜も今日の朝もショートケーキさ。なあ、久保。これはヒギョウさまの成り損ないだと思っている。言わし鶏ともいうそうな」
「十二時と二十四時に殺す卵のことか」
「そうさ」
「そんな不気味なものを食べたのか」
「霊だからな。なかなかに、美味だったんだ。ヒギョウさま、それが生きて逃げ出したのならば人が死ぬのだという。死骸なら問題あるまい」
つくづく頭のおかしい男だとは思っていたが、ここまでだとは思ってはいなかった。もしや僕がいま床に落とした成り損ないも、食べさせるつもりで持ってきたのだろうか。何を馬鹿な、そこまで僕は悪食ではないと床を見下げる。既に死骸はいなかった。手のぬるつきもいつのまにか無くなっている。そういうものなのだ。彼の胃の中からも、いつの間にか消えているのか。思えばこの出来事も、彼を死に追いやった要因のひとつなのかもしれない。
「さて、昼休みは短いぞ。机を合わせよう」
からからと笑う彼の顔を、僕は社会人になった今でも思い出すことができない。名前さえも。その瞼さえも。うっすら残る彼の、にやと笑う唇の形だけは、時折ぱっと頭に浮かぶのだ。
「今度は生きているヒギョウさまを食べてみたい。今週は暇か」
「養鶏場に行くような暇は持ち合わせていない」
合わせた机。彼の手の中で広げられた、プラスチックの箱の中は、おそろしいほどに黄色しかなかった。