22 焦った
ランデル王国王太子ベリウス様とロザリエ姫との正式な婚約が発表されたのは、それからまた一ヶ月以上経った後の事でした。
「結婚契約書の条件なんかは、まだまだ両者とも利益の引っ張り合いが続いているけど、お二方が公的に婚約者として認められたのは確かだね。結婚式はランデル王国で執り行われるけど、その前に王太子殿下を招いて祝宴や舞踏会などをイストリアで開くから、王城の関係各所も忙しくなるよ」
「なるほど、お城が賑やかになるはずですねアイザック先生」
嫁入りするロザリエ姫の嫁入り準備は勿論、嫁入りする時の警備騎士団の編成、政略結婚に対する周辺各国の動き、ベリウス王太子の人となり等々が、イストリア城内ではそこかしこで噂になっています。
たむろっている女官達の横を、少しゆっくりと歩いて耳を澄ませるだけで、ベリウス王太子の御母上とランデル国王の恋愛エピソードまで漏れ聞こえたりするので、ちょっと楽しいです。癖にしてはいけないのでしょうけど。
「アイザック先生達王宮付魔道師も、忙しくなりますか?」
「なるねぇ。毒や呪い避けは魔道師の仕事だから、警備の騎士団と連携して大忙しだ。……それに忙しくなると、疲労で体調を崩す人達も出て来るし」
アイザック先生は言うと、煮詰めていた小さな鍋の火を止め、木べらでそれをかき混ぜます。
煮詰めている薬は、私がざっと成分分析しても効果がある事が判る、のどの腫れを抑える薬です。……やっぱりこの世界の魔法は、旧文明の医療や薬学の知識をある程度継承していますね。そこに魔力という、不確定要素が加わるのですが。
「よしよし。作り置きできた。忙しくなると、喉を痛める女官が多いんだよね」
「ご苦労様です。……ロザリエ姫もご多忙なので、体調不良になってこういった薬が必要にならないか、心配ですね」
「周囲からも心配されて、あまり外にも出してもらえないらしいね。あの活動的な姫には苦行だろうが……しかし、妙な噂をばらまく輩に付け込まれるわけにもいかないから、仕方がないね」
「妙な噂、ですか? やっぱり結婚させたくない、ヨアヒム王子一派が?」
「そのようだね。急に、姫のよろしくない噂が流れ出したらしい」
情報戦ですか? いやらしいなぁ。
「例えば『イストリアの姫はがさつな乱暴者にして自由奔放。性的にも放埒淫蕩で、所属していた騎士団の男達を大勢侍らせ、皆とただならぬ関係に耽っている』……とかね」
「乱暴云々はともかく、性的アレコレは信じられないんですが……」
ロザリエ姫の性格もですが、なにより姫の所属してた騎士隊って、定年間際のお爺さんが大多数だったじゃないですか。あそこで逆ハーレム?
妻子どころか孫までいる男性を大勢お相手にしたいなんて、普通に考えて十代後半の女の子が求めるものとは違うでしょう。まぁ、そういう年上趣味の女性は確かにいるんでしょうが。
「勿論純潔を保つ価値を理解してる彼女の身持ちが緩いなんてありえないよ。でもそういう下卑た醜聞は、広めようとすると信憑性のいかんに関わらず、あっという間だしね」
でしょうねぇ。旧文明時代氾濫していたマスゴミが作っていたデマ記事を思い出せば、判ります。
「ロザリエ姫は大丈夫なんですか? ランデル側が耳にして、気にしたりとかは……」
「ああ、『それとなく』、ランデル側にその噂を伝えたヤツはいたけどね」
あのガマガエル……エボラ魔道師長の手の者ですかねぇ……。
「大丈夫。ランデル側が非情に冷静な態度だったんで、大きな問題にはならなかった」
「本当ですか?」
「うん。話を聞かされたランデルの高官は、不思議そうな顔でこう答えたんだそうだ」
―ロザリエ姫が活動的な御方なのは存じ上げておりますが―
―性的に奔放、などという話は、ランデルの調査には一切浮かんでおりませんね―
―これは是非、噂の火元を突き止めなければなりません―
―もしその噂が両国の婚姻を壊すためのデマならば、国益を損なう悪意です―
―国家の威信にかけて、悪意には報復で返さなくてはなりません―
―……そうですね―
―もし貴方が悪意を持って噂を流した発信元であるならば―
― 一族郎党血の粛清を覚悟いただきましょう―
―未来の王太子妃に対する侮辱を、我らランデルは絶対に許しません―
「――って感じで恐ろしい獅子頭獣人の高官に淡々と脅された、某イストリア貴族は」
―た、ただの悪意に満ちた噂です!! 私も全くの嘘だと思います!! 本当です!!―
「と真っ青になって前言撤回して、逃げ去ったんだって」
「弱いですねー」
「ははは。多分その某貴族も、ランデル側が、自信を持ってロザリエ姫を擁護できるほどがっちり身辺調査しているとは、思わなかったんじゃないかな」
「普通はそんなに調査しないんですか?」
「国の利害が最優先で、結婚相手そのものは詳しく調べてない所もあるよ。そういういいかげんな国ほど、姦通疑惑なんか湧くと簡単に結婚相手を疑ったりね」
「なるほど、ランデル王国はいいかげんではなかったんですね」
「王位が盤石とは言い難い、立場の低い王太子の嫁だからね。随分慎重に調査吟味を重ねていたらしい」
「……」
慎重に吟味した結果が、ロザリエ姫……という事は。
「か弱い深窓の令嬢は、お断りという事ですか」
「だね。ベリウス王太子殿下は、嫁の好みを父王に聞かれて、こう言ってたそうだよ」
―王太子妃ですか……そうですね。容姿や種族に文句は言いませんが―
―いつ継母の現王妃派に、クーデター起こされるか判りませんし―
―いざという時、子供を守って城から脱出できるような、強く頼もしい女性が良いです―
「お姫様にそれって……ハードル高くありませんか?」
「それで候補の七割は、削られたらしいね」
「むしろ三割残ったのが驚きですよ」
体育会系の姫君、結構いるんでしょうか。
「体力勝負ばかりじゃないよ。交渉術とか毒薬知識とか国内外情勢とか占術とか。所謂、『いざというときのために』、を教育されている姫君は少なくない」
「占いまで……お姫様稼業も、楽ではないんですねぇ」
「ロザリエ姫は、そんな苦労を顔に出さず笑っていられる子だけどね。……彼女なら、苦労しているベリウス王太子殿下の支えになれるだろう」
まだ暖かい喉の薬を空瓶に移しながらそう言うと、アイザック先生は微かに目を細め笑いました。
「……」
ロザリエ姫の結婚話が本格的になり出してから、そんな表情をなさる事が増えたような気がします。
「……彼女を気に入った、ベリウス様は見る目があると思うよ」
「私も、そう思います。……」
「……ん? どうかした?」
「……いえ。そういえば、フータンはどうするのかと思って」
「あの子はロザリエに従属しているからね。まだ解放されていない以上、当然ロザリエ姫についていくだろう」
「そうですか……益々寂しくなりますね」
「君達結構仲良くなってたもんね」
「……」
ロザリエ姫の事を思い出しておられるアイザック先生は、あの方を思い出します。
思い出となる女性というのは、何故男性をああも捉えて離さないのでしょうね。
「さて……次は腰痛用の湿布薬を作るよサクラさん」
「了解しました、アイザック先生」
……側に在る私には、そんな魅力は無いのに。
「すり鉢重いから気を付けて」
「はい」
……仕方が無いんですけど。……なんだかやっぱり、モヤモヤします。はぁ。
そんなすっきりしないまま仕事していた私の邪魔をしたのは、フータンでした。
【おーいサクラっ。相変わらずチビぃなっ】
「なんだフータンですか。貴方こそ益々縮んだんじゃないですか? 半分くらいに」
【縮んでねーよ?! こ、怖い事言うな!!】
「怖い事?」
【俺達みたいな精霊や妖精は、死期が近づくと小さくなって消えていくんだよっ!!】
「ほう、それは知りませんでした。良い脅し文句を知りましたね」
【てめーは!!】
クソチビ!! とわめいてフータンは空中で一回転します。
失礼な。チビ呼ばわりしなければこちらも言い返しませんのに。
【……オイラも、ロザリエと一緒にランデルへ行くからなっ】
「はい、聞いてます。お別れするのは寂しいですよ」
【ふっ、ふんっ! 俺は全然寂しくないんだぜっ。こんな国大嫌いだしっ。お前の顔見なくて清々するしっ。……屋台で食べ損なったのは、残念だけどっ】
どうやら彼(?)なりに、この国で良い思い出が出来たようですね。
出会った頃の尖った様子を考えると、少しだけ安堵します。ランデルは人外王国ですし、あっちでうまくやっていく事を祈ってますよ、フータン。
【ま、まぁすぐ隣の国だしっ、俺は飛べるしっ、気が向いたら遊びに来てやっても良いんだぞっ】
「そうですか、ではお掃除道具を用意して待ってますね」
【また手伝わせる気かよ!!】
「使えるものは親でも使うのが、就業効率アップの第一歩です」
【本当にかわいくねーなっ!! ロザリエだって、婚約者に会ってる時は可愛く喋ってるのにっ!!】
「おや、ベリウス王太子殿下は、こちらにいらしてるのですか?」
【今いるぞ。王サマと王妃サマの私室で、ロザリエと一緒に挨拶してる】
「ああ、御両親挨拶もやるんですね」
病床の王様は、将来の娘婿ベリウス様を、どう見られるでしょうか。
【それで俺は暇だから、ロザリエの私室から出てきた】
「コラ、勝手にダメでしょう」
【へーきだぜっ。今は女官も出払ってて、誰もいないんだぜっ。帰ってくるまでに戻れば問題なーしっ】
監視カメラ的なものが無いなら、いいんですけどねぇ。
【ってわけで、これやるっ】
「ん、なんですかこれ?」
空中のフータンが、背中に背負ったブータンから意気揚々と取り出したのは、小さな可愛い紙の箱でした。
「あら、可愛い。……キャンディーですか?」
中にはセロファン紙のような薄紙で包まれた、小さな球体がいくつも入っています。……花の蜜のような、良い香りがしますね。
【へへんっ。ロザリエの部屋からパクってきたんだっ】
「こら、泥棒はだめですよ」
【大丈夫大丈夫っ。まだロザリエ知らねぇもん。――これ部屋に誰もいない時に、入って来た女官が、沢山の贈り物と一緒に運んで来た物なんだ】
「贈り物?」
【婚約祝いで、毎日沢山運ばれてくるんだぜっ。これ一個くらい無くなったって平気さっ】
クルクル、と宙返りしながらそう言うと、フータンは箱の中から一つ盗ってしまいました。こらこら。
「贈り物という事は、贈り主がおられるのでしょう。贈ったはずのプレゼントが届いていなかったら、大変ですよっ」
【どうせキャンディーなんて、他沢山の贈り物のおまけだろ~。贈り主の名前入りメッセージカードだけ渡しておけば、大丈夫大丈夫】
「全然大丈夫じゃありませんからね。一粒一万円の超高級美容サプリとかだったらどうするんですか……――」
とりあえずもう渡さないように手でガードしながら、私は箱の中を確かめます。
……うん。箱の密度からして、一粒くらいなくなっても大丈夫そうではありますね。
……え?
【わーいっ。いっただきま~すっ】
「……」
箱に入っていた小さなメッセージカード。
私は思わずそれを思わず凝視してしまいます。
……何故アイザック先生のお名前が?
「こんなものを渡した記憶など、一応弟子の私にも全く無いのですが――」
【……あれ?】
「……フータン?」
【……なんだか……力が……苦しい……――】
「フータン……フータン?!」
トサリ、と軽い音を立てて、フータンが地面に落ち倒れました。
「フータンしっかりしてください!! ――これは――」
【……】
まさか――この箱の中身は――このキャンディーは。
「――お前は、魔道師アイザックの弟子か? そこで何をしている?」
「――っ」
「おや、それはロザリエ姫様の隷属精霊じゃないか。一体どうしたっていうんだ」
気が付くと後ろから、城内警備の兵士さんが声をかけてきています。
――どうなるのでしょうか。
意識を失ったフータンが、このキャンディーを食べたと知られたら?
そのキャンディー箱に、アイザック先生の名前が入ってると知れたら?
キャンディー箱が、元々ロザリエ姫に贈られた物だと知られたら――?
「――あっ、おい!」
「なんでもありません! ちょっとこの子寝ちゃって――失礼します!!」
アイザック先生に迷惑がかかるかもしれない。
その思考だけに突き動かされるように、私はフータンを抱え兵士に背を向けたまま、その場から逃げ出したのでした。
――ど――どうしましょう!




