20 つまらない事を聞いた
―御主人様、お帰りなさいませ。……今年もまた、お墓に行かれていたのですね―
―ああ、ただいまサクラ。……許婚の命日だからな。……義務ではないかもしれないが、十年以上経った今でもふと、思い出すんだ―
―……―
―……彼女は華やかな色の花が好きだったからな。今年もまた墓前に手向けてきた―
―……マスター……あの方を、まだ愛しておられるのですか?―
―……愛か? ……どうだろうな。……結局病に冒された醜貌を晒したくないと、結婚が決まった後も俺と逢ってはくれなかった女性だった―
―……―
―……だが……折々に送ってくる手紙や荷物には、いつも暖かい気持ちになった。……天涯孤独の俺にとって、まるで遠くに在る家族のような心遣いをくれる彼女は、確かに大切な存在だったよ―
―……情報に残っております。あの方は、マスターを想っておられました―
―だったら、逢って欲しかったな―
―想っておられたからこそ、やせ細り身体中に医療器具を取り付けられた姿を、見られたくなかったのです―
―……―
―……政略結婚である事も、妻の役目を果たせない事も判っている。名ばかりの妻でいい。彼の負担にはなりたくない。……あの方は、いつもそうおっしゃっていたようです―
―……それでも、俺は愛したかった―
―……あの方も、そうでした。だから、私が生まれたのです……マスター―
―医療器具の無い、健康的な姿で貴方に寄り添いたい。……そんな娘の願いを叶えるために、あの方の御両親は娘の姿のヒュノーを、私の創造主に依頼しました―
―ああ。……『娘の名前は絶対につけない』。この条件を誓わせた上で、創造主ジェイド・ウェルナーは依頼を引き受けたんだってな―
―『どんなに精巧に作ろうと、情報を受け継ごうと、私は娘本人にはなれない』……我が父ウェルナーはそう言いました。……あの方の御両親は、娘にしかみえない私に他の名前を付けられず、結果私は品番のみで呼ばれていましたが―
―お前に名が無かったのは、そういう事情だったのな―
―はい―
―……それでもマスター、私は『貴方様をあの方のように愛せ』という、初期命令を与えられております―
―……―
―貴方を愛するため、愛されるため、私は生まれてきました。……その存在意義を、私は遵守するようプログラムされています―
―そのプログラムは、消せないのか?―
―消せば、私の人格そのものが消えてなくなります。初期設定は、私を形作る根幹なのです―
―……そうか―
―……サクラ、お前は彼女じゃない。彼女のように、お前を想う事はできない―
―マスター……―
―……俺はサクラを、サクラとして想っている―
―……え?―
―……彼女とは違う場所で、お前を大事に想っている。……お前の存在意義とは違うかもしれないが、そういう事で納得してくれ―
―……私は、あの方の身代わりにはなれないのでしょうか?―
―ああ。……いやか?―
―……判りません。……ただ、涙が出るのです。……マスター、私は存在意義を失い、悲しいのでしょうか? ……それとも私自身を認められ、嬉しいのでしょうか?―
――夢を見ました。
過去の情報がギッシリ詰まっているのでしょう。無意識下の記憶処理が、私の脳内をグルグルと回っています。
「……でも顔……見えなかったなぁ」
情報漏洩を防ぐためか、それともただの不具合なのか。夢の中に出て来た私の主人は、霞がかった姿のまま、私に微笑みかけておりました。
……良く見えなかったのに、判ります。それはとても優しい、私の大好きな笑顔でした。
私はあの見えない人の笑顔に心ときめかせ、微笑み返していたのでしょう。……まるで人間の少女のように。
「……ふぁ」
……今は、それを実感する事が、全くできないのですけれど。……さぁ、朝の支度です。
「――おはようございます、アイザック先生」
「はい、おはようサクラさん」
お買い物から竜のベリウスさんの一騒動に巻き込まれてから、一ヶ月以上が経過しています。
私とアイザック様は、その間に倉庫と狭い研究室を片付けガラクタを全て処分し、やっと作った研究室の生活スペースに戻ってきました。
そこで私は今、アイザック様の弟子という肩書きでアイザック様をお手伝いし、その旧文明研究にも協力しています。
あ、一応弟子扱いなので、呼び名は様から先生にしています。
「うわぁ美味しそう。ご飯作るの美味くなったねぇ」
「クラシカルな調理器具を使い慣れれば、こんなものです」
旧文明とはまるで違う文明レベルに戸惑う事は度々でしたが、今は大分落ち着き家事をこなす事もできるようになりました。
最初は竈に火を入れるのも一苦労だったのですが、そこはヒュノーの学習能力と適応能力に感謝です。繰り返す事を厭わなければ、大抵の事は慣れますので。
「それじゃあ、いただきますっ」
「はい、いただきます」
それでも朝一番に水を汲み火を起こし、手で動かすしかない機具を駆使して家事を行う私は、現在旧文明の利器のありがたみを痛感しております。
「――そうだ。レオンの王位継承に、強い味方ができそうだよ」
「味方、ですか?」
そんなある朝、アイザック先生が持って来たニュースに、私は少し驚く事になります。
「うん。――隣国ランデルがね、先日の誘拐事件解決の感謝と共に、レオンに味方する申し出をしてきたんだ」
「味方、ですか? そう言われたんですか?」
「はっきりとは言わないよ。いくら友好国とはいえ、内政干渉になってしまう。……でもレオン側とより強い友誼を結ぼうと申し出る事で、いざとなったらレオンに味方すると、示してきた」
「友誼を結ぶ……とは、どういう風にですか?」
「政略結婚だね」
「……え」
「ランデル王家は、ランデル王国王太子とロザリエ姫の婚姻を、イストリアに申し込んできたんだ」
えー!!
「こ、婚姻ってドラゴンと、ロザリエ姫ですか?! 種族的に大丈夫なんですかそれ?!」
「そこは問題無いよ。以前ドラゴン族の姫がイストリア王家に嫁いで来た事もあったし」
「そ、それは聞きましたけど……でも他種族との混血とか、そういう偏見なんかは大丈夫なんですか?」
平気だよ、とアイザック先生は笑って返します。
「元々ドラゴン族は数が少なくてね。少ない純血同士の結婚を続けた結果、先天的な身体障害を持っていたり、精神的に不安定な子供が生まれるようになってしまっていたんだ」
「あ……近親婚で、血が濃くなりすぎたのですね」
「うん。だからある程度他種族の血を混ぜるのは、むしろ推奨されている。更にロザリエ姫は、ドラゴンの血を引きそれが強く出ているからね。うまく血が混ざった存在として、結婚相手としては申し分ないそうだよ」
穏やかにそう言うアイザック様は、ふと微笑みます。
「……あのお転婆姫も、とうとう結婚か」
……少しだけ寂しそうに見えるのは、多分勘違いではないでしょうね。
「ええと……政略結婚でも、幸せになれるといいですね」
「うん。……多分大丈夫じゃないかな。相手の王太子様が、ロザリエ姫の事気に入ったみたいだから」
「あ、お知り合いですか?」
確かに隣の友好国なら、顔見知りでもおかしくないですかね……。
「ベリウス様だよ」
――えっ?
「ベリウス様……ええと、もしかして子供達を助けに来た、先生ですか?!」
あの人森を領地に持つ田舎貴族じゃなかったんですか?!
「うん。田舎貴族って身分も本当だよ。でも彼は現ランデル国王の長男で、最近立太子されたから、間違い無く彼が王太子だ」
「な、なんで王子様が、田舎貴族扱いに?」
「ランデルの現王妃が幅を利かせてて、ベリウス様を隅に追いやってたからだね」
アイザック様は私が朝焼いたパンを千切りながら答えます。
「ベリウス様はね、最初の王妃様の御子なんだ。……でも王妃様が亡くなった上、その御生家も、名家なんだけどそれほど強い権力を持ってるわけじゃなくて。結局娘を王の後妻に立てた権勢公爵に、ベリウス様はあれこれと理由を付けられて、王城から遠ざけられてしまったのさ」
「あっちもお家騒動でしたか……」
「ごたごたが無い家の方が、珍しいんじゃないかな」
そんなもんですか。
「でもね、ランデル王は別にベリウス様を廃嫡したわけじゃなかった。というか、王妃達に邪魔されないよう秘かにベリウス様の足場を固めて、口出しできないようにしてから公の場に最近出されたんだ。――そして結局、後妻側は姫しか生まれなかったから、ベリウス様を認める他無かったのさ。ランデル王国は、男系優先だから」
「弟がいたら、危なかったわけですか」
「ベリウス様は殺されていても、おかしくなかったんじゃないかな」
それは怖い。
「……その……嫁いで大丈夫なんですか……ロザリエ姫?」
「大丈夫じゃないかもしれないけど、王家に嫁ぐってのはそういう事だからね」
「……」
「……彼女は強いから、大丈夫さ」
そう言うアイザック様の穏やかな表情が、また微かに陰ったような気がしました。
「……アイザック先生」
「……ん?」
「ロザリエ姫の事、好きですか?」
「ぶは?!」
むせるアイザック先生。
ふと零れた言葉に一瞬焦りましたが、今更戻せません。
なんて質問を不躾にしているのでしょうか私は。あのあやふやでモヤモヤする夢に、まだ影響されているのでしょうか……。
「な、なんて事言うのさサクラさん。……変な事を言ったらいけないよ。ロザリエ姫のご迷惑になる」
質問には答えず笑うアイザック先生。……否定していない、と感じるのはやはり間違いじゃないのでしょうね。どんな好意かは、判りませんが。
「迷惑なのでしょうか?」
「迷惑だよ。僕は王家の慈悲で生かされた罪人の子で、窓際魔道師で、おまけに彼女の叔父だ」
「それがなければ、迷惑ではないのでしょうか?」
「残念ながら、それが無い僕なんてありえないんだよね」
あっさり返したアイザック様は、そう言うと朝食に戻ります。
「……」
まぁ、そうなんですけどね。
人間だって、血筋や生まれ育ち、しがらみなどという、『初期設定』を完全に無い事にするなんてできません。
アイザック先生は、それを無視する生き方もしておられません。
「……でも」
……それでも、本音を知りたい、と私が感じたのは……ロザリエ姫を思うアイザック様の笑顔が、夢の中の彼同様、とても優しいものだったからでしょうか。
「ん? でも?」
「あ……すみません。なんでもないんです先生。失礼な質問をしてしまいました」
「あはは、いいよ。そういうお年頃なのかな、サクラさんは」
「確かに思考AI設定は、十代後半女子になっていますが……」
つまらない事を考える思考AIに腹が立ちます。
「……さっさと食べて、仕事しましょう」
「ああ、別に急がなくても大丈夫だよサクラさん。今日は急ぎの依頼も無いし……」
「……いいんです」
「そうかい?」
……アイザック先生が誰を想おうとアイザック先生の自由で……私には関係無いはずなのに……。




