9話 街中にて
あの後、楓は他に用があるからとミーナにその場を任せ、退席していった。そんなわけで、早速行きましょう、というミーナに手を引かる。
それで行き着いた先なのだが。
「でけぇ。家っていうより宮殿って言わないかこれ?」
ずいぶん立派な豪邸に案内されビビってしまう。俺的には屋根と床さえあればどんなねぐらだろうと良かったのだが、もはやそんなレベルではない。
もしかして中でそのほか数人とルームシェアでもするのか、と考えたのだが、そんなこともなかった。その広さもさることながら、蛇口を捻れば綺麗な水が出てくるし、火もわかせるし、明かりもつく。さらには、工房、訓練場、露天風呂、広大な庭までついている。
「無理だ。こんなとこに世話になるわけにはいかない」
俺は断った。あまりにも不相応すぎるのだ。聞けば、家賃その他もろもろも負担しなくていいと言ってくる。おいしい話には裏があるから……というわけではない。楓とミーナの人柄を鑑みれば、後から法外な対価を要求されたり、弱みに付け込まれ一生奴隷のような生活を強いられる、といったことはないだろう。
幾分かの家賃を俺が払う、という方法もある。しかし、今持っている金を全て払ったとしても一日分にも満たないに違いない。気持ちだけ受け取っておく、と残して去ろうとした俺なのだが。
「グレイヴ様に救ってもらった私の命の価値は、この屋敷にも劣るものなのですか?」
「は?そんな訳……っ!」
金に換算するような話でもない、と続けようとして、しまったと思った。
「ふふ、そうおっしゃってくれると思っていました」
頬を緩ませ、笑うミーナ。そういう言い方をされては断るに断れなくなってしまう。
「…だけど、それとこれとは話が別だ。いくらなんでもこんな立派な家は無償ではもらえないよ」
「……そうでございますか、ならば一つ条件を出しましょう。グレイヴ様はこの家に住み続けること。もちろん自由に出入りしてもらっても構いません。これからもお仕事がおありでしょうから、家を空けることもございましょう。それでも必ずこの家に帰ってくること。これをお守りください」
「条件になってないぞミーナ。それじゃあ普通に暮らせって言ってるようなものじゃないか」
「はい。ですが、それよって私たちに生じるメリットはグレイヴ様無しには成り立ちません。貴方様以外には務まらない条件です」
俺以外に務まらない、とはどう言う意味だろうか。何か激務でも任せられるのか、いやしかし自由に行動してもいいと言われているし、などと考えていると。
「ああ、やはり。グレイヴ様にとって私は一山いくらの有象無象でしかないのですね。それならばこの命、いっそあの迷宮で朽ちていればよかった!いえ、今からでもまだ間に合いますね」
よよよ、と嘘くさい泣きを演じて、短刀を取り出すミーナ。それを自分の喉にあて、辞世の句を読み始める。
「わかった、わかったから!その条件とやらを飲むから、大人しくしてくれ!」
見れば、通行人が何事かと遠巻きに見守っている。はたから見ればどういう状況なのか、考えたくもなかった。実際の被害者は間違いなく俺なのだが。
と、そんなこんなでこの家に住むことになってしまった。それで、中を見て回っていたのだが、改めて広いと感じる。
「こりゃ維持するにも一苦労だな。かといってお手伝いさんを雇う金もないし…」
などとのたまっていると。
「ご安心ください」
パチンと指を鳴らすミーナ。すると奥のほうから人影が現れた。アイン達だ。なんでこんなところに、というかなんで全員メイド服を着ているのだろうか。結局のところ、ミーナをはじめ、アイン達も楓の回し者だったということになっているのだが、これは一体。
「オプションです」
しれっと答えるミーナ。もう無茶苦茶だ。なんだこれは。もしかして俺の方がおかしいのか。想像を超えた現実の数々に頭を抱える。
「その内慣れますよ。では私はこれで。この家を使うに当たっての細々とした書類作業はすでに済ませてありますので、今日はもうお休みください」
「え……あ、おい!」
ペコリとお辞儀をして、そそくさと立ち去るミーナ。呼び止めようとしたのだが、既に姿は見えなくなっていた。
「現れる時も、去る時も突然な奴だな。まぁ今回に限っては俺も助かったっちゃそうなんだが」
ふーっとため息を漏らす。なんだかんだあったが、この家を手に入れられたことは大きい。あの条件というやつが不可解なのだが、こんな豪邸を差し出されては、何を要求されても無視してしまうということはできないだろう。
「お前たちも大変だな」
アイン達にそう呼びかけるが、にこりと嬉しそうに笑った。
◇◇◇◇◇◇
あのまま一晩過ごした俺だったのだが、今はシカリウス領の中心近くにある市場に買い物に来ていた。あの屋敷は比較的郊外にあり、周りには目立った建築物はない。立地としてはいささか劣るともいえそうだったのだが、少し歩いた先に、ここの主だった場所に続いているワープゲートがあったことから不便さは感じなかった。
それで何をしに来ているのかといえば、日用品などの雑貨類が目当てだ。もともとあの屋敷に家具がついていたので、これで当分困らないはずである。適当なものを選び、勘定をすませてから、ベンチで少し休憩を取る。
荷物持ちについてきてくれたツヴァイに露天で売っていた骨付き肉のようなものを手渡した。魔力さえあれば生きていけるアンデッド族だが、別に普通の食べ物が食べられないというわけではない。
むしろ、彼女達の人間性を取り戻させるために、食事というのは必要な気がしていた。生前は人間だったことから、色々なものを食べることでその記憶が刺激されるのでは、と考えたのである。
そんなわけで、これからは定期的に食材も必要になってくるなと思いながら、ツヴァイをぼーっと見る。
ゾンビからグールにランクアップしたことで、姿形は人間のそれに非常に近い。しかし、その中でも人間と大きく違うところを挙げるとすれば、土気色をした肌の色だろう。俺の美的センスで計るのもどうかと思うのだが、彼女達は皆が皆容姿が優れているだけに、そこだけが非常に惜しいと思ってしまう。
じーっと骨付き肉を見つめ、恐る恐るペロリと舌で舐めるツヴァイ。
そんな仕草に思わず頬をほころばせてしまう。見た目こそ年頃の娘たちなのだが、こういうところはまだ子供なんだなと思う。はたから見れば非常に微笑ましい光景にも見えるだろう。しかし。
急にガブリと肉の真ん中に噛み付くツヴァイ。その仕草は獣のソレであり、ガツガツと骨ごと強靭な顎で砕き、貪っていく。
忘れてはならないのが、彼女たちはアンデッドだということだ。少しだけ発達した犬歯で肉を頬張るのをみとめ、俺達の行く末を考える。
このままいけば、アイン達は皆ヴァンパイア系統へと歩を進めていくだろう。生気の抜けた白い肌に爛々と光る赤い瞳を携え、夜を身に纏う。その姿はさぞ美しく、恐ろしいまでに強いだろう。
では俺は、というと正直わからない。このままいけばアイン達と同じく吸血鬼に至るのだろうが、それでいいのか、とも思う。というのも、俺はもっと強くなりたいのだ。アンデッド族にはさまざまな派生種族が存在し、一番オーソドックスなのがヴァンパイアだ。一番なりやすいし、強力な力を持つしで手堅いといえるだろう。しかし、それを上回る強さを得ることのできる道もある。
変異種、というものだ。ランクアップに伴う条件は様々あり、俺も全てわかっていないのだが、記憶の中にある一風変わったアンデッド達はそれぞれ強力な特殊能力をもっていた。
物理攻撃を無効化してしまったり、倒したと思ったら復活したり、あるいは概念上殺せないなんていうとんでもないアンデッドだっていた。
最近見たもので言えばスケルトンだろうか。彼らも一応変異種には含まれる。ランクアップの条件はゾンビの肉をそぎ落とすことだ。そうすることでより強い物理耐性を得ることができるのだ。
ただ、その反面魔法攻撃に弱くなってしまうという弱点もでてくることとなる。さらにランクアップを進めていけば、その限りでもなくなるのかもしれないが、基本的な特性は変わらないだろう。記憶にある強力な変異種たちと比べると、どうしても見劣りしてしまう。
じゃあどうしたものかと考えていると、ツヴァイが食べ終わったようだ。そろそろ頃合だし、帰るとするか。
「……いや、俺はまだ少し用事がある。先に帰っていてくれ」
「わかりました」
荷物はそこまで多くないし、一人でも大丈夫だろう。
◇◇◇◇◇◇
大通りの賑やかさとは打って変わって、裏路地は静かなものだった。ツヴァイを先に帰した俺は彼女達に何かプレゼントを、と思いジャンク屋を見て回っている。
食事もそうなのだが、なにか贈り物をすることで人間らしさを取り戻すことだってあるだろう。部屋を借りる為に用意していた資金がそっくり残っていたのでここで使ってしまおう。
なぜジャンク屋なのかというと、俺には鑑定スキルがあるからだ。他の者には鑑定できなかった意外な掘り出し物がここに眠っている可能性がある。どうせなら有用な物をと思い、足を運んだわけだった。
どうやら俺の予想は当たっており、これはというものを予算と相談して人数分買っていった。こんなものかなと思い、帰ろうとしたのだが。
「ん?なんだあれは」
裏路地の一角に特にみすぼらしい露天が出ている。売っているものも正真正銘のガラクタばかりなのだが。一つだけ気がかりなことがあった。その露天へと向かっていく。
「なぁ、これはなんだ?」
フードを深く被っているので確信はないのだが、ダークエルフの女だろうか、その店員に尋ねてみる。
「これ?これはサルタの種。食べる時には皆捨ててしまうのだけど、刃物にこすりつけると少しだけ切れ味が上げられるの」
黒い球体、小指の爪ほどの大きさだろうか、サルタの種というものをひとつ取り上げ説明してくれる。
「いや、それじゃなくて、これ」
手にとって店員に見せてみる。サルタの種というものは初めて知ったが、問題はそのサルタの種が一杯に入った籠の中に埋もれて擬態している不可解な物体にあった。見た目や大きさこそ似ているが、これは明らかに違うものだ。
「---------」
女が俺を見上げる。やはりダークエルフだったようだ。黒い髪に褐色の肌。こんなところでボロ露天を開いているのだが、顔立ちはどこか気品すら感じさせるほど美しかった。
「………それは妖姫の涙というの。遠い昔に呪われ、気が狂った姫が死ぬまでに生涯ただ一度だけ流した涙の雫」
何かのマジックアイテムだろうか。しかし、俺の鑑定スキルをもってしても使い道はわからなかった。どうもただのアクセサリー、いや何なんだろう。
「涙?これがね……」
ころころと指先で転がして確かめていたのだが、急にドロリと球体がとけて、俺の指へと染み込んでいった。
「!?」
驚いたのは俺だけではなく、店員も同じだったらしい。まさか毒かなにかだったのかもしれないと、慌てて自分のステータス画面を確認してみる。が、異常は認められない。一体なんだったのか。と、俺のスキル欄に今まではなかったスキルが追加されているのに気がついた。空間侵食、とある。
先の迷宮戦で格闘スキルが幾分か上がっていたのを確認したため、最新の所持スキルは全て頭に入っていたのだが。これは一体。
「そう、そこにいたのね」
女はボソリとつぶやき、立ち上がってフラフラと立ち去ろうとする。
「おい、店をほっぽり出して何処へ行くんだ?」
咄嗟に呼び止めてる俺。よくわからないのだが、妖姫の涙とやらは俺が取り込んでしまったようだ。
ならば不本意ながら代金を払わねばならないと思ったのだが。
「いいの。もう意味はないから」
そう言うと今度こそ立ち去ってしまったのだった。