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18話 おかえり

 扉を開くと、広い浴室が俺を迎え入れる。このデカい屋敷では風呂の大きさ例外ではなく、大人が10人ほど大の字で寝転がってもなお、まだ余りある広さがある。


 明かりに照らされた大理石が光り、表面にまだ水が残っているのを認める。アイン達が先に使っていたのだろう。つるつるとした床を歩きながらそんなことを考えた。


 現在俺はあの迷宮を後にし、自宅へと帰ってきたところだ。大規模な侵入者が向かっているとの要請を受け、その助っ人として呼ばれた俺たちだったのだが、やつらが片付いたとなればお役御免となるのは当然だろう。


 あの迷宮の司令官から、このままここに残って一緒に戦ってくれないかとのお誘いもあったのだが、それは断った。


 なぜならあの迷宮には当分目立った侵入者など現れないからだ。裏工作により、人間達には放置してよしという認識を与えてある。無論、それでも迷宮には自然に魔物が集まってくるものだから、完全に警戒を解くというマネはできないのだが、いかんせん人間達には他に相手にしなければいけない迷宮の数など山ほどある。危険度が少ないと判断された迷宮ならば、よほどのことがない限り近寄らないだろう。


 よって、より強力な敵と戦い、強くなりたい俺にとっては、留まる魅力を感じなかったのだ。


 まぁそれでも、俺にとっても休息は必要だ。というよりは自分を見つめ直す時間が。


 そんな訳で、自宅にてシャワーでも浴びようかなどとこうしている。


「あー………生き返るー」


 熱い湯を頭からかぶり、ひと心地つく。まるでつきものが身体から落ちていくかのようだった。屍人となり、いくらかの体温を失っているこの体なのだが、湯から感じる安心感というのは健在だった。


「生き返る……?俺はアンデッドだってのにな」


 自分で口にした言葉にツッコミを入れる。ここには俺一人だけだ。誰が聞いているというわけでもないのだが、ついおかしくて笑ってしまう。


 アンデッド、不死者、歩く屍、生き血をすする、吸血鬼。


 もはや人間ではないのだ。この生気が抜け落ちたような白い肌も、仮面の奥で光る紅い瞳も、魔の領域に住むもの、化物と呼ばれる類になっている。


 加えて。


「やっぱ、広がってるな。きっかけは……レベルアップか?あるいはスキルの成長か」


 俺の右腕を覆い尽くすように広がっている黒いアザのようなもの。妖姫の涙だ。


 最初の頃はポツンとした黒い点でしかなかったものの、あの迷宮での戦闘を経てから明らかに身体の侵食範囲を広げている。


 体には特に違和感らしい違和感は感じないのだが、徐々に身体を覆っていくカゲのようなこの物体は、見ていてなんだか落ち着かない。


 スッと腕を差し出し、空間侵食のスキルを発動させてみる。黒い液体金属のようなものが溢れ出し、頭に描いたとおりの形状を形作っていくのだが。


「総量も増えているな。まぁより使い勝手は増したか」


 初めは数センチの薄っぺらいナイフを作るのもやっとなほどの量しかなかった液体なのだが、今ではバケツ一杯ほどの許容量がある。これだけあれば武装とするのにかなりの応用が効くだろう。


 形状を変化させ、まるで動物のしっぽのような細長いもう一本の腕を作り出す。その先を猛獣の顎のような形にし、カチカチと牙と牙で噛みならさせ、目の前にもうひとりの自分を生み出した。


 話題は、殺した人間達のことだ。


「よう、順調に人外の道を歩いてるが、感想はどうだ?」


カチカチ


「へぇ、そいつは結構ことだな。強くなるためには手段を選ばないと?」


カチカチ


「お前らしいじゃないか。そうさ、振り返ってる暇なんざない。ただ突き進むのみだ」


カチカチ


「よせよ。他人の死なんて重くて引きずってられるか。お前はそんな物は持てない。わかっているだろう」


 まるで人形に語りかける子供だ。何を得るでも失うでもない。ボールを頭上に投げて、自分でキャッチする。そんな無為。


「フン」


 妖姫の涙を自分の体へと引き戻す。そして、皮下で変化させてから、身体に刺青のような模様を作った。これで他人にこれを見られても、多少はごまかしも効くだろう。


「チッ、何をウダウダと」


 自分が精神的に参ってしまっているのがわかった。


 しかしながら終わったことだ。今更何を思ったところで、どうすることも出来やしないのだ。あの迷宮へと侵入してきた人間は敵で、俺はそいつらを排除せねばならなかった。その事実だけが、俺を支えている。


 くだらない感傷である。こんなことをウジウジ悩んでいるくらいなら、最初の迷宮でおとなしく死んでいればよかったのだ。光りの当たらないほの暗い穴の底で、身体を丸めていればよかったのだ。


 だが、そうはなりたくなかったから俺は動いた。つまり、俺は俺の目的のために彼らを葬った。彼らの血肉を己の力とするべく、その命を奪ったのだ。


 ならば、その事実から逃げてはいけない。彼らを殺した己を否定するということは、殺した者の死をも否定してしまうことにつながる。つまり、彼らなど取るに足らないものだった、という風に貶めてしまうことになるのだ。


 故に、彼らを殺したことに胸を張り、大胆不敵に笑わなくてはいけない。そうすることが俺の中で、彼らの死は全くの無駄ではなかったという事実を確かなものにするのだ。


 そうさ。今や俺はこのシカリウスでもたいぶハクが付いてきたところだ。わずか数週間という異例の早さで吸血種へと駆け上がった者。魔法の技術や、戦闘スキルなどは他者の及ぶべくもないし、ビッグシャウトで呼び寄せられた魔物達を向こうに回しての大立ち回りや、騎士団を始めとした敵に効果的な痛手を負わせたことなど、魔物達の間ではちょっとした逸話にもなっている。


 尊大に振舞ってこその権力、誇示してこその力である。哄笑の一つでもあげていいのではないか。ならば。


「…はは……ははは…は」


 試しに笑ってみる。しかし、なんだか力がない。ありゃどうしたものか、ここは悪の親玉よろしく、腹から声を出して笑わねばならないところなのだが。


 やはり、頭では分かっていても心がついてきていない。完全に引きずってしまっているな、などと考えていると。


「し、失礼します!」


 突然、浴室のドアがガラリと開かれる。何事かと振り向く。声の主を確かめてみると。


「ドライ…急にどうした」


 メイド服を着たドライが立っていた。一体どうしたのだろうか。彼女らは俺より先に風呂に入っていたので、ここに用事などないはずなのだが。掃除だろうか?しかし、今は俺が入っているし、などと考えていると。


「お、おお、お背中を流させて頂きます!!」


「……は?」


 どもりながら、何やら顔を真っ赤にしている。さらに、俺の体を視界に入れないよう、あらぬ方向に目線を泳がせている。背中を流すだって?


「いや、別にいらないぞ。身体くらい自分で洗えるし」


 筋肉もそれなりについてはいるものの、これでも結構柔軟性には自信があった。背中に手が届かないなんてことはないし、そうでなくともタオルでもなんでも使えば簡単に洗えるだろう。彼女にもそれはわかっているはずなのだが。


「えっ…い、いや、そこをなんとか!!」


 俺に断られ、一度詰まったのだが、なぜか自身に気合いを入れて食い下がってくるドライ。


「なんとかって…」


 その様子に少し気圧される俺。よくわからないが、妙な気迫のようなものをドライから感じる。


「お願いします!お背中を流させてください!ぜひぜひ是非!!」


「わ、わかった。わかったから」


 つい了承してしまう。とはいっても、別にドライに背中を預けるのに不満があるとかそういうのではない。彼女があまりにも真剣な顔をしていたので、呆気にとられてしまっていたのだ。


 しかし、なんで…などと考えていると。


「おーい、ご主人様がおっけーしてくれたよー」


 ドライが自分の背後に呼びかける。すると、ドアの向こうからアイン、ツヴァイ、フィーア、フュンフがひょっこり顔を覗かせた。


「は?」


 まさか彼女たちも?ということこは5人全員で背中を流すのだろうか。どうやって、というよりなんでそんな非効率なやり方を。


 見れば彼女たちもみんな頬を染めて、目元を手で隠している。まぁ指の隙間が少し空いていて、ばっちりこちらを見ているのが気になりはするのだが。


 失礼します、とこれまたそれぞれ言葉につっかかりながらぞろぞろと入ってくる残りの四人。浴室の人口密度が一気に上昇する。なんなんだこれは。


 俺が驚いているのをよそに、よろしくお願いしますなどと言うアインたち。


 ドラキュリーナへのランクアップを果たしたことで、精神面や仕草などはもう完全に生前のものを取り戻している彼女達なのだが、これは一体どんな心境の変化なのだろうか。


「まぁ、いいか……適当にお願いするよ」


 彼女達が自ら進んで何かをやりたい、としている姿勢はこちらとしても歓迎だった。彼女らの人間性を取り戻させるために腐心していた俺にとっては、これもひとつの成果だろう。


「それじゃあ………」


 椅子に座り、正面へと向き直る俺。しかし、なんだか背後から軽く気配を感じる。まるで獲物を狙う獣のような……


「ふふ、フフフフ。ついにこの時がきたわ。いくよみんな!」


「え」


 振り返ると、5つの影がこちらへと向かってダイブを決め込んできたのだった。



◇◇◇◇◇◇



「えらい目にあったな……」


 ガシガシと髪をタオルで拭きながらぼやく。あの後風呂場でアイン達にもみくちゃにされてしまったのだ。


 背中を流すという名目はどこへやら、最終的には丸洗いされてしまったような形になった。抵抗しようとは思ったものの、乱暴なことなど出来るはずもなかったから、好きににさせておいた。


「まぁ、楽しそうだったし別にいいか」


 彼女らを戦場に連れて行ってばかりだった者としては、ああした年相応の娘らしい和気あいあいとした雰囲気ではしゃぐ彼女達を見るのは安らぐ。


 俺なんかの体でも使ってあそこまで盛り上がってくれるならば、お安い御用だ。


 リビングまで向かい、そのままどっかりとソファーに腰掛ける。なんだか少し疲れてしまった。脱力した手足を投げ出し、しばし目を閉じる。


 うつらうつらと頭を揺らし、はっきりしない思考で、このまま眠るかなどと考えていると。


「グレイヴ、娘たちがそこで伸びておったが、大丈夫なのか?」


 楓の声だ。また遊びに来たのだろうか。楓は家と家が繋がっているのをいいことに、暇さえあればここに来ているらしい。


「アイン達か……風呂の最中に目を回してそのままダウンしたんだ。バッドステータスもないし、そのまま寝かせてある」


 眠気に襲われている頭で答えた。意気揚々とやってきた彼女達だったのだが、洗っている最中に顔を真っ赤にし頭から煙を出して、そのまま倒れてしまった。寝室まで運ぶのにも少し苦労したものだ。


「そうじゃったのか」


 ぽすん、と膝の上に体重がかかる。楓が俺に乗っかり、背中に手を回して胸元に鼻をうずめてきる。


「なにしてるんだ」


「なに、すこし補充しているだけじゃ」


 何をだよ。聞きたかったが、今はとにかく眠い。ああそう、と答えてぐったりする。


 急に抱きついてきたり、匂いを嗅いできたりという行為にはいちいちツッコミを入れるのも面倒だった。こいつは基本的にむちゃくちゃなやつである、というのが俺の中で決まりつつあったからだ。


 しかしながら、いくら脱力している俺とはいえ、簡単に懐に入り込まれてしまったのが少し不思議ではある。


 これまでの戦いの経験から、俺の体はすっかり戦闘に慣れ親しんでいるということが分かっていた。例え寝込みを襲われようとも、万全の力で対処してやることだってできる。それは別に敵でなくとも同じことで、他人が俺に無闇に近寄ろうとすれば、それだけで頭のスイッチが切り替わるはずだ。


 しかし、それを楓は事も無げに突破してきた。単純に楓が強いから、俺を安々と制することができた、という考え方もできるだろうが。


「なんか、懐かしいなぁ」


 この感触、この匂い、俺はかつて味わっていたことがあるような気がする。体に染み付いたこの感覚が楓の侵入を許してしまったのかもしれない。でも、いつ、どこで?


「グレイヴ」


 考えようとしたところを、楓の一声で中断させられる。呼ばれた名前に少し違和感があった。俺はそんな名だったろうか。睡魔に負けそうな思考でぼんやり思う。


「よくぞ帰ってきた、妾は嬉しく思うぞ」


「そうか」


 帰りを誰かに喜ばれるというのは素直に嬉しくあった。魔物は殺し合ってナンボ。昨日隣にいた者が、今日戦場で屍を晒していても全くおかしくはない。そんな殺伐とした世界で、こんな風に帰りを待ってくれている存在がいるということは、なかなかないのではなかろうか。


「しかし、なにやら気負った風じゃったな?何を悩み、背負ったのかは聞かぬ。しかし、お主は一人ではない。それだけを伝えたいのじゃ」


 楓には早々に見抜かれていたようだ。弱みを誰かに見せる、なんて行為は御免だ。押し付けがましいし、相手に心配をかけるようなことはしたくなかった。


「フフ、妾だけではないぞ。あの娘達も気がついておったのじゃ。だが、お主を元気づけようとしたのはいいものの、返り討ちにあってしまったのは少しお粗末じゃったがな。まぁそれでも少しは落ち着いたじゃろう?あの者たちに感謝せい」


 風呂の件はそういうことだったのか。なんだか、申し訳ない。


「言ったじゃろう。お主は一人ではない。己一人で溜め込むのもよいが、そのことをゆめ、忘れるでないぞ」


 俺を抱いている楓の手に力がこもる。しかし、それでいて優しく包み込むような具合だ。


 彼女なりに俺を励ましてくれているのだろうか。俺の沈んだ様子を察知して、こうして言葉をかけてくれている。その気持ちがくすぐったいやら気恥ずかしいやらと感じなくもなかったが、ここは感謝すべきだろう。


「ありがとな」


 重いまぶたを少し上げて、彼女の顔を見る。


 鳶色の瞳が俺の顔を映していた。妙な仮面をつけた黒髪の男だ。


 記憶がないとはいえ素性を隠し、仮面が取れないからという理由で素顔を隠し、おまけに自分から己の内すら明かさない。楓に突っ込まれなければ、この拘泥だる気持ちすら誰にも明かさなかったろうに違いない。傍から見れば、なんだこいつは、という風貌であろう。怪しさ満点であるはずだ。


 しかし楓はそんな俺をこうして抱きとめてくれている。なぜそんな俺にこだわるのだろうか。なぜ俺を拾ったのだろうか。なぜ俺にこうまでして気を使ってくれるのだろうか。俺にはわからないことだらけだった。


「なぁ……お前はかつての俺を知っているんじゃないか………?」


 知らずに口を出た言葉だ。俺は楓を遠い昔に知っているような気がした。そして楓も、俺のことを。


「さてな。妾はただ見守るだけの者じゃ。散っては消えていく命、その軌跡、散り様など長い間飽きるほどこの目で見てきた。お主のような屍人など、それこそ星の数ほどな。現世に強い思念を残して死ぬに死ねぬ者など掃いて捨てるほどおる。その中の一人がお主であった可能性はあろうな」


 死人がアンデッドとして起き上がる条件として、死に瀕した時に何かを強く願い、遂げられなかった思いを成就しようという強い意思を持った者が、としている説がある。


 人の思いの形はそれぞれだ。その情念の強さも含め、これまで数々の生者が死んでいき、そしてアンデッドとして生まれ変わったのだろう。


「じゃが、その記憶の中でもとびきり強い輝きを持つものがある。この者だけはなんとしても自分に刻み込み、あわよくば手に入れ、独り占めしたいと思う者がただ一人だけ現れる」


 ぺったりと俺の胸に頬をつけてなんだか愛おしげにつぶやく楓。その表情は、読み取れない。


 コチコチと時計が針を動かす音が響くこの部屋で、俺の背中に手を回している楓の腕が少し震えた。


「なぜ、蘇った。なんで。なんでこの終わってしまった世界に。閉じてしまった箱庭に。お主には出来ることなどもう残されてはいない。この物語は完結してしまっているのじゃ。なのに、なんで」


 か細い声で、まるで内から絞り出すようにつぶやく楓。


「何を……言ってるのか…わからない……ぞ」


 強烈な眠気が襲ってきている。ぼやけた視界を正そうと、瞬きをしてみるのだが、いかんせんまぶたが動かない。


「だけど、私は嬉しい。また貴方に会えた。もう離さない。絶対に、一人にしないからね」


 意識の混濁から来る幻聴だろうか。楓の口調がまるで少女のように変わっている。そんな声を聞いて、在りし日の誰かを思い浮かべた。


 日を浴びてきらきらと光る銀色の毛並み、くりくりとした真ん丸の瞳、俺の頭の上にちょこんと乗っかり、一緒に冒険をした、小さな白狐。


「おかえりなさい」


「ああ……ただいま」


 あれは誰だったろうか。これは俺の記憶なのだろうか。わからない。


 しかし、闇に閉ざされようとしている己の世界で、俺はその誰かに再会したのだった。


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