17話 出口
ぜいぜいと荒い息を吐きながら、迷宮の通路をかけて行く一団がいる。体は誰も彼もボロボロで、ある者は足を引きずり、ある者は騎士の誇りである剣を重いからと投げ捨て、必死になって先へ先へと進んでいく。
「くそっ、あんなの聞いてねぇぞ。死んだ。みんな死んじまった!!」
「付き合ってられねぇ。あんなとこでまとめて死ぬのなんざゴメンだぜ」
彼らはこの迷宮にてまんまと罠に掛かり、魔物たちの襲撃を受けた騎士団の一員だ。あの広間から命からがら逃げ延びて、必死になって迷宮の出口へと向かっているのである。
「おい………目印がここで終わっちまってるぞ。なんでだ!来るときにはちゃんとつけといたはずだろう!?」
「そんな……出口までもう少しだっていうのに……冗談だろ…」
上層からここまで降りてくる道すがら、迷わないで引き返す時のために目印をつけておいたはずなのだが、それがここで途切れてしまっているらしい。兵たちは一様に絶望にくれた表情を浮かべる。
ここは迷宮だ。アテもなく歩き回って出口に着くなどという楽観的な希望など持てはしない。それに、背後からは恐らく魔物たちが追撃に来ているはずだ。これから周囲を散策して出口を探す、などという時間がかかることをしていては、簡単に捕まってしまうだろう。
「アイツだ……あの吸血種がやったんだ…」
怯えたように肩を抱きながら兵の一人がつぶやく。思い浮かべているのは騎士団に扮して後を付けてきていたことか、あるいは広間にて光を全て飲み込んだことか、あるいは、あるいは。
「お前らだって見ただろ!?あの妙な仮面を被った吸血鬼だ!アイツは普通じゃない、ほかの魔物とは何か決定的に違う!!俺たちを逃がす気なんてないんだ!!ここで全員殺される……っ!!」
頭を抱えて絶叫する。明かり一つない迷宮の只中で、気が狂ってしまいそうだったのだ。叫び声でも上げて己の存在を周りに示しておかなければ、この迷宮の暗闇に溶け込んで、そのまま何処かへと連れ去られてしまいそうな錯覚に陥っている。
そして、恐怖心とは伝播するものだ。小刻みに漏れる悲鳴や嗚咽と、無茶苦茶に暴れだしたくなる手足の震えを各々が感じていた。
死ぬ。ここにいては間違いなく殺される。
兵たちの誰もがそう思った。一種の恐慌状態なのだが、その予感が恐らく当たっていてるのが彼らにとって不運なのだろう。
ドン、と兵のひとりが後ずさった拍子に別の兵士と体がぶつかる。普段ならそんなことはなんでもないはずなのだが。
「っ…!?野郎!!」
体をぶつけられた兵士が驚いて剣を抜き、威嚇するように相手へと構えた。
「ひぃっ、な、なにするんだ!!剣をしまえ!」
「黙れ、てめぇ今俺に何かしようとしたな!?」
目を剥き、ぶつかってきた相手へ敵意をむき出しにしている。
「まさかあの吸血鬼やろうが成り済ましてるんじゃないだろうな?」
その一声を機に、兵たちに動揺が走る。まさかこいつ……と、それぞれが自分の得物を取り出し、男を警戒するように距離を取ろうとしている。事実、あの吸血鬼は変装して騎士団の中に紛れ込んでいたことがあったのだ。
「な、何言ってるんだ!俺が敵なわけねぇだろうが!!そういうお前だってあの吸血鬼じゃないっていう保証はあるのか!?どうなんだ!!!」
「なっ、なんだとてめぇ!」
今度は別の人間へと矛先が変わる。この場で吸血鬼認定されることは、仲間に斬り殺されることと同義だ。皆が皆疑心暗鬼に陥り、吸血鬼が紛れ込んでいるものと思い込み始めている。
しばし、騎士団達の間でにらみ合いが続く。警戒すべきは槍玉に挙げられている男達だけではないのだ。可能性で言えば自分以外の全員が怪しい。ここまで逃げてくるのに皆必死だったのだ。隣を走っていた人間が、突然敵とすり替わっていても気が付けなかったに違いない。
ともすれば殺し合いになりそうな一触即発の状況だったのだが、ある兵の発した一言により、その疑いは霧散する。
「いい加減にしろ、貴様ら!!まんまと敵の術中に嵌っていると気がつかんのか!!」
ビクリと肩を震わせる兵達。
「奴が変装していたのは、俺たちをあの広間へ誘導したことや、目印を消して回ったことだけの為ではない。こうして俺達に疑心を埋め込んで、同士討ちさせるのも狙いの一つだったんだ」
「で、でも、実際にあいつがここに紛れ込んでいたら……」
「考えても見ろ、そんなまどろっこしい手を使わなくても、あいつがもしこの場にいたら俺たち全員あの世に行っているぞ?」
「あ、ああ、…確かに言われてみれば……」
兵達の脳裏にあの広間での光景が蘇る。戦闘力一つとってもあの魔物は群を抜いていた。この程度の人数を皆殺しにするのに数分もかかるまい。
「いいか、みんなよく聞け。我ら騎士団が危機に陥ったのはこれが初めてではないはずだ」
突然男が語りだす。何事かと耳を傾ける兵たち。
「古くは魔物達との攻防を長きにわたって繰り広げ、最近ではあのドルウィンとか言ううだつの上がらない男を頭に据え、望まぬ戦いを強いられた」
この迷宮での話だろう。あの隊長が己の好き勝手に暴れたせいで今の状況が生み出されたともとれる言い方だ。
「我々は騎士だ。上からそう命令されたのなら、貴族の道楽であろうとも付き合わねばならない。
例えそれが我らの身を滅ぼすことになろうとも、だ」
苦虫を噛んだような表情を浮かべる兵士達。あの男のやり方にはやはり不満を持っていた者も多いのだろう。
「だが、我らには誇りがある。人間を守護するために培ったこの力がある。そしてなにより、ともに戦場をかけた戦友がいる。我らが今の今まで生き残ってこられたのは、それらがあったからこそじゃないか」
「なぁ、我らの絆はあの魔物程度に崩されていいものだろうか?今訪れているこの危機すら乗り越えることはできないのだろうか?」
聞いている兵の拳がギュッっと握られる。皆が皆、自分を恥じているのだ。厳しい鍛錬を耐え抜き、戦場に立つ誇り高い騎士団の団結を崩そうとしてしまった自分が情けない、と。
「ふっ、聞くまでもないようだな。……それに、まだ我々には出来ることが残されている」
「出来ること……?」
「それは一体なんなんだ?」
今や騎士団は総崩れだ。もはや自分たちに成す術はない、と腐っていた兵たちに光が差す。
「この迷宮に住む魔物達のことだ。奴らは人語を操り、高い知性を得ていた。これは通常の迷宮ではありえない。奴らを野放しにしていては必ず人間にとって大きな障害となるだろう」
「……そうか、そのことをほかの皆にも伝えるんだな!!」
「野営に通信機がある!それを使えば!!」
「ほう」
徐々に兵たちの目に光が灯り始める。一旦は絶望の淵に落ちた彼らだが、一縷の希望を見つけて一気に盛り上がっている。
「へへ、魔物どもめ。その秘密さえバラしちまえば勇者様が直々に乗り込んでいったっておかしくはねぇ」
「ああ!それに、この情報を持ち帰れば手柄は俺たちの物も同然だな!!」
「そうと決まれば早速出口を探すぞ!魔物なんざもう怖くねぇ!!」
応、と声を合わせて進軍を開始する彼ら。俺たちはここで終わりではない、と生き生きとした表情だ。ここまで彼らの心情が一気に変化したのは少し異常ではある。まるで歴戦の指揮官に鼓舞され、力を増幅されているかのようだ。
そこで一人の兵士が、はたとあることに気がつく。
「おい何突っ立ってるんだ。さっさと行こうぜ!元はといえばアンタが出してくれた案じゃないか」
皆が歩を進めるのをよそに、一人だけ立ち尽くしている男に声をかける。彼は先程兵たちを奮い立たせた檄を飛ばした者なのだが。
背後でのやりとりに他の兵たちも後ろを振り返る。
「なんだよ、威勢いいこと言って俺たちに発破かけたのはアンタなんだぜ?」
軽い調子の男がその肩に手を回し、うりうりと小突く。しかし男は無言だ。
「そういやアンタ、まだヘルムを被ってるのな。そんな重たいもの捨てちまえよ」
兵たちは皆軽装だ。ここまで逃げてくるのに機動力を要したため、最低限の装備以外は捨ててきている。
「ああ……そうするかな」
おもむろにヘルムを脱ぎ捨てる。ガシャン、とやけに大きな音を立てて鉄塊が地面に転がった。
「え………あ………お、お前……」
現れた顔にパクパクと口を開きながら驚愕の表情を浮かべる兵たち。先程までの明るい空気はなんだったのか、尻もちを突き必死に後ずさる者までいる。そんな様子を無視して。
「それで……その通信機ってのは具体的にどこにあるんだ?」
俺はにっこり笑いながら問いかけたのだった。
◇◇◇◇◇◇
さんさんと照りつける太陽の光に思わず目を細める。
太陽はアンデッドの天敵だ。ランクアップしたことで少しは光への耐性も上がってはいるのだが、ドラキュラといえど通常はタダでは済まない。
こうして俺が普通に陽光を浴びていられるのも、ひとえに光の加護のスキルのおかげだ。
「むしろ太陽の下で戦ったほうが調子が出るかもな。体力も少しだけ回復していくし」
そんなことを一人つぶやきながら、迷宮の地表にある騎士団達の野営でくつろぐ。テーブルに肘を付き、気だるげに欠伸をした。時間通りで行けば、もう少しで定時連絡があるはずだ。
はじめはここに騎士団のスタッフが十数人待機していたのだが、彼らはすでにこの世にはいない。
「っと、来たな」
通信が到着する知らせを聞き、受話器を取った。
『おい、そっちの状況はどうなっている』
「前の通信で伝えたとおり、最初の目的地にはロクな魔物なんざいなかったから、別の迷宮に向かって今は進軍中だ」
目的地の座標を口頭で説明してやる。
『貴様は俺の話を聞いていなかったのか!?そこの魔物を相手にするにはお前達のレベルが足りなさすぎる!すぐに引き返せと言ったはずだ!!』
彼には騎士団達は早々にここの迷宮の探索を切り上げ、別の迷宮へと向かったという旨を報告している。
「アンタも知っての通り、ウチの隊長って無鉄砲だろ?貴族の出だかなんだか知らないが、こっちだって迷惑してるんだよ」
『そんなことを言っている場合か!?全滅の危険だってあるんだぞ!』
「じゃあアンタが直接話をつけてくれよ。貴族様に目を付けられる覚悟があるんだったらな」
『くっ………いいか、俺はちゃんと警告をしたぞ。いますぐ帰還しろ、いいな!?』
そう言うとブツリと通信が切れてしまった。
通信機を叩き壊しながら立ち上がる。これでこの迷宮は奴らの注目からは外れるだろう。向かった騎士団が全滅とくれば、いくらなんでも警戒されるに決まっている。その注意を逸らすため、奴らには別の迷宮で戦って死んだ、ということになってもらわなくてはいけない。
あとはこの迷宮にある騎士団や冒険者達の侵入していった名残を完全に覆い隠せばいい。そして、騎士団が向かって行ったとしている例の迷宮に彼らの装備なり死体なりを置くなどして、状況証拠を作り上げれば完璧だ。
冒険者たちの掃討も完了しているしで、この迷宮の魔物たちの秘密は完全に守られたに等しい。
まさか魔物がそこまで周到な工作をするなどとは人間達は夢にも思わないだろうから、疑いをかけられることもない。
「ハッ、よくもまぁこんなことを」
自分の行いに胸糞が悪くなる思いだった。先の騎士団の逃亡者達の件といい、我ながら外道の所業だと思わなくもない。彼らに師団指揮のスキルでもって取り入り、おあつらえ向きの言葉で弄んで、騙して、情報を引き出して殺したことだ。
このような権謀術数を伴った騙し合いは、実際に刃を交わして戦うよりも、ある意味でよりいっそう醜い戦いだと思う。
本能に任せて戦うことを好む魔物達には浸透しにくい考えだ。恐らくは人間達が得意とするところだろう。しかし、魔物である俺達の内の誰かがやらねばならない。
俺は死ねない。失えない。
真の魔物たれとは言うが、己が本能を解き放ち、獣欲の赴くまま暴れまわるなどという事をしていては、恐らく生き残れないだろう。今回の例で言えば、より強力な侵入者を招いてしまうところだったのだ。魔物と人間の精神を持ち合わせ、その狭間にあればこそ、使える業が必要だ。
アイン達が魔物として着々と己の力を開花させていく一方で、俺はこうして人間としての一面も持ちながら生きていくことになるのだろうか。
この湧き上がる罪悪感も、人間を殺した時に出来る心のとっかかりも、完全な魔物になりきれば捨ててしまえる感情だ。しかし、俺には人間であれねばならない理由が存在する。この感じている痛みをも、全て戦う力としなくてはいけないのだ。
「………帰るか」
無性に迷宮の闇が恋しくなった。ここは、明るすぎる。