13話 人間とは魔物とは
「人質をとるなんて卑怯な!!」
男が非難めいた口調で激昂して吠える。が、もちろんそんな言葉は俺の心には届かない。こちらとしてもなりふり構っていられる状況でもないのだ。
「口では何とでも言うがいいさ。ただし、行動に移したらどうなるかわかっているな?」
ナイフを女の首筋に少しだけ食い込ませる。薄皮一枚切れたといったところか。
「ま、待て!わかったから彼女には…エレーヌだけには手を出さないでくれ!!」
大層取乱しているようだ。よほどこの女のことが大事と見える。ここに来る前に聞いた会話だと、どうやらこの二人は懇意にしているとのことだが、この男にはもはやなす術はあるまい。
しかし、俺に取り押さえられている女のほうはというと。
「あなた、一体何者なの?人間……じゃないよね」
鑑定スキルは俺に効かずとも、俺が人間ではないことはわかるらしい。それになかなか肝が座っている。とても敵に命を握られている者の様子とは思えなかった。
「ああ、俺は魔物だ。だからこの迷宮に仇なすお前たちを捨て置くわけには行かない」
その度胸に免じて答えを教えてやる。まぁ正確に言えばコイツらを襲った理由は違うのだが、全くの的外れいうわけでもないだろう。
「そう、噂は本当だったのね」
女が呟く。なにやら意味深なセリフだが、人質の戯言に付き合ってやるほど時間の猶予はない。こうしてる間にも徐々に俺の傷口は広がっていっているのだ。
が、なにか引っかかったのも事実だ。無言で先を促してやる。
「普通の魔物にはない知性を兼ね備え、まるで人間そっくりに暮らしている魔物達の住む迷宮。実物を見るまではとても信じられなかったけど、こうして出会ったらそうも言ってられないわね」
「ほう」
シカリウス傘下にある迷宮たちのことだ。人間たちも薄々その存在を感じ取っていたということか。だとすればまずいことになる。もしその存在が公になってしまえば早々に排除の対象として認識されてしまうだろう。下手をすれば勇者が直接乗り込んでくる可能性だって出てくる。
「まさかお前たちが大群でここを襲っているのは俺たちの存在を抹殺するためか?」
「いいえ。噂を聞いた冒険者たちが有志で集まってその真相を明かそうとしただけよ。もっとも、後からそのおこぼれを狙おうと付いてきた騎士団連中は知らないけど」
まぁそんなところだろう。奴らすべての戦力を合わせてもこの迷宮を攻略するには至らないと話に聞いていた。しかしこの女、やけにベラベラとしゃべるのが気になる。
「情報を教えてくれるのは有難いが、俺の命が尽きるまで時間稼ぎをしているのか?だとすれば無駄なことだと言っておくが」
「違うわ。あなた達にはこれでも同情しているのよ?だって……」
ふと不穏なものを感じる。もちろんこの二人が何か動きを起こしたとかそういうのではない。俺はしっかり見張っている。何かあればナイフのひと振りでこの女が死ぬのは分かっているはずだ。
「……だって、それほどの知性があるならきっと死の恐怖に悶え苦しみながら死んでくれるだろうから」
気がついた瞬間もう手遅れだった。女の手をねじり上げて触れ合っている場所から急速に相手の魔力が流れ込んできたのだ。
「これは……体の自由が効かない…?」
女から伝わってきた魔力が内部から俺の体を掌握していく。俺にも微量だが魔力があるはずなのだが、それすらも飲み込み一体化されてしまった。
「アハハハハハッハハハハ、私を捕まえたと思った?残念でした。私の体に触れた時点でもう勝敗は決まっていたのよ。形勢逆転ね、魔物さん?」
豹変したかのような笑い声を上げる女魔法士。
場違いな感想なのだが俺は関心してしまった。通常は魔力の流れを体の中で操作するのはそこまで難しいことではない。というより魔法を使うときはそれが必須となる。体内に十分な魔力があってもそれをコントロールしなければ意味がないのだ。体の外に飛ばしたり、内に滞留させたり使い方を分けることでより高度な魔法を習得していくこととなるのだ。
しかしこの女は他人の体でそれをやってのけた。レベルこそそこまで高いわけではないのだが、魔力の制御ということに関しては宮廷に仕えるメイジクラスの腕前だろう。
「ねぇあなたはどんな声で鳴いてくれるの?命乞いしてくれるの?ずっとあなた達みたいなのを探していたわ。だって普通の魔物って叫び声こそ上げるけどなんだか味気ないんだもの。もっとこう真に迫った表情をしてくれなきゃつまらないでしょ?」
チラリと見ると女の目は狂人のそれだ。じゃあ男のほうはというと、驚愕に彩られていた。
「エ、エレーヌ。お前は一体何をいっているんだ!?」
「なあにジーク?貴方だって言っていたじゃない魔物は殺さなきゃって。私はただそれをもっと惨たらしくやって楽しみたいだけなの」
「で、でもそれは皆を守る為で……」
「そんなもの建前よ。私はただ遊びたかっただけなの。でも人間に相手にしちゃったらまずいじゃない?だから貴方にお願いして旅を始めたの。私が好きなように遊べるオモチャを探すためにね」
「う、嘘だっ!!魔物だからってそんなことをしていいはずないじゃないか!目を覚ましてくれよエレーヌ!君はそんな人じゃなかったはずだ!!」
「……はぁ、馬鹿な男だと思ってたけど。ここまでなんてね。貴方は黙って私の盾でもやってりゃいいのよ。私の趣味に口をだなさいでくれない?」
その言葉を聞いて信じられない、信じたくないといった様子でジークは項垂れた。
「そういうことよ魔物さん。傷も治してあげるからこれからいっぱい二人で楽しみましょうね?」
凄惨な笑みを浮かべ俺に問いかけてくる。このカップルの関係が本当のところどうだったのか想像には難くないのだが、そんなもの俺には関係ない。
彼らの底を見た気がした。勇者の卵、ここらあたりが限度か。ならば退場して頂こう。
「ああ、いいとも。だがその前にお前にはもうちょっと世界の広さを知ってもらう必要がありそうだがな」
はて、という顔しているエレーヌを無視して俺は意識を集中させた。俺の高位スキルのひとつ、魔法制御。何も魔力の扱いが上手いのはコイツだけではない。というか。
「う、うそっ!?」
簡単に拘束から抜け出してみせる。スキルレベルで言えば俺が圧倒的に上回っているのだ。今まで魔法に回す魔力がなかったことから使うに使えないスキルだったのだが、こいつが俺の体に魔力を通してくれたおかげでその障害もナシだ。
女の丹田、下腹へと手を添えやる。こうしてやれば直接魔力を操りやすくなるだろう。
「え…!?何これ、体が勝手に……うあっ」
コイツは俺の体の動きを止めるにとどまったのだが、もう少し工夫してやれば相手の動きさえも簡単に操ってしまうことができる。
「エレーヌ!どうしたんだ!?」
驚きの声を上げる男。あいつには何が起こっているのか見当もつかないだろう。しかし声を上げるのも当然だ。なぜならエレーヌは俺に操られ、魔力のこもった杖の先を彼に向けているのだから。
「さよならだ勇者殿。好きな女の手にかかって非業の死をとげるのも物語としては面白いだろ?」
言い終わるのと同時に杖から強力な炎がほとばしる。なんの防御の形もとっていなかったジークはなす術なく後方へと吹っ飛んでいった。奴と俺のレベル差では攻撃が通るかどうか心配だったのだが、こうしてしまえば簡単だ。
「一時は本物の勇者とも疑ったのだが、お前にはその資格はないな」
俺は女へとささやき首筋に牙を突き立てた。ヴァンパイア達の得意とするところの吸血の為だ。俺はヴァンパイアへはランクアップしていないのだが、牙が伸びていることから恐らく身体の準備は整いつつあるはずだ。
こうしなければ俺の死は避けられないだろう。刻一刻と広がり続ける傷を塞ぐにはこの女の血を取り込むことで体の修復を図る意外に生存はかなわない。
「か………は……」
エレーヌがパクパクと口を開き、言葉にならない声を上げている。中途半端に生かすつもりはない。
俺達の正体を確認してしまった以上生きて返すわけにはいかないのだ。
「う……これは、なかなか堪えるな。やっぱ少し早すぎたか…?」
血を飲みきったエレーヌの死体を離し、急に襲ってきた頭痛に耐える。まるでマグマでも飲み干したかのように体が熱い。傷口が塞がっていくのが救いだが、体の変調はちょっとまずいかもしれない。まともに立っていられないほどの目眩も押し寄せてきた。
「うぐ、気持ち悪いぃ。でもなんだろうなぁこの感覚。ちょっと開放的だなぁ」
何も考えられないほど頭の中がごぼごぼとにえたぎっている。レベルアップ独特の興奮感と合わさってなんだか気持ちよくなってきた。
「湯あたりでもしたみたいだなぁ。風呂ぉ?ああ早く帰って風呂入ってゲームして寝てぇ。くっそおうなんでおれがこんな目にあわなくちゃいけないんだぁあ」
平衡感覚が失われている。目に入る景色もハレーションを起こしてしまって何がなんだかわからない。身体にちょっとした衝撃が走った。転んだのだろうか、それすらもわからなかった。
「……いてぇ。痛い痛い痛いいたイタいたい痛いィーーーーーーーー」
絶叫する。何がなんだかわからない。転んで?ぶつけた箇所を庇って体を丸める。まるで癇癪を起こした子供のようだ。もうこんなとこは嫌だった。誰か助けて欲しい。なんで俺がこんな目に。気が狂いそうだった。いやもう狂ってしまっているに違いない。
涙が出てきた。急に世界の全てから見放されてしまったような孤独を感じ始める。もうだめだ。感情の抑制ができない。俺はしくしくと泣き始める。
記憶からわけのわからないイメージが浮かんでは消えていく。それも一生封印しておきたいような辛い思い出ばかりだろう。ドブさらいでもするかのように記憶の奥底に眠ったヘドロを掻き出されていく。吐き気を催し、思わず吐瀉物をぶちまける。
ここで狂い死ぬのか。こんなとこで。一人ぼっちで。
そして急に何もかもが憎く感じた。俺をこんな目に合わせるのか。なんで誰も助けてくれないのか。
裏切られた。あいつは俺を裏切った。そんなお前が俺を殺しに来るのなら、同胞もろとも容赦なんてしない。一切合切全て滅ぼしてやる。
「立てよ、魔物」
急に声が響いた。視線を向けてみるとさっき炎に包まれ燃え尽きたはずの男が立っている。
「絶対に許さない。勝負しろ」
身体のあちこちは火傷でひどい有様だった。恐らく満足に戦えもしないだろう。それでも男は立っている。俺を討ち滅ぼさんと立ちふさがっている。
「なんだよ……もう一回おれをころすつもりなのか……?」
思考がはっきりしない。あいつの名前はなんだったか。こいつは誰だったか。こいつはあいつなのか。またお前と戦うのか。今更俺になんの用なのか。
「いいぞ。そんなに殺されたいって言うなら付き合ってやる」
勇者。その一言が脳裏を駆け巡った瞬間思考がクリアになっていく。俺は体を起こした。
「そんなにあの女をやったのが頭にきたか?やめとけ。あの女はお前の手に負えるようなもんじゃなかったはずだ。それとも夜にあの能力でもって可愛がってもらってたのか?もしそうならとんだ好き者だな?」
「エレーヌを侮辱するな。俺たちはそんなんじゃない……でも彼女のことを愛していたんだ。だから絶対に許さない。お前は、この手でッ!」
不屈の闘志を見せるジーク。個人的にあの女は勇者の器とは思えなかったのだが、この男は違うらしい。燃え盛る炎を背負い、不退転の覚悟で俺を撃滅しようと挑んでくる。
そうだ。そうこなくては意味がない。いずれ勇者へと至る者すら殺せなくては俺の行く末などたかが知れたものになってしまうだろう。だが俺はそんなところで終わるつもりなどない。その怒りも悲しみも背負ったもの全てを俺が取り込んでくれる。
「そうかい。じゃあさっさとこいよ。あの世で今度こそ結ばれるんだな」
「言われなくとも!」
咆哮をあげて疾走してくる。満身創痍なのが嘘のような動きだ。一瞬きらめいた刃が俺の首を撥ねようと襲いかかってきた。そのスピードはこの脇腹を抉った一撃よりもさらに速いだろう。だが、今の俺には止まってみえる、遅い。ジークの剣を上体をわずかに逸らすだけでかわし、その首筋にざっくりと牙を打ち込んでそのまま引きちぎってやった。
ジークはその場で膝を折り、血だまりに沈んでいった。
「フフフ、はは、はははははは。こんなものかよ人間ってのは。早々に見切りをつけて正解だったな。
ざまぁないなおい。勇者だと?正々堂々と敵と戦う?愛と正義を胸に強大な敵へと立ち向かっていくだって?現実はそこまで甘かないんだよ。そんなんだから古今東西てめぇらはろくな最後を迎えないんだ」
呼びかけるのだが当然返事は返ってこず、物言わぬ死体が沈黙を守った。
「しかし人間の血の味か。なるほどなかなか美味い。これならば味を占めて手当たり次第に村人を襲う魔物が出てくるのも頷けるな」
自分が真に魔物となりきったのを感じた。人間の尊厳だとか良心の呵責だとかそんなものは犬にでも食わせてやったほうがまだマシだ。俺は魔物として生きる。この瞬間、自分以外のすべての生き物が捕食の対象に成り下がった。
「あん?」
物音を聞きその方向へと視線を移してみる。見れば俺たちの他にこのフロアへと配備された魔物たちが暗闇からこちらの様子を伺っているようだ。
「……へぇ。もしかしてこいつらの血の匂いに誘われてきたのか?」
彼らの表情を見ると皆が皆血走った目をしており、舌をだらりと伸ばして荒い息遣いをしている。飢えた獣のようだ。その視線は勇者たちの死体に集められている。
「死肉でも漁るつもりなのか?それとも追い剥ぎでも?あるいは死体を辱めようとでも?ははは、おあつらえ向きだな」
彼らとて必死なのだ。上層に配置されたことで生存は困難を極める。そうでもして己の魔物としてのポテンシャルを引き出さねば戦い抜くことはできないと本能で悟っているのだろう。
構わないさ。今の俺ならどんな禁忌でも犯してみせることが出来る。同胞たちに振舞ってやるのも一興だろう。獣同士仲良くやっていこうじゃないか。と、亡骸に目を向けたのだが。
「……………」
ジークの死体がない。逃げたのかとも思ったのだが、血で出来た道しるべを辿ってみると自ずとその答えがわかった。
おそらく瀕死の重傷をおいながらもそこまで這っていったのだろう。エレーヌの手を握って絶命している。スーッっと興奮の熱が体から引いていくのを感じた。なんだか見てはいけないものを見てしまったようだ。
「……悪いな。この獲物は俺のものだ。みんな消えてくれ」
そう言うと魔物たちは名残惜しそうにしながらも背を向けて去っていった。
歩いて彼らの死体へと近づいていってみる。ジークは心なしか安らいだ表情を浮かべていた。俺から受けた傷は間違いなく激痛を孕んでいただろうに。
「ふん………甘いことだ」
こんなことをしている暇があるのなら俺に最後の一撃でも見舞ってやったら良かったのだ。俺が錯乱状態にあった時も、こちらが回復するのを待たず首を撥ねてやればよかったはずだ。そんな甘い考えでよくここまで来れたものだと思う。
しかし、己が思い人の歪んだ感情を受け止め一度は膝を折った彼なのだが、再び立ち上がり俺へと刃を向けた。それでも彼女を愛していると仇を討とうとしたのだ。その思いは甘ったれた小僧の奇行などという言葉で片付けていいものではないとも思う。
懐から炎のポーションを取り出し、彼らの体にかけてやる。ごう、と轟いて火が彼らを包んでいく。
同情などというものは感じない。これは戦いだ。一歩間違えば屍を晒していたのは俺の方である。
もしそうなっていては俺は何も守れなかった。だからこの結果について俺は絶対に間違いではなかったと言える。いや、言わなくてはならないのだ。
ならば墓の名を冠する俺はその最後を見届けなければいけない。
せめて彼らがアンデッドとして蘇り、物言わぬ死体として歩き回らぬよう送ってやることにしよう。ぼんやりとそんなことを考えながら、気がつけば炎が燃え尽きるまで見守っていたのだった。