10話 戦いとは
「おかえりなさいませ」
「ああ、ただいま」
アイン達にお土産を渡し、買ってきた品物等を確認してから腰を落ち着ける。
結局あれはなんだったのかわからない。白昼夢でも見たのかと思ったのだが。
「洗っても取れないな。完全に染み込んでる」
現在俺の人差し指にポツリと黒いアザのようなものができている。ちょうどあの妖姫の涙とかいうものと同じくらいの大きさだ。夢ではないだろう。それにスキル欄にある空間侵食の文字。おそらく無関係ではあるまい。
「スキルを使ってみれば何かわかるか?試してみる価値はありそうだ」
つぶやきながら空間侵食を発動させてみると。アザのある場所からなにやら液体のようなものが溢れ出てくる。しかし決してこぼれ落ちず、俺の体から離れようとしない。何かのたびに震えたり動いたりといのを繰り返していたが、やがてこれは俺の意思で形を変えるものだということに気がついた。
「む、ダメか」
試しにたまたま近くにあった精巧な作りの花瓶を再現しようとしてみたのだが失敗してしまう。ではあっちのボトルは?スプーンはどうだ?という風にいろいろ試してみる。
「はッ?、俺は一体何を」
気がついたときにはドライをモデルにミニ石膏作りを始めようとしたところだった。なにやら夢中になってしまっていたようだ。
まぁそれはさておき検証の結果、この液体金属のようなものは総量が限られており、固くも柔らかくも出来て尚且つある程度俺の思い描いた形にすることができる、というものだ。
パッと思いついたのは鍵を作ってしまうこと。鍵穴にこれを忍ばせ、形を徐々に変化させながらロックを外す。つまりピッキングだ。そしてもう一つは。
「結構な強度だな。これならそうそう折れる心配もないか」
先を鋭利に尖らせ、また出来る限る薄く伸ばすことで刃にもなる。なかなか使い勝手が良さそうだ。
「しかしなんでこんなものが。今度どこかで見つけたら詳しく聞いてみよう」
あのダークエルフのことだ。彼女の様子からまたあの店に現れるかどうかは疑問が残るものの、顔は覚えておこう。
「ご主人様。お風呂の用意ができました。」
「そうか。ありがとう」
この屋敷には風呂がついているのだがこれはなかなかに珍しい。当然体を洗ったりすることは必要なのだが、基本的に風呂というのは娯楽の類に含まれる。今までは身体をタオルで拭いていたので、さぁ久しぶりの風呂だと少し心躍らせながら向かう。でも俺はかつて風呂に浸かったことがあるのだろうか、などと考えていると。
「ん?こんなところに部屋なんてあったか?」
風呂へ向かう道中で妙なものを見つける。襖だ。この屋敷が広いとは言え、一通り回って部屋割りは覚えたのである。こんなものはなかったはずだ。記憶違いかともおもったのだが、この屋敷は東方式の建築デザインではないので、こんな風に襖があると場違いで強く記憶に残りそうなものだが。
開けてみようと手をかけるのだがビクともしない。
「なぁ、この部屋は一体何に…」
使っているんだ、とフィーアに訪ねようとした矢先。
「邪魔するぞ」
力を加えても全く開く気配のなかった襖がガラリと動き、中からラフな格好の楓が姿を現した。
「……え?」
「よさぬか、照れるではないか」
思わず楓を見つめてしまう。開かれた襖の奥に視線を移すと、そこにはこの屋敷よりさらに広い空間が広がっていた。
「…………」
「なへわらはのほおをふねる」
「いや、夢かと思って」
「それは自分の頬でやることじゃろうて」
彼女の柔らかい頬の感触と、すべすべとした肌に若干の名残惜しさを感じながらも手を離した。
「ただ単に妾の屋敷とお主の家をゲートでつなげたに過ぎぬ。こうすれば便利じゃろ?」
「便利って、ここは俺の家ってことになっているはずなんだが」
「ミーナからここに住まう条件を聞いたはずじゃ。お主はここでごく普通に生活しておればいいのじゃ」
ニッと笑ってそう答えた楓であった。そういうことか。なぜかはしらないが楓に気に入られてる俺なのだが、こうして訪ねてくる時に遊び相手になれということなのだろうか。
「昨日今日で無茶苦茶なことが立て続けに起こってるな……」
「なに、その内慣れるじゃろ」
これまた似たようなセリフをつい最近聞いたなと思いながらも、結局流されてしまったのだった。
◇◇◇◇◇◇
あれから数日たったのだが、ついに迷宮作成部からのオーダーが降りてきた。この前の迷宮とは違う場所で、今度こそ最前線へと回されるとのことだ。家を空けてしまうことになる旨と、前のように手を回すのは止めて欲しいと楓に言ったのだが。
「お主はそういう男じゃ。好きにすると良い。ただ必ず生きて帰ってくるのじゃぞ」
幸いにも理解を示してくれたようだ。アイン達を借り受け家をあとにする。さて、ゲートを通ってさっそく迷宮へいくかなどと考えていると。
「…………」
刺すような視線を感じた。敵意はないようだが、どことなく嫌な雰囲気である。さらに、経験するのは恐らく初めてではない。
「悪いが先に行っててくれ」
アイン達にそう言いつけて視線の主を探す。すると。
「グレイヴというらしいな。また会えて嬉しいよ」
すぐに見つかった。どうやら相手は俺を呼び出したかったらしい。不敵に笑っているその正体は……デュミナス。
「俺はそれほど嬉しくはないな。ただ、お前には借りがある。それをここで返させてくれるのか?」
借りとはあの迷宮での出来事だ。こいつのおかげでどれだけの被害があったのか忘れてはいない。俺としてはもう少し力を蓄えてから挑みたかった相手なのだが、こうして出会ってしまったのならそれも詮無い話だ。
「……ずいぶんと嫌われたようだな。よほどあのことを腹に据えかねてるということか?」
「当たり前だ。何人死んだと思っている」
「ふんっ……あたしとしては、あのまま全滅してくれていれば証拠隠滅も楽にできたのだがな」
まだそんなことをと思い、構えの形をとった。口で言って素直に聞くような女ならば、そもそもあんな事態にはならなかったのだ。やはり戦うか。正直言って勝てる可能性などないだろう。だが、向こうも生き物である以上全く害せないということもないはずだ。
「やめておけ。力の差がわからぬお前ではないだろう。あたしとしても今日はそんなつもりはないんだ」
それにな、といいかけた瞬間急に姿を消した。敵を見失った俺は焦って周りを見渡すのだが。
「お前を気にいっているんだ。あの迷宮での戦いを見させてもらったが、なるほど。悔しいが、あの狐の目に間違いはないようだな」
いつの間に俺の背後に回ったのだろうか。腕をきつく掴まれながら、耳元で囁かれる。
「好みのタイプまで同じなのが少々気に食わんが、なに構うまい。先に唾を付けておくとしよう」
うなじになにやら硬いものを感じた。歯だ。それが徐々に食い込んでいき、もう少しで噛みちぎられると思った瞬間。
「くッ、……!」
すんでのところでデュミナスの手を取り払い距離をとった。肩を確認して見れば歯型がついており、ジンジンとした痛みが伝わってきた。
「なにすんだ」
「ふふ、その痛みを忘れるなよ?そして、ほらクエストだ」
巻かれた紙を紐で止めたものが投げ渡される。クエストだと?
「こう見えてもあたしはここの統治者の一角だ。恩を売っておいて損はないと思うが?」
「お前の頼みを俺が聞くとでも?」
「……いいか、何を取り繕っているのかは知らないがそんな物は私達には不要だ」
急に雰囲気を変え、俺の目を見据えて言い放つデュミナス。まるで俺が本心を隠している、とでも言いたそうだ。それに私達、と言った。これは何を指すのだろうと考えていると。
「私はこのシカリウス領の守護を任せられている。そんな私がお前を見定める為とはいえ、いたずらに戦力を消耗させると思うのか?」
あの迷宮でのことか。他に何か狙いがあったとでも言いたそうな口ぶりだが。
「あの程度で死ぬようなやつらは必要ないのだよ。いいか、もう一度言うが我らはこのシカリウスの守護を第一としている。不抜けた軟弱者にはその任は務まらないのだ」
……まさか、あそこにいた者全てを侵入者に襲わせて振るいにかけたというのか。
しかし、そう考えれば引っかかっていたことに説明がつく。後方任務ということもあって、あの迷宮にはこのシカリウス領の中でも比較的低級な魔物たちが多く働いたわけだが、魔物の大群に襲われても俺を含む少数は生き残ったのだ。あの迷宮にいたものが奮戦したおかげと言ってしまえば頷けないこともないのだが、なぜかいい塩梅でギリギリの戦いへと発展していったことが気がかりだった。
敵の大群がべらぼうに強い、あるいは弱いという展開も起こり得たはずなのだ。偶然だと片付けることもできるが、鑑定スキルを持っていた俺はそうは思えなかった。侵入者のレベルのことだ。
多少のばらつきはあったものの、高レベルの魔物でもせいぜい15を超えることはなかった。20レベルが現れても良かったはずだ。30レベルでもいい。デュミナスほどの強さの持ち主ならば容易に呼び寄せられたはずである。
そんな魔物が混じっていたらまず間違いなく全滅していただろう。それほどレベル差とは絶対的なものだ。しかしそうならなかったということは。
「わざと俺たちに合わせた強さの魔物を呼び寄せたっていうのか?」
「ああ。数も調整していた。迷宮作成部は私の部署のひとつだ。トラップで倒してしまう魔物の差分まで計算してやったんだぞ?」
それでも半分以上全滅させてやる気でいたのだがな、といい薄く笑った。
「………もしそれが本当だったとしても、あそこにいた者達は後方支援向きのスキルを持った魔物達ばかりだった。戦闘はお門違いじゃないのか」
「敵が急に攻めてきたらそう言い訳して勘弁してもらえるわけでもなかろう。刺し違えてでも敵を殺す気概を見せろというのだ。」
「……………」
こいつとは出会いからして最悪だったのだが、気に入らない理由がわかった気がする。
同族嫌悪というものがある。この場合で言えばデュミナスと俺の考えだ。正直なところ似ている、と思う。戦いにおいては弱さは罪だ。不抜けた者をのさばらせておけばそれだけ勝率が減ってしまう。そんな者は切り捨ててしまうべきだ。無論一般人はその限りではないのだが、戦闘員は甘さなどというものは捨てねばならない。強くならねば、強くあらねば、守るものも守れなくなってしまう。だが。
「お前のやり方は乱暴すぎる」
「生憎こんな方法しか思いつかないのでな」
俺は自分の力が足りないことを呪った。こいつを止めることもできない弱さを。
「フフ、その目だ。私たちは同じ穴の狢なのだよ。私と戦いたいだろう?私の言い分に一定の理解を示していながらも、何故か許せないだろう。私も同じなのだ。ずっとお前を壊したくて仕方ないんだ。だから待っているぞ、お前を壊す日を。ああ、たまらない。こんな気分は初めてなんだ」
恍惚の表情を浮かべて自らの身体を抱きしめるデュミナス。
そんな姿を尻目に俺は背を向けた。これ以上話しても無駄だろう。俺はまだまだ強くなる。それはとっくの昔に決めていたことだ。ただ取り払わねばならない障害が増えたというだけ。それだけだ。
「さよなら、私の恋人。お前は私のものだ」
無視して歩き続ける。無性に血が見たくて仕方なかった。