#第肆幕
山で狩った鹿の血肉を振り撒きながら、テッポウを担ぎ"マシラ"の面を被り猟に赴くが如き姿で狂乱する
セツに村長は何事かと詰めより娘に問うのであった。
「一体何事じゃ、その様な振る舞いで村の者達もお前さんが遂に気が触れたと囁く者もおるぞ」
「村長様、どうかこの奇行には目をお瞑り下さいませ。セツは村に潜み棲む人喰いの"山狗"どもを討伐し、父様の仇討ちを果たしに参じました次第で御座います」
セツはそう告げると、手にしていた鹿の血が詰まった竹筒の蓋を開けると中身を周囲に振りまき、残りを自らの頭から被り、叫ぶのであった。
「さあ、"山狗"どもよ、その化けの皮を剥がしてやろうぞ!!」
血にまみれ、叫び喚くその姿を見て村長はその頭を抱え込み、この猟師の娘が本当に狂ってしまったのだと嘆くので在った。
*
「良いか? 奴らは"化獣"とは言え、所詮"山狗"……奴らに"ヒト"程の自制心も理性も無い。奴らは己の欲望と渇望を満たす為に生きておる、"ヒト"に化ける術を持ったのもその方が狩りをし易い為、主の"マシラ"の面と同じ様なモノだ」
山の中を駆けるセツに並んで"獣"はそう告げる。
「故に、奴らの前に"餌"を突きつけてやるのだ。奴らが好む鹿の血肉を振り撒き、たまらずに文字通り尻尾を出すのを待つのだ。一匹でも良い、奴らの中で一匹でもその尻尾を出して"餌"に喰らい付いたらば、その一匹を討ち取るのだ。奴らは"群"で生きるモノ達だ、仲間を殺されれば必ず主に報復する為に姿を現す」
そうして連鎖する報復を勝ち続ければ良いと"獣"は告げた。
セツはその言葉通りに行動する為に"餌"となる鹿を捕り、その血肉を得ると山に入る為の姿の侭で村里へと降りるので在った。
"マシラ"の格好をしたままで村里へ降りたのも"獣"の入れ知恵だ。
"狗"は"猿"を嫌う――犬猿の仲と言われる程に、"山狗"と"マシラ"は仲が悪いのだ。
故に"狗"を挑発するのにこれ以上無い程の姿と言えようと、"獣"は言うので在った。
*
鹿の血肉を振り撒き、自らその血を浴びる気の触れた猟師の娘に"山狗"は苛立っていた。
何よりも、あんなにも美味そうな肉を前に指をくわえた侭で眺めているだけと言う事に加え、忌々しい"マシラ"の姿をしてその血肉をぶち撒ける娘の味を想像してしまうとたまらなく喰らい付きたくなる。
気の触れた振る舞いを見せていた娘はいつの間にか高笑いを止め、その背に担いでいたテッポウを手にこちらをジッと見つめていた。
――否、娘だけでは無かった。
村の人間が驚愕と怯えの表情で、自分を見ていたのであった。
そして、その時はじめて己の"化身"が半端に成っている事に気が付くと、村里の男の皮を被った"山狗"は今までタガが外れたかの様に獣の如き唸りをあげ、その鋭い牙と爪を剥き出しにして"マシラ"の姿をした猟師の娘に襲いかかるので在った。
・
「姿を現したな"山狗"めッ!!」
化けの皮が剥がされ醜い姿を曝す"山狗"に、セツは電光石火の如き素早さでそのテッポウの砲身を"山狗"へ向けその狙いを額へと合わせる。
刹那――鳴る神の如く銃声と"山狗"の叫びが村に鳴り響く。
セツの放った鉛のつぶては"山狗"の額に一点を穿ち、たった一撃でその生命を奪い去る。
遂に最初の"山狗"を討ち取ったセツ――ピクリとも動かぬその"山狗"の頭を持ち上げ、小刀を抜き放つとその喉を斬り裂く様に小刀を振り下ろす。しかし、"山狗"の堅甲な骨に阻まれ首を切り落とせぬと悟ったセツは近くの小屋に在る、薪割の鉈を手に取ると改めてその首に重い鉈の刃を叩き落とすのであった。
「見よ!"山狗"よ、貴様等の仲間はこのセツが討ち取った!!貴様等が父様を喰い殺した様に私も貴様等を全て狩り出すまで、こうして"山狗"どもの首を曝し続けてやろう!!」
"山狗"の首を持ったセツは、その首を高らかに掲げるとそう叫ぶ。
セツの言葉に圧倒され、誰もが今しがた起きた事に夢うつつな様子でセツを見る村人の中で、セツに憎悪と殺意の視線を向ける男が一人、一歩一歩とセツに歩み寄る。
其れに気が付いたセツは掴んでいた"山狗"の頭を捨て、テッポウを手に取る。
火薬筒の封を噛みきると、其れをテッポウの銃口から流し込み鉛弾を装填する。
口の中に火薬の苦みが広がり、セツは唾を吐き出すと捨てる様に言う。
「其れ以上近づけば主も撃つ」
「よくも――」
その男は打ち捨てられた"山狗"の躯を抱き上げると、セツに憎悪を込めた視線をぶつける。
「よくも我が弟をやってくれたなッ!!」
男は抱いていた躯をセツに投げつける。
セツは其れをとっさに退いて避ける――その隙を逃さずもう一匹の"山狗"は鎌の如く鋭い爪を剥き出しに、セツの喉元を掻き斬らんと迫るとセツはその爪をテッポウの砲身で受け止める。
セツと"山狗"の力比べは"山狗"がセツの持つテッポウを弾き飛ばす。
セツは小刀を抜き放ち一閃するが"山狗"は其れを後ろに飛んで退ける。
互いに手傷を負わせるほどでも無く、再び距離をとって対峙する。
しかし、セツの手からテッポウは離れ、その手に握られるのは小刀のみ。
一方"山狗"は、その姿が邪魔になったのか自ら化けの皮を脱ぎ捨てて醜い"山狗"の姿へ戻るとその鋭く大きな牙と爪を剥き、セツに見せつけ威嚇するかの様に唸るので在った。
「さあ来いッ、醜き"化獣"めッ!!」
小刀を構え、勇ましく叫ぶセツに"山狗"は一跳びで跳び掛かるとその牙でセツの喉を噛みちぎり、その爪でセツの躰を穿たんとする。
セツはその爪をかわし、その牙をかい潜り――小刀を"山狗"の喉笛に突き立て力を込める。
喉笛に突き立てた小刀を真一文字に振り抜くと、おぞましい断末魔の絶叫をあげた"山狗"はピクリとも動かなくなり、絶命する。
セツは覆い被さる"山狗"の躯から這い出ると、一匹目の"山狗"の様に鉈を拾い上げるとその首へ打ち降ろし、討ち取ったその首を高らかに掲げて村に潜む残りの二匹へ見せつけるかの様に晒し上げるのであった。
・
その日の晩、村里は二匹の"化獣"を退治した猟師の娘を讃える為の祝宴があげられた。
しかし、当の娘は宴の場におらず、村の近くに湧く湯の浴場へ向かい、その獣の血を洗い流すかの様に裸に成ると小刀を近くの岩場へ立て掛けて、その身に浴びた血の臭いを消す為に香油を使い躰を洗い流すのであった。
「いやはや、"化獣"を討ち取った是程の技量――生娘とは思えぬ程に強く、美しい。其れなのに、テッポウだけじゃ無く小刀の扱いにも長けておるとは油断ならんよなぁ?」
唐突にそう言って、一糸纏わぬ姿の娘の前に現れるたのは村一番の働き者と名高い男である。
男は湯を浴びる様子でも無く、浴場で男を見上げる丸腰の娘を舌なめずりして見下ろすと、ゆっくりと娘の近くを彷徨き始める。
「だが、無手ならば……牙も爪も持たぬ只の娘である今ならば、簡単に主を喰い殺す事も出来よう」
男はセツに見せ付ける様にその口に並ぶ鋭く不揃いな牙を剥き、娘の周りをグルグルと歩く。
セツが動いたその刹那、男――三匹目の"山狗"は岩場に置かれた小刀に跳び付き、其れを払い除けると跳ねる様にしてセツを湯の中に押し倒す。セツは湯の中で必死に溺れまいともがくのだが"山狗"の力は強く、セツには押し戻すことも出来ない。
しかし、セツが湯の中で意識を失う直前に"山狗"はセツの頭を湯の中から掴み上げると、堪らず息を吸ったセツはその空気と湯の水で激しく咽返る。
「仲間を殺した貴様を簡単に殺しはせん、まずは貴様の肉の感覚を存分に味あわせて貰った後に生きたまま手足から喰らってやろう。そして村の人間どもにその身体を存分に晒した後、貴様の臓物を喰らってやる」
"山狗"はそう告げると自らの肉欲を示すかのように滾らせた"ソレ"をセツに見せつけ、下品で不快な笑みをあげる。
セツは"山狗"から逃れようとするのだが、先程たらふく飲んだ湯の為かはたまた己の身に降り懸からんとする凶行に対する恐れか、その足はセツの言う事を聞かずに前へ出ない。
セツはただ、怒りと憎しみの眼差しを向け己の中の恐怖を隠し通そうとする。
「"山狗"如きがぁ、我のモノに手を出すなど一遍たりとも許しはせんぞッ!!」
まるで"獣"の如き咆哮と共に、そこへ現れたのは"山狗"とは違う巨大で灰色の"獣"であった。
獣はその化身を解き、文字通り"獣"の姿で現れると娘に覆い被さっていた"山狗"の躰を噛み砕く。
たった一口で、胴を噛み砕かれた"山狗"は湯場を赤く染める。
しぶとくも、辛うじて這いずって突然現れた"獣"から逃げようとするものの"獣"の大きく鋭い前脚の爪に貫かれ、其の後はもう擦り潰されて肉片と成るだけであった。
"山狗"を弄り潰した"獣"はセツに歩み寄ると、怯えるセツにその大きな口を開け、血で紅く染まった其の舌を伸ばしセツの頬に付いた"山狗"の返り血を舐め取り、詫びるのであった。
「すまぬ」
「え?」
「主の仇であったモノを、ついやってしまった故にな」
そう言うと、"獣"はセツのテッポウと小刀を咥えると、器用にセツを鼻頭を使って己の背に乗せその姿のまま駆け出すのであった。
「……ありがとう」
セツは疾走する獣の背中にしがみ付き、夜の山を駆ける"獣"にそう告げる。
「なに、礼を言うのはまだ早い。あと一匹……じゃがあと一匹と油断をするな」
"獣"はセツの住む山小屋へと駆けながら、テッポウと小刀を咥えつつも器用に喋るのであった。
「奴は最後の一匹だ――群れの中でも最も長く生き、最も賢く狡猾な奴よ。それ故に、奴は主の前に姿を現さなかった……奴は今までの三匹とは比較に成らぬ程に人に化けるのが得意な様だ」
山小屋の前に立ち止まると、"獣"は背中からセツを降ろして咥えていたテッポウと小刀を地面に置く。
セツはそのテッポウと小刀を抱えると"獣"のその巨大な体躯にしがみ付く。
「お願いだ、一緒に居て欲しい……今になって、恐ろしい」
「心配は要らぬ、何時もの様に我が主の眠る間、ずっと見守ってやる。だから心配せずに――」
セツは己の躰が震える様子を"獣"に知らしめるかの様に強くしがみ付き、その"獣"の大きな口に自らの唇を重ねる。
「――そうじゃない」
そして、再び懇願する様に"獣"の金色の瞳を見つめて言うのであった。