#第弐幕
たった一人で山へと戻った娘は夜が明け、日が昇った後に村長が送り出した村人達によって、父親の亡骸と共に発見される。
そして、身寄りの無くなった娘は村長の屋敷へ引き取られると言う話になるのであった。
だが娘は山の中腹にある小屋に住むと言うと、たった一人で父様と暮らした山小屋でかつて猟師の男がそうしていた様に山を駆け、茸や山菜をとっては村里へ降りて米や衣服と交換すると言う山の生活を始めたのであった。
やがて娘が十三の歳に成るとテッポウの撃ち方を村里のテッポウ撃ちから学ぶ様になり、その才能を見いだされると十五の歳に成る頃には娘――セツは村里では右に出る者が居ない程のテッポウ撃ちと成り、山に入っては猪や鹿を撃ち捕るに至のであった。
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「あの娘も年頃だと言うのに、テッポウを担いで"マシラ"の真似事ばかり。あの娘は"獣"に魅入られておる」
その日も山から鹿を捕って降りて来たセツを見て、村長はそう漏らす。
セツの捕ってくる獣達の肉や皮は町で売れば其れ成りの値で取引はされる。
しかし、セツは誰もが認める猟師であるとは言え、年頃の娘である。
ましてやこの様な山間の村里では娘達が婿をとり、子を成さねば直ぐに廃れてしまうのだ。
其れ故に、父様の亡き後に保護者となっていた村長は事ある度にセツに婿の話を振るのだが、セツは取り付く島も無く山へ篭もっては頂へ登り、父様の仇討ちである件の"獣"を探し、ついでに鹿や兎、時には猪を捕って村里へ降りると言う日々を過ごしているのであった。
かつて、セツは問いただそうとした村長に正面切って言った。
「セツの命は父様の仇討ちを果たす為に在るのです、父様の仇討ちを果たすまでは如何なる理由が在ろうともセツは山に登る事を辞める訳には行きません」
そう言った齢十五程度の娘の顔にはどんな大人よりも揺るぎ無い決意があった。
その決意を見た村長はセツに山へ入るのを辞めろと言う事を断念せざるを得なくなったのであった。
「あの娘は"獣"に魅入られておる」
村長の口癖の様な言葉は、セツと言う猟師の娘にとっては当たり前の様にそうなる運命であったのだ。
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セツは自ら彫りだした"マシラ"の面を被り、猪の毛皮を羽織っては父様のテッポウを担ぎ山の頂付近まで登り、獲物を捕っていた。
それが許されたのはセツが持つそのテッポウの因果と彼女が村里の誰よりもテッポウ撃ちとして優れた才能を持って居たからで有った。
しかし本来、女が山の中腹より上へ登るのは禁忌とされていた。
其れ故に山へ入る際にはセツがそうする様に面を被り"マシラ"の如く振る舞う必要が在ったのだ。
其れはこの山に在る禁忌を犯す自分自身を山の神から隠す為でもあり、"マシラ"へと成りきる事でこの山と一体に成り、山の恩恵を得る為でも在った。
故に、うっかりとその"マシラ"の面を沢の水で顔を拭った時にそのまま沢へと忘れてきた事に気が付いた
セツは、慌てて来た道を引き返し面を取りに戻ろうとしたのであった。
――だが、其れがいけなかった。
山の中で冷静さを忘れ、"マシラ"である事を忘れたセツは迂闊にも苔の生えた岩に乗ってしまいその足を滑らせて谷間の斜面を転げ落ちてしまったのだ。辛うじて躰を捻り、頭を打つ事は避けられたもののセツは躰を強く打ち足首を捻りその場から動けなく成ってしまったのだ。
「迂闊だな……」
セツは自分自身の迂闊さを呟くと、そのまま痺れる躰を岩肌に投げ出したまま大の字に転がる。
このまま夜に成れば山狗か熊にでも襲われるかも知れない。そんな事をふと思うのだが、セツの心は其れもまた然りと僅かに笑い、そのまま瞼を閉じるのであった。
どの位の間その瞼を閉じていたのだろうか。
夜虫が鳴き始め辺りも薄暗く成り始めた頃合いに、セツは己の頬を撫でるその感触に瞼を開く。
「何だ、死んで折らぬの乎」
その手の主は瞼を開いたセツを見て大きな口をニッと歪める。
灰色の髪と月の様に金色の瞳を持ち、髪と同じ様な灰色でゴワついた毛皮を纏う若い男は大の字に転がる
セツを見ると言う。
「怪我を至とるのか?"マシラ"の娘」
「見れば判る。それに私は"マシラ"では無く人間だ」
セツの言葉に再びその大きな口を歪めて笑う。
「"猿"と"人"など同じ様なもの余、違いが在ると須れば"愚か"か"愚かでは無い"かの差で至か無い」
「偉そうに高説を語るお前は一体何様のつもりさ」
セツは顔をしかめ、自分を覗き込む青年に問う。
「我の名など無い」
「では、狢か狐の類か?」
「"無字名"や"虚《狐》"と比べ等れるとは心外よ、我は誇り高き大神の末裔にしてこの山の主――」
青年はそう言うと、ギラギラとその金色の瞳を輝かせると大きく口を開き先程の様に歪めると、言った。
「主の探す"父様"の仇の化身じゃて」
青年――"獣"がそう告げた瞬間、セツは目にも留まらぬ早さで立ち上がるとその足下に落ちていたテッポウを手に取り、銃口を"獣"へと向けた。
「怪我をして処るのでは無いのか?」
「黙れ!! 父様を殺した貴様を討つ為ならこの程度の怪我など――」
セツはそう叫び、テッポウの引き金を引いた。
しかし、テッポウの弾はあらぬ方向へ飛び"獣"に掠りすらしない。
其れどころか躰に響くテッポウの衝撃でセツはそのテッポウを落としてしまう程に、転げ落ちた時の怪我が宜しく無い。
「私も父様の様に喰い殺すつもりか?」
セツは痛む躰を押さえながら目の前の"獣"を睨みつけて言う。
「主は勘違いをして処る」
「勘違いだと?」
"獣"はセツに近寄ると、その顔を覗き込むようにして告げる。
「我は確かに主の父様を殺し、その頭を噛み砕いた――が、喰らっては折らぬ」
「ならば何故父様の腹は喰い破られていたのだ!貴様が父様の頭を砕き、臓物を喰らったからであろう!」
「殺したのは事実じゃと言うとる。だが其れは主の父様が致命傷を負っていた故に、止めを刺してやった迄だ。そして、頭を砕いたのは山の獣にはヒトの臓物を喰らい、その後にヒトの皮を被りヒトに成りすます姑息な輩が居たからじゃて。主の父様の皮を被らせぬ為に我はその頭を砕く必要が在ったのじゃ」
「嘘だッ!!」
セツは腰に括られた小刀を抜くと"獣"の心の臓へとその刃を突き立てる。
「一つだけ教えてやる、我ら"獣"を屠りたいのならそんな小さな物ではなくこの位の爪でやる事じゃ」
"獣"はとっさに己の左手でセツの刺す小刀を握り止めると、右手の鉈の如く爪をセツの喉元に突きつけた。
「殺せば良い、どちらにせよ貴様を殺した後に父様の元へ旅立つつもりだ、命など惜しくは無い」
セツはその憎悪の宿る瞳で"獣"の金色の瞳を睨み付ける。
「殺さぬ」
「何故だッ!!」
「主は仇討ちを果たして処らぬ、そして我は主が本当に仇討ちを果たすべき"獣"を知って処る」
飄々とした様子で"獣"はそう言うと、娘の喉元に突き立てて居た指を顔の前に四本立てる。
「四匹だ。あの日、主の父様を屠った"山狗"どもは村人の皮を被り、抜け抜けと人里で暮らし闇に紛れては村人を襲い、喰らっとる」
"獣"の言葉にセツは唖然としたまま動かない。
「其れともう一つ、我はヒトなど喰らわぬ」
「嘘だッ、貴様は父様を喰らったでは無いか!」
唖然としていた娘はその言葉を聞くと、激しく否定をした。
「全く、話を聞かぬ"マシラ"の如く娘だ。言ったで在ろう。"山狗"どもはヒトの臓物を喰らい皮を被り、ヒトに成りすます、と。主の父様は手負いと成りながらも我の元まで辿り着き、我に己の皮を"山狗"どもが被れぬ様にしてくれと懇願したのだ。故に我は主の父様の頭を噛み砕き、"山狗"どもはその躯を悔し紛れに喰い散らかしたのだ。いや……ひょっと須れば、最初から我にその罪を擦り付け、主に仇討ちをさせる為に仕組んだやも知れぬ」
"獣"は小刀で貫かれた左手を舐めながら、一人で思考を巡らせる。
そして、再び娘――セツの顔を見定めると"獣"はその口を歪ませて言う。
「主が仇討ちを成すべきは、まずその"山狗"ども四匹だ――」
一瞬の間の後に。
「その後に、我を屠るが良い」
"獣"はそう告げて、その手をセツの背に回すと躰の動かぬセツを抱き上げて、その谷間から一跳びで跳び上がり、そのままセツの住む山小屋まで疾風の如く走り出すのであった。