#第壱幕
娘とその父様の二人は、村里離れた山の中腹に住んでいた。
娘が物心付くよりも先に、娘の母様は元より体も弱かった事もあり、流行病に掛かりその命を落とした。
しかし、その事を娘は嘆いた事はなかった。
娘には大好きな父様が居たからだ。
猟師の父様は山で一番のテッポウ撃ちの名手であり、山で得た鹿や猪の肉や皮を売りに村へおりる度、娘の為に甘い砂糖菓子や、上等ではないけれども綺麗で可愛らしい髪結いの紐や櫛を土産に帰る程、娘に愛情を注ぎ育ててきたのであった。
そんな猟師の親子の家に、村里の長と数人の男達がテッポウを担ぎ、訪れたのがこの物語の始まりであり、娘に訪れる悲劇と復讐の始まりとなるのであった。
「"獣"が村を襲った?」
猟師の男は珍しく、訝しげな表情で村長の言葉を聞き返した。
村長は神妙な顔で頷くと、ちらりと小屋の外に出ている娘を見てから声を潜めて語った。
"獣"――その体躯は牛よりも大きく、針金の如く毛に覆われ、その牙は骨を軽々と噛み砕く。
その怪物の如く"獣"は山の頂付近に己がその山の主であると主張するように縄張りを置き、そこに入り込んだ家畜のみならず人間をも喰い殺すと恐れられた。
しかし、その"獣"が村里へ降りた事は、猟師の男が知る限りでは一度も無かったのだ。
それ故に、猟師の男は村長の言葉を不審に思い、聞き返したのだ。
「だが、事実だ。既に村の牛だけでは無く、人的な被害も出ておる。一刻も早く、あの怪物を仕止めねば村里は、あの"獣"によって壊滅しよる。それに、このままあの"獣"を放置すれば、お前さんの娘もいつ襲われるか分からぬぞ」
村長はまるで叫ぶ様に猟師の男に訴え掛けると、猟師の男は、村の男が連れていた猟犬と戯れる娘を見た。
「了承した……"獣"の討伐に俺も赴こう。他ならぬ、娘の安全の為でもある」
こうして、猟師の男は、山の頂に住むと言われる"獣"の討伐隊に加わる事となったのだ。
猟師の男は、山へ入る支度を済ますと、その様子をただ黙って見守っていた娘に向き直り、言う。
「セツよ、父は山へ行かねばならぬ」
「父様、もう夜になるよ?」
「だが行かねばならぬ……父は今日、山の頂に住まう"山の主"を討たねば成らん」
「……セツは、セツは良い子で待つよ。父様が帰ってくるのを待っています」
娘は、その言葉に何かを悟ると僅かに俯き、そう言うと父の手を握る。
猟師の男はもう片方の手で、娘の頭を優しく撫でるのだった。
「必ず戻る……その時はセツの好きな物を村へ――いや、もっと大きな町へ買いに行こう」
「うん!セツはね、砂糖菓子が食べたい!!」
猟師の男はそんな娘の笑顔によって見送られ、山へと入る支度を済ませると、先に出ていた村の男達と合流する為に、夜の帳が降りる山へと消えて行くのであった。
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「松明を絶やすな!闇は"獣"の縄張りだ、"獣"が隠れられぬ様に、松明を照らし奴を照らし出すのだ!!」
猟師の男の指示に従い、村の男達は松明を手にしながら夜の山を登ってゆく。
そして、唐突に鳴り響くテッポウの音。
その"鳴る神《雷鳴》"の如く音に、山がざわめき立ち、男達の怒号が飛び交う。
――山に灯る松明の明かり。
村長と共に村里へ降りたセツには、その松明の灯火が、父様や男達の命の灯火であるかの様に思えた。
やがてその命の灯火は一つ一つ、その命が終わるかの様に消えてゆく。
セツはその様子をただジッと、最後の松明が消えるまで見つめ続けるのであった。