#第伍幕
久方ぶりの感じる"人"の温もりを感じながら目を覚ました、猟師の娘――セツは思うのであった。
――"獣"との約束の事、仇討ちの後に何と言って村長に報告をするべきか。
まさか"獣"に嫁ぎますと正直に話す訳にもいくまい。
セツは自分が村長の家で、唖然とする村長の前で姿勢を正して「"獣"の嫁と成りに山に嫁ぎます」と言っている姿を思い浮かべて一人苦笑いを浮かべる。一体何を考えているのだろうか。
ほんの数日前までは父様の仇討ちだけを考えて、父様を喰らった"化獣"を撃つために"マシラ"の格好をして山を駆け回っていた自分が居たなど、今ではまるで思い浮かばない。
――だがしかし、まだ全てがが終わった訳では無い。最後の"山狗"を討ち取るまでは。
今暫く自分が娘である事を忘れ、父様のテッポウを担ぎ"山狗"どもの頭を探し出さねばならないのだ。
しかし、今だけは……この温もりを感じられるこの間だけは、もう少し"女"で居ようとセツは横に眠る"彼"の躰に寄り添うので在った。
*
その朝――まだ日も昇らぬ内に、セツと"獣"の居る山小屋に一人の男が現れた。
男はかつてセツにテッポウの撃ち方を教えた、いわばセツの師匠であった。
「よもや村里でお前が"山狗"を討ち取るとは、思いもせんかった」
師匠の男はそう言うと、持ってきた酒瓶の中身をセツの持つ椀に注ぎ入れる。
「しかも、その様な男を連れ込み、暮らしておったとはな。全くもって驚くことばかり。いや、お前もしっかりと女となって居たと言う事か」
師匠はそう言ってセツの側を離れようとし無い若い男に向かって酒を勧めながらそう告げた。
しかし、男――"獣"は首を振ってその酒をきっぱりと断る。
"獣"が珍しく、と言うよりもセツ以外の村人にその姿を晒すのは初めての事で在ったが、師匠は然程不審に思っている訳でも無いようで在った。
「"山狗"はあと一匹潜んでいます」
セツは椀になみなみと注がれた酒をチョロリと舐めながら、そう答える。
「ほう――その確証は何処に在るのだ」
師匠の言葉にセツは一瞬考えたが、結局は正直に語る事にする。
どちらにしても仇討ちが終われば、村長や師匠には本当の事を話さねば成らないと思っていたからだ。
「山の主たる"獣"が、その存在を教えてくれました……"山狗"の事、そして父様の最期の事」
セツは目の前の男に其れまでの経緯と"獣"との生活の一部始終を話す。
師匠はセツの言葉を聞き、セツの側に座る灰色の毛皮を纏う若い男に驚愕の目を向ける。
「よもや……山の主がこの様な"ヒト"に化ける獣であったとは」
「ですが、彼は私が一人に成った時から……あの日、父様を失った私を只じっと見守り続けてきてくれたのです。私が山に入り、獲物を捕る事が出来たのも今考えれば彼が私の前に獲物を追い立て、そう成るようにしていた故に他なら無いのだと、今になって思うのです」
"獣"は黙したまま、セツの言葉をただ聞くのみでその言葉を否定も肯定もしない。
「成る程、お前さんが村一番の猟師に成れたのはその"獣"の助力が在った故と言う訳か」
師匠はそう言うと、自らの椀に酒を注ぐと其れを一息で飲み干した。
そして、口の周りについた酒を舌で舐めとると、セツが見たことの無い様な笑みを浮かべるのであった。
「"獣"さえ居なければ、主は只の娘か」
「お師匠様?一体何を――」
セツが訝しげに訊ねようとするが、師匠は酒を切らしたとセツに告げてその言葉を遮り、村里にまでセツを使いに行かせるので在った。
セツはその突然の命令に戸惑いながら視線を"獣"へ向けると、"獣"はセツの目を見て静かに頷く。
セツは渋々と言った様子で空になった酒瓶を持って村里へ酒を買いに降りる事と成ったのであった。
・
「ずいぶんと回りくどい事をするではないか……"山狗の頭"」
「やはり知っておったか、山の主殿」
セツがその場に居なくなると"獣"は口を開き、目の前に座る男を"山狗の頭"と呼んだ。
男はその口を耳まで裂き、不敵に笑うと怯む事も無く言葉を返す。
「貴様が我にあの娘をけしかけ様と策略した様子だが、どうやら目論見は破綻した様だな。それ処か"群"の仲間を殺され、残るは"頭"の貴様一人まで追い詰められるとは、滑稽じゃな」
獣を娘の仇とし、手の出せぬ自分に代わり"獣"を討ち取らせんとしたその目論見を見破り娘の信頼を勝ち取り、自分の物とした"獣"は目の前に座るその狡猾な"山狗"に告げる。
「主殿が、我らを山から追いやった故に、我らは人里に近く彷徨く事と成り、餌の捕れぬ若い"山狗"が"ヒト"を喰らう等という事が起きたのだ。いわばあの夜の悲劇は、主殿が我ら"山狗"の群を山から追い立てた故に起きた悲劇」
「悲劇、だと? 馬鹿馬鹿しい……この地に流れ着いた貴様等"山狗"どもが礼儀も知らず山を荒らし、掟を無視し無節操に狩りをした故に我は貴様等を山から追放したまでだ、山を追われたのは貴様等の自業自得」
"獣"は鼻で笑うと目の前の"山狗"をそう一蹴する。
「我ら"山狗"を山から追放した主殿が、人間達に狩られる我らを見捨てたでは無いか」
「貴様等が村里の"ヒト"を喰らい過ぎた故に、人間は"山狗"を狩りに出る事と成ったのだ。そして貴様等はあの娘の父である猟師の男によって十いた群を四つまで減らされたのも因果応報だ。其れにな、貴様等は"ヒト"を喰いその皮を被る獣から逸脱した"化獣"よ。禁忌を破り人喰いの"化獣"と成り果てた貴様等"山狗"を我が守ってやる道理も在りはせん」
"獣"は、その口を歪めて笑うと相手にも成らぬと言った様子で"山狗"にそう言い捨てる。
「其れに、だ。主をほふるのは我では無く、あの娘よ。そして、あの娘は仇討ちを果たした後、我のモノに成ると誓ったのだ。我の土地を荒らす"山狗"と我のモノとなる"ヒトの娘"――同じ山の禁忌を犯す"愚か者"ならば、我がどちらに力を貸すのか考える迄も無かろうが」
そう言うと、"獣"は注がれていた椀の中の酒を一息で飲み干し、その舌で舌なめずりをする。
「とは言え、対等な条件での果たし合いを望むなら其れを飲んでやるぞ」
「其れは一体、どんな意味か」
平然とした様子で在るが内心では腸が煮え返る程の怒りをその目に宿す"山狗"は口を歪ませ不気味な笑みを浮かべる"獣"にその真意を訊ねる。
「明日の夜、山の頂で主と娘の二人で果たし合いをするのだ。無論、我はどちらにも手助けはせん。
我は主と娘の死合にただ、立ち合うだけだ。どの道、"山狗"も主一人で在ろう。しかも娘と我が共にいる故に、主はあの娘を襲う事も逃げる事も出来ぬ状況だ」
確かに、"山狗"にとって其れは悪い条件では無かった。
何よりもこの目の前にいる"山の主"が立ち合うだけで手出しはしないと言うのだから。
たかだか人間一人を喰い殺す事は簡単な事だ。しかし、もしも娘との果たし合いに生き延びたとしても目の前の"獣"によって一撃のもとに屠られるだけなのでは無いだろうか。
そんな事を考えていた"山狗"に、"獣"はあざ笑うかの様に告げる。
「死合の後に我が主を噛み殺すとでも心配して居るのか?其れも保証してやろう。貴様がもしも娘を討ち果たした後、我は二度と主を山から追い立てる様な事はせぬ、好きにこの山で暮らすが良かろう」
"獣"がそう言うと"山狗"は忌々しげに"獣"の提案を飲み、席を立ち娘が村里から戻るより先にその怒りを内に秘めながら己の家へと帰るのであった。
・
セツが酒を持って戻ると既に師匠の男の姿は無かった。
聞けば用事を思い出したとかで入れ違いで村里へ戻ったのだと言う。
すれ違っていれば判っていた様な物だろう……が、些かセツは酒を飲み過ぎていた様だと反省しながらも手に持っていた酒瓶を"獣"にセガまれると其れを渡すと"獣"は酒瓶のまま口を付けると其れを一気に飲み干してしまうのであった。
「なんてもったい無い事をするのだ」
セツが呆れた様にそう言うと、"獣"はその口を歪ませて笑う。
そして、"獣"はその場に横になるとセツに告げる。
「明日、全ての決着を付けるぞ」
「どういう意味だ」
「"山狗"の頭と話をした、あの男――主の師匠こそが全ての元凶であり、"山狗の頭"が化けの皮を被った姿よ」
"獣"はそう言うと、直ぐにいびきをかいて眠りについてしまうので在った。
セツは呆然としながらその言葉の意味を考え、理解する。
そして、静かに頷くと「そうか」と呟いて"獣"が眠る寝床に潜り込む様にして入ると眠りにつくのであった。
*
夜が明け――果たし合いの日と成った。
セツは昼間の内に準備を行い、万全の状態でその夜を待った。
セツの手にはいつもの様に父様のテッポウが握られている。
そのテッポウの先端には縄で結び付けた小刀が槍の様に備え付けられていた。
そして、小刀の代わりに腰に差しているのは薪割り様の分厚い刃をした鉈である。
準備が整うと、セツはいつも山へ入る時の様に"マシラ"の面を被る。
その支度を終えると、じっと静かに見守っていた"獣"に視線を向けてしっかりと頷くので在った。
"獣"の背に乗り、一刻もしない内に山頂へ辿り着くとそこには既にセツの師匠であり、仇である"山狗の頭"が人の姿の侭、テッポウを担ぎ待っていた。
「何も語る事は無い」
セツが困惑の眼差しを師匠に向けると、男はそう告げて、テッポウの火縄に火を付ける。
「我はこの死合に立ち合うのみ、双方存分に死合うが良い」
"獣"はそう告げると、セツと"山狗"の間から離れ、人の姿へと化身する。
セツはゆっくりとテッポウの火縄を掛け、目の前に立つ"山狗"に問う。
「何故、私にテッポウの撃ち方を教えようと思ったのです」
「……」
しかし、"山狗"は何も答えない。
セツはテッポウを構えると、深く息を吸い込み、ゆっくりと吐く。
その刹那――先に動いたのは"山狗"であった。
テッポウを構えたまま"山狗"は、人の姿で距離をとっていた"獣"にその銃口を向け、引き金を引いた。
鳴る神の如き咆哮と共に、"山狗"の放った鉛弾は"獣"に吸い込まれる様にしてその左目を穿つ。
テッポウの弾を受けた"獣"はそのまま後ろに倒れて往く。
セツはその様子を見ながらも"山狗"へと狙いを定め、その引き金を引く。
「やった……やってやった!!」
"山狗"はテッポウを構えたまま、倒れた"獣"の姿にそう叫ぶ。
"山狗"の叫びを遮る様に、今度はセツのテッポウが吼える。
しかし、"獣"が倒れた動揺故かその銃弾は狙いが甘く"山狗"の右肩に当たりはしたものの、致命傷には程遠い。
セツは素早く次弾を込める為、火薬袋を取り出すとその封を噛み切り、火薬を銃口から注ぎ込み銃身に備え付けられた槊杖で弾を押し込めると、口の中に広がる火薬の苦みを唾と共に吐き出す。
そして、再びその銃口を"山狗"へと向ける。
「よくもッ!! 父様のみ成らず――」
セツが銃口を向けるが既にそこに"山狗"の姿は無く、捨てられたテッポウとその肩口から漏れた血の跡だけが点々と林の中へと続く。
セツはその血の跡を追い林の中へと入る。
「貴様にテッポウの撃ち方を教えたのは、貴様に"獣"を討たせる為で在ったが……よもや、己の手で奴を討ち取る事が出来るとは思わなんだ」
林の中へ入ったセツに"山狗"は何処からか語り掛ける。
セツはジッとその場に止まり、耳を澄ます。
「だが、奴さえ仕止めてしまえば、もはや話にも成らぬ……後は貴様の腑を喰い潰し皮を纏い、この山の新たな主として君臨し人間共を餌にさせて貰うとしよう」
"山狗"の勝利を確信した嘲りが林の中にこだまする。
セツはゆっくりと銃口を動かし、狙いを定める。
セツの呼吸と鼓動が自然と早くなる。
テッポウを握る手が汗ばみ、その手を拭いたく成る衝動を押し殺しセツは自分に向けられた殺意を読み取らんと気配を周囲に巡らせる。
セツの背後で草木が揺れる。
セツはとっさに振り返る。
化けの皮を脱いだ"山狗"はセツに跳び掛かり、その躰でセツを覆い倒さんとする。
セツは怯むことも無く、跳び掛かる"山狗狗"に槍の様に銃身へ括り付けていた小刀の刃を向け、大きく開かれたその口の下顎から突き上げる様に串刺しにするとその顎を閉ざす。
「父様の――そして、あの"獣"の仇だ"化獣"めッ!!」
セツは"山狗"の躰の下でそう叫ぶと、テッポウの引き金を引く。
下顎を抑えていた銃口から火閃が煌めき、鳴る神の如く銃声が鳴り響く。
其れは、仇討ちを果たした娘と、形見であるテッポウの勝利を告げる勝ち鬨の咆哮であった。
"山狗"はその銃口から撃ち出された鉛のつぶてで穿たれ、脳漿を撒き散らしビクンッと跳ねるとその四肢を支えていた躰から力が失われる。
"山狗"の躯から這いだしたセツは、今までと同じ様に"山狗"の首を腰に括っていた鉈を振るい、切り落とし其れを持って"獣"の倒れるその場所へと戻るので在った。
「仇を取ったぞ――」
「其れは良かった」
セツの言葉に死んでいると思っていた"獣"がそう応えて、セツは慌てて"山狗"の首を放りだすと"獣"の躰を抱き起こす。
「撃たれたのでは無かったのか――」
「あの程度の鉛弾で死ぬ程に弱くは無い……が、情けない事に気は失っていた。まあ、左目は見えなくなったが問題なかろう」
左目に銃弾を受け血を流す"獣"はそう言いながら、セツの頬を伝う涙に手を伸ばし拭う。
「ありがとう……」
「何の事だ、感謝をされる様な事はしとらんぞ」
"獣"はいつもの様に口を歪ませて笑い、抱きついて涙を流すセツの頭を優しく撫でる。
「父様を失ったあの時から、私をあなたが護り続けていたので在ろう?今思えば、幼い私がたった一人で何不自由もなく暮らせていた事が不自然だったのだ……でも、あなたが私の為に山の中で取り計らっていてくれたのだと思えば自然な事だ」
「さて、何の事か判らぬな……我は山に棲む独りぼっちの"マシラ"に気まぐれで施してやった記憶はあるが"ヒト"の娘に手を貸してやった覚えは無い」
"獣"がとぼけるようにそう言うと、セツは笑う。
その娘の笑みを受け"獣"もまた笑うので在った。




