貯金を切り崩しながら生きている。
子供の頃、借金とギャンブルはご法度であるということを親から強く教え込まれた。家訓のようなものである。
お小遣いの前借りも親への借金とみなされ認められなかったほどで、余分なお金が欲しければアルバイトをして稼げと言われたが小中学生の時分には無理な相談である。
少しくらい多めに見てくれても良いではないかと恨めしく感じることもあったが、借金やギャンブルは一度味を占めると抜け出せなくなると親は考えていたようだ。今になって思うと大変ありがたい教えであったと思う。
自分の意思の弱さは年々実感されるところであり、借金やギャンブルに抵抗を覚えない育ち方をしたら、大人になり自由に使えるお金が増えた時に取り返しのつかないことになっただろうと容易に想像がつく。親は子供自身より子供のことを理解しているというのは間違いないようだ。
まあ、残念な点があるとすれば、父親が投資で大損をしたことの反省としてこの家訓が生まれたということだろうか。失業中に先物取引に手を出してただでさえ苦しい家計を圧迫し、一時は家庭崩壊の寸前まで事態は悪化していたらしい。これは自分が社会人になってから聞いたネタバラシである。
肝が冷える話であるが、そんな父親も数年前に無事定年退職し、現在は落ち着いた生活を送っている。暇を持て余して良からぬことに手を出さないか、母親が目を光らしている状況ではあるけれど。
こういった事情もあり、私は自分の収入に見合った生活を送るように心がけている。借金をしてまで無理な買い物をしたり、収入を元手により多くの利益を得ようと投資に手を出したりすることもなく、毎月決まった額を貯金に回しつつ、そこから食費や公共料金、家賃などの必要経費を引いたお金を趣味に回している。
物価高が叫ばれる昨今だが、それほど生活が苦しくなっているとは感じない。むしろ、これまで食料品やサービスなどに払われてきた対価が不当に安かったのだ。
良いものをより安くという信条による皺寄せは見えないところで少しずつ歪みを生み出し、その歪みが噴出したのが今の世の中の現状と言っても良いのではないだろうか。安いから無駄に消費する、身体に悪いのに食べすぎる飲みすぎるという生活習慣が蔓延し、人間的な生き方を阻害する要因になっていたようにも思える。
今の状況は過渡期と捉え、これから社会は健全な方向で進んでいくと考えるのは楽観的すぎるだろうか。今はじっと耐え、地道に貯金をして次のステージへの移行に備える段階に来ているのだと考える方が賢明だと考える。
さて、貯金というと銀行口座の残高が真っ先に思い浮かぶが、もっと広い意味で捉えることも出来る。
例えば、身体や精神を健康に保つことは行動の自由を賄うための貯金であると言えるし、知識を蓄えたり、技術を磨いたりすることは、問題に対処するための術を増やすという意味での貯金と考えることが出来る。これらは目には見えないものの、貯金箱に小銭を入れるように日々増やすことが可能である。
他方、減るばかりで増えない種類の貯金が存在する。それは寿命である。人間は生まれたその瞬間から死に近づいているとはよく言ったもので、人によって差はあれど誰もが寿命という元金を持って人生というゲームを歩んでいると言えるだろう。
どれだけ健康に気を遣っても200歳まで生きることは不可能だろうし、技術の発展で平均寿命が延びることがあってもせいぜい10年単位であり、この惑星が生まれてから経過した時間と比較すれば誤差にもならないほどの僅かな違いでしかない。
このように考えると、人間は誰もが同額の貯金を持って生まれ、それが尽きた時に生涯を閉じることになると考えて良さそうだ。もちろん、事故や病気、トラブルなどで急に貯金が底をつくことはあるが、スタートライン時点では誰もが平等な立場にいる。
大袈裟かもしれないが、寿命という貯金の切り崩し方が人間の生き方、個性そのものだと考えている。そこに優劣はなく、自分がいかに納得できるかという主観的な評価しか存在しない。早く減る方が劣っているとか、中々減らない人が優れているといったことにはならないのである。
ただ一つ気をつけるべきは、この貯金は増やすことができない、すなわち借金が成立し得ないということである。
世の中には様々なビジネスが蔓延っているもので、言葉巧みに本来増えるはずのない性質のものが増えるかのように錯覚させられることもあるので注意が必要である。それは思いがけずに貯金を減らすことに繋がりかねない。
そもそも借金には利子がつくものでトータルでは借りる方が損をするのは明白であるから、下世話な謳い文句に惑わされず、地道に自分なりに貯金の切り崩し方を工夫することが、充実した生き方を作り出すと考えた方が良いでしょう。終わり




