第2話 山を降りる日、あるいは不自然な生命
お読みいただきありがとうございます! 第1話では「完璧すぎる山」の異変と、ロアの不思議な力をご覧いただきました。 いよいよ、ロアが外の世界へ旅立ちます。
山を下りる朝、世界はいつも以上に「しーん」としていた。 風はぴたりと止まって、いつも十五分おきに鳴いていた鳥さんたちも、今日はみんなお昼寝しているみたいだ。 ロアは、ガレンが用意したボロボロの革袋を肩にかけた。中には、数日分のお弁当と水、それからガレンが「これだけは持って行け」と手渡した、分厚い『日記』と、掌に収まるサイズの見慣れない『透明な石』が入っている。
「爺ちゃん、準備できたよー」
小屋の前に立つガレンの背中は、朝日に照らされて大きな岩みたいに固まっていた。 彼はゆっくりと振り返り、いつもの難しい顔で鼻を鳴らした。
「……ふん。忘れ物はないな。右目で嘘を、左目で人間を見ろ。……それから、何があってもその『石』だけは落とすな。いいな」 「えー、右目と左目で別々のもの見るの? 難しそうだけど、まあいいか! 石も大事にするね」
能天気な返事に、ガレンはため息をついた。彼は大きな手で、ロアの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。その手は冷たかったけれど、なんだか不思議な安心感があった。
「……さあ、行け。わしの気が変わらぬうちにな」 「はーい、行ってきまーす!」
ロアは元気よく手を振って、スキップするように山道を下り始めた。 一歩踏み出すごとに、ロアの足元の土が「ふわふわ」から「シャッキリ」へと形を変えて、歩きやすい道を作ってくれる。ロアは「今日も道さんが親切だなあ」くらいにしか思っていない。
それから一時間ほど、ロアの足取りは軽快そのものだった。 鼻歌を歌いながら曲がりくねった山道を一つ、二つと越えていく。
「あはは、レオニスってどんなところかなあ。おやつ、いっぱいあるといいなあ!」
ロアが大きな岩の角を曲がり、山道の向こうへと姿を消した、その瞬間だった。
――ノイズ。
音もなく、空間が微かに震えた。 ロアの背後、つい先ほどまで彼が見送られていた場所。 そこにあったはずの古びた小屋も、薪が積まれた庭も、そして静かに立ち尽くしていたガレンの姿も。 まるで古くなった映像が上書きされるように、一瞬で「ただの深い森」へと変貌した。 ザザッ、という極小の電子音を残し、そこにあった「存在」は、理の彼方へと消去された。 だが、前だけを向いてスキップを続けるロアが、その異変に気づくことはなかった。
「……ふふ〜ん♪ ふふ〜ん♪」
しばらく歩くと、ロアの足取りが少しだけ重くなった。
ギュルルル〜。
「あ、お腹すいたなあ。喉も乾いちゃった」
ロアは近くを流れる小川のほとりへ行き、革袋を開けた。 中に入っていたのは、数枚の固そうなパンだけだ。
「う〜ん、爺ちゃんパンしか持たせてくれなかったんだ。これだけだと、ちょっと寂しいなあ。……モグ、モグ。……やっぱり、パサパサするよ」
ロアはパンを齧りながら、ふと爺ちゃんの言葉を思い出した。 そういえば、旅に出る直前、爺ちゃんはぶっきらぼうに言っていたっけ。 『ロアーク、挟む中身は自分で捕まえろ! 何のためにあると思ってるんだ、旅支度で渡したナイフは?』 『あと、どんな肉でもそのハンマーピッケルで叩けば美味しくなるだろう? いつも山でやってただろが』
「……そっか! 中身、自分で捕まえればいいんだ!」
ロアはパッと顔を輝かせた。 ちょうど目の前の小川で、ギラリと光る魚が水面を跳ねた。
バシャッ!
「あ、お魚! 銀閃魚だ! 待て待て〜!」
ロアは腰のベルトからナイフを抜くと、水しぶきを気にせず川へと飛び込んだ。
バシャバシャッ!
「そこだー!」
シュッ、という鋭い音と共に、ロアのナイフが逃げ惑う魚を仕留める。 川辺に戻ったロアは、次に森の方へと視線を向けた。
カササッ。
「あっちには綿雲ウサギがいるぞ! 挟むならこっちのお肉もいいなあ」
ロアは持ち前の身軽さで草むらを抜け、逃げ回る白い毛玉をアミも使わずに素手でひょいと捕まえてしまった。
――そして、その日の夜。
パチパチ。
ロアが起こした焚き火が、静かな森の夜を明るく照らしていた。 ロアの手元には、下ろしたばかりの銀閃魚と綿雲ウサギの肉が並んでいる。
「よし、爺ちゃんが言ってたみたいに、トントンして美味しくしなきゃ!」
ロアは黄金のハンマーピッケルを取り出し、まずは魚の切り身を軽く叩いた。
コンッ、コンッ。
叩くたびに、肉の中に溜まっていた「雑味」のような僅かなモヤが、キラキラとした光の粉になって剥がれ落ちていく。 次はウサギの肉だ。
トントン、コンッ。
「わあ、お肉がどんどん柔らかくなっていくよ! 色もすごく綺麗だなあ」
本来なら野性味の強いはずの肉が、まるで最高級の食材のように澄んだ質感へと変わっていく。 それを焚き火に翳し、爺ちゃん特製のスパイスを振りかけて焼く。
ジュウウウ!
パチッ、と脂の弾ける音と共に、香ばしい匂いが立ち上った。
「わあ、いい匂い! もう我慢できないよ。……いただきまーす!」
ガブッ、と。 焼き上がった肉をパンに挟んで、力一杯にかじりつく。
「わあ……! おいしい! すっごくおいしいよこれ! お口の中で溶けちゃうみたい!」
ロアは両頬を膨らませて、幸せそうに独り言を繰り返した。 山の上で爺ちゃんと食べていた時よりも、なぜだかずっと美味しく感じる。お外の世界は、お掃除……じゃなくて、叩きがいのあるものがたくさんあるみたいだ。
「ムグムグ……明日も、美味しいもの捕まえるといいなあ」
お腹がいっぱいになったロアは、そのまま焚き火のそばで丸くなって眠りについた。
――それから、三日目の朝。
ちゅん、ちゅん。
小鳥のさえずりで目を覚ましたロアは、朝露に濡れた草原で大きく背伸びをした。 目の前には、広い街道がどこまでも続いている。
「ふあ〜、よく寝た。……レオニスまで、あと少しかな?」
ロアは黄金のハンマーピッケルを腰に差し直し、鼻歌混じりにまた歩き出した。 ロアは能天気な足取りで、初めて見る街、レオニスへと向かって歩き出した。
(第2話 終わり)
読んでくださりありがとうございます!背後で消える家、そして不思議なハンマーで「美味しくなる」肉。 ロアの能力が、実生活の中でどのように発現しているのか、その片鱗を楽しんでいただければ幸いです。
次回、いよいよ大都市レオニスに到着。 そこでロアを待ち受けている「汚れ」とは
次回は初めての街、レオニスに到着します。
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