8.譲渡と決別
「……え」
オレは呆気にとられてしまった。
「だから、降参だってば。言っただろ。花を守らなきゃ僕は弱いって。そもそも喧嘩苦手だし」
円堂はため息をついて、笑った。
「印、あげる」
「え、本当に」
「でも、最後に1つだけ。前向いてくれる?」
オレはキラキラした街を見る。
ふわり、と腕が回される。シトラスのいい香りがオレの心臓を跳ね上がらせた。
「すきだよ。暖」
何か言った方がいいのだろうか。
オレは何も言えなかった。
「最初は魅了もあったと思う。けど、ちゃんと暖のこと好きだ」
こっち向いて、と言われ正面から抱きしめられる。
「僕のこと、少しでも好きになってくれたりした?」
なんて言うべきなんだろうか。
抱きしめる円堂の体は、オレより細くて大きいのに震えていた。
「あんたからもらった生チョコ美味しかった」
「そりゃ、美味しいやつあげたからね」
円堂の小さく笑った声が耳元で聞こえる。
「だけど、朝陽と一緒にいたあとに食べたモンブランの方が美味しかった」
「そっか」
円堂がオレの首筋に顔を埋める。
「最後にさ……キスしていい?」
オレは吹き出してしまった。
「さっきから最後ばっかじゃん」
円堂はオレから体を離した。俯いて顔は見えなかった。
オレはまた綺麗な景色を見た。なんだか少し寂しい気持ちが心の中にキラキラと降り注いでいた。
「いいよ、しても」
円堂の顔が上がる。その瞳は夜景のようにキラキラとして零れてしまいそうだった。
ふわり、と笑ってオレの頬に触れる。近づいてくる顔にオレは目を閉じた。
ごめん、朝陽。
そう思いながら。しかし、いつまでたってもこないキスに目を開ける。
「暖は馬鹿だね」
悲しそうな顔をしていた。
「円堂大和、あなたを認めます」
額に優しく口付けをされる。背中が最悪な誕生日に刻まれた時のように焼けるような痛みが走った。
じくじくと痛みを耐える。オレは円堂が離れるまで初夏なのに冷たい指先を頬で感じていた。
その帰りの車の中は静かだった。
お互い何も話さなかった。
流れて行く景色と光をオレは、車の中から眺めながら考えていた。
これから対峙しなければならない朝陽のことだ。300年の恨み嫉みが根強く朝陽の体を蝕んでいる。
解放してあげたい、そう思った。
そして、自分の魅了のこと。それが本当なら朝陽とのあの幸せな時間は嘘でできたものだったんだろうか。
頭の中で朝陽との思い出が流れていく。
家の近くに車が停められた。
「楽しかった」
そう伝えると円堂は微笑んでいた。
「暖、僕も楽しかったよ。また友達としてだったら遊んでくれるかな?」
「それはもちろん!」
「良かった」
そういって円堂はオレの腕を引き寄せ抱きしめる。
「ねぇ、知ってる?」
「何が」
「印が出てからじゃないと魅了は発動しないってこと」
オレは固まった。
目頭が熱くなった。
「自信持って。大丈夫だから」
「うん」
オレは円堂を抱き締め返して、肩に顔を埋めた。
「本当に君たちは可哀想だ」
円堂はオレの頭を撫でながら、なぜか笑っていた。
「怖いよ、あんた」
「いいでしょ、最後くらい」
「また最後かよ」
オレは笑った。
家に帰るとリビングでオレの姿を見た父さんが泣いていた。泊まることや遊びに行くことは伝えてあったが、怪我を伝え忘れていた。
「怪我してるじゃないかぁぁ」
顔に絆創膏。身体中には湿布や切り傷。
「ちょっと勝てたのよね?」
父さんを退かし母さんが割って入ってくる。
「勝ったよ、一応」
「よーし!それならいい!」
母さんに頭をぐしゃぐしゃに撫でられる。
逃げるようにリビングを出ると紬がいた。スマホをいじっていた。
「…さっき、外に朝陽さんいたよ」
オレは急いで靴を履いて外に出た。
走って周囲を探してもいなかった。
「なんで、来てんだよ!」
あんなに突き放したくせに、しれっと側にいる。ふざけるな、と思う反面、嬉しかった。
オレは息を切らしながら走った。
しかし、見つからない。オレはスマホを出して、朝陽に電話をかける。呼出音が耳の中に響く。近くで聞き覚えのある音楽が聞こえた。
オレはその音がする方向に走った。
『……なに』
朝陽の声が聞こえる。それだけて嬉しくてたまらなかった。
人通りが多くなって行く。夜なのに車の音や人声で溢れていた。
「今どこ」
『家』
そう言う朝陽の背中をオレは見つけていた。
電話口から同じ音が聞こえる。
「すんごい嘘つくじゃん」
横断歩道を渡っている朝陽を追いかける。しかし、チカチカと光り赤に変わってしまった。オレは間に合わなかった。
『次は絶対、お前のこと降参させてみせるから』
朝陽は振り返ってオレを見た。その表情は感情がなかった。まるであの日みたいだった。
車がオレ達の間を過ぎて行く。ゆっくりと朝陽がオレに背を向けるのが見えた。
「待って、朝陽」
電話は切られていた。かけ直しても呼出音にはならなかった。
次に青になった時には朝陽の姿はどこにもなかった。
『おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるかーーー』
オレはスマホを持った手をだらん、と落とした。
「おい、止まんなよ、邪魔」
スーツを着たおじさんにぶつかられてよろける。
オレはどうしようもないくらい打ちひしがれていた。




