第十六話:不戦の誓いと「愛の鉄拳」
ついにやってきた決勝戦。闘技場のボルテージは最高潮に達していた。
対峙するのは、彗星のごとく現れた特待生・勇者アルスと、一度も剣を抜かずに勝ち上がってきた「漆黒の聖者」レオンだ。
レオンは、アルスの燃えるような瞳を見て本気で嫌気がさしていた。
(勇者様は成長が早い。下手に打ち合って、リネットの過保護装備がカウンターでアルスをミンチにでもしたら、俺の「平穏な学園生活」が終わる。ここは潔く、先輩らしく勝ちを譲ってやろう)
レオンは審判が合図を出す前に、ゆっくりと手を挙げた。
「……棄権する。俺の負けだ。アルス、お前の勝ちでいい」
会場が静まり返る。アルスの顔が驚愕に染まり、次の瞬間、絶望に歪んだ。
「……レオンさん。どうしてですか? 僕は、あなたと全力でぶつかるために、あなたがくれたあの修行の場で死ぬ気で特訓してきたんです! なぜ……戦ってくれないんですか!」
「いや、お前が頑張ったのは知ってるから、もう優勝でいいだろ。俺は疲れたんだ、早く帰って寝たい」
だが、この「素直な怠慢」を、周囲の「レオン・フィルター」が猛烈な勢いで洗浄していく。
「……ああ、なんという慈悲!」
観客席でセバスがハンカチを噛み締めた。
「若様は気づかれたのです! アルス様の中に、まだ『慢心』という名の芽があることを。ここで若様が圧倒的な力で彼を粉砕すれば、アルス様の心は折れてしまう。あえて戦わずして負けることで、彼に『届かぬ背中』を見せ、さらなる高みへと導こうとなされている……!」
フェリスもまた、震える声で叫ぶ。
「閣下はご自身の名誉など微塵も惜しくないのだ! 勇者の卵を育てるためなら、『不戦敗』という汚名すら厭わない……。これこそが、真の教育、真の愛!」
アルスの耳に、その「解説」が届く。
「……っ! そうだったんですね、レオンさん! あなたは僕の未熟さを見抜き、あえて戦う価値なしと切り捨てることで、僕に『飢え』を与えようとしているんだ!」
「は? いや、違うぞ」
「わかってます! 言葉はいりません! 僕は、あなたのその『無言の叱咤』を受け止めます! ですが……せめて一撃! 一撃だけでも、僕の成長を見てください!」
アルスは叫びながら、レオンから「ゴミ(聖剣)」として貰った剣を抜き放ち、神速の踏み込みを見せた。
(うわ、速い! 避けたら死ぬ!)
反射的に、レオンはリネット特製の漆黒の手袋を嵌めた拳を突き出した。
「当たるな、当たるなよ!」と祈るレオンだったが、アルスが勝手に「レオンの拳の軌道」を読み違え、自分からその拳の先に顔面を突っ込んでしまった。
ドォォォォン!!
一撃。 レオンの「愛の鉄拳」がアルスの頬をかすめただけで、闘技場の石畳が衝撃波で粉砕され、アルスは壁まで吹き飛んでバウンドした。
「……あ。やりすぎた」
レオンが冷や汗を流す中、アルスはふらふらと立ち上がり、至福の表情で微笑んだ。
「……ありがとうございました。今の一撃で……目が覚めました。僕なんて、まだあなたの指先にすら触れられない……。修行、やり直してきます!」
アルスは清々しい顔で自ら「参りました!」と叫び、舞台を降りた。 審判は戦慄しながら宣言する。
「……しょ、勝者、レオン・フォン・グラウス! まさに、神の御業!」
結果として、レオンは棄権しようとしたにもかかわらず、学園始まって以来の「圧倒的優勝者」として歴史に名を刻んでしまった。
「ひっひっひ……レオン様、見てください。王都のブックメーカーの配当金、若様の単勝一点賭けで、また我が領の資産が倍になりましたぞ」 セバスがホクホク顔で報告する。
「……もう嫌だ。目立ちたくないって言ってるのに、なんで資産と名声が勝手に増えていくんだ……」
レオンは豪華な優勝トロフィー(純金製)を枕にして、現実逃避の昼寝を決め込むのだった。 だが、その背後では、聖女リアナが「レオン様ファンクラブ」を王都の全令嬢を巻き込んで結成し始めていた。




