中編
その日、ディアナはシルヴェストルと出掛けていた。
これから一緒にレストランで夕食を、ということになり店へ向かっている途中、八百屋のおかみに声をかけられた。
「おや、ディアナちゃんにシルヴィじゃない」
「こんばんは、おかみさん」
ディアナは足を止め挨拶する。
彼女の隣でシルヴェストルも会釈した。
「なんだい、今日はデートかい?」
「は、はい。そうなんです……」
「いいねぇ、若いってのは」
はにかむ二人におかみは生暖かい視線を送る。
だが、彼女はすぐに和やかな空気を引っ込めた。神妙な顔つきになり、声を潜める。
「そういや、聞いたかい?」
「なんですか?」
「例の若い女を狙った殺人事件、やっぱり犯人は獣人だって話だよ」
「えっ……捕まったんですか……?」
「いいや、一昨日襲われた女の子は殺されずに済んだみたいで、その子が言うには、犯人が自分は獣人だって主張してたって」
「その女性は、犯人の顔を見たんでしょうか……?」
ディアナが尋ねると、おかみは首を横に振った。
「目隠しをされて、顔は見てないんだってさ。まあ、もし見てたら確実に殺されてただろうけどね。声は聞いてても、襲われてる状況だったししっかりとは覚えてないって。恐怖で極限状態だったんだろうから、無理もないね」
「そう、ですね……」
「やっぱり、この街に獣人が隠れてるってことだろ? もう怖くて怖くて……。さっさとどっかに行ってほしいよ、全く」
「はあ……」
「シルヴィ、アンタしっかりディアナちゃんのこと守ってあげるんだよ」
言われたシルヴェストルは「もちろん」と頷いた。
彼の手が力強くディアナの肩を抱く。
「ディアナのことは、俺が必ず守ります」
彼のまっすぐな言葉に、ディアナの胸はときめく。
「おやおや。若いっていいねぇ」
おかみはニマニマとした笑みに、恥ずかしいやら嬉しいやらでディアナは顔を真っ赤に染めた。
おかみと別れ、二人はレストランに向かった。店に入り、向かい合わせで席につく。注文を済ませたあと、シルヴェストルが口を開いた。
「ディアナはどう思いますか?」
「え……?」
「先程の、おかみさんの話。獣人が犯人だって聞いて、どう思いました?」
前髪に隠れ、彼の瞳は見えなかった。
静かなトーンで尋ねられ、ディアナは真剣に考える。
「少し、違和感があるような気がします……。獣人は存在を知られないように正体を隠して人間として暮らしているはずです。それなのに、獣人だなんて自分から言ったりするのかと……。しかも相手を殺さずに。そんなことをしたら、危険なのではないでしょうか……」
被害者の女性が襲われている最中に獣人だと勘付いたというのならわかるけれど、犯人が自分から獣人とバラしたりするのだろうか。
おかみの話を聞いて気になっていたことを素直に口にすれば、思っていた答えと違ったのかシルヴェストルはぽかんとしていた。
「えっ、私、変なこと言っちゃいましたか……?」
「あっ……いえ、てっきり、獣人は怖いとか、そういう反応が返ってくると思っていたので……」
「もちろん、怖いですよ。でも私が怖いのは殺人犯であって、獣人ではないです」
長い前髪の向こうの双眸が僅かに見開いた。
「シルヴェストルさん……?」
「っ……すみません、食事前に、こんな話……。そうだ、前に話したアクセサリーですけど……」
シルヴェストルはガラリと話題を変え、ディアナもそれに倣った。
アクセサリーのデザインについて話し合いながら、楽しい食事の時間を過ごした。
すっかり辺りも暗くなり、ディアナはシルヴェストルに家まで送ってもらう。
「送ってくださってありがとうございます」
「いいえ、当然のことですから」
「今日はとても楽しかったです」
「はい。俺もです」
シルヴェストルは爽やかに微笑む。
彼に送ってもらったお礼もしたいし、もう少し一緒にいたい。
でもここで「お茶を一杯飲んでいってください」と部屋に誘ったら、変な意味に捉えられてしまうだろうか。はしたない女と思われてしまうだろうか。それは考えすぎだろうか。勇気を出して言ってみようか。いや、でも。
逡巡していると、「じゃあ、また。おやすみなさい」とシルヴェストルに言われてしまい、引き止めることもできず、ディアナは「おやすみなさい」と手を振って彼を見送った。
中に入り、一息ついたところで思い出す。ディアナの鞄の中には、彼の財布が入っているのだ。ポケットに入れていると落としそうだったので、ディアナが預かり鞄に入れていた。それを返すのを忘れていた。
早く返さなくては、と物騒な事件のことなど頭から抜けていたディアナは家を飛び出した。彼と別れてからそんなに時間は経っていない。走れば追いつけるはずだ。
そう思ってシルヴェストルの家へ向かったが、道中彼に会うこともなく辿り着いてしまった。部屋の明かりもついていない。ドアをノックしても無反応で、中にいる気配もない。
もしかして、入れ違いになってしまったのだろうか。財布がないことに気づいて、シルヴェストルはディアナの家に引き返したのかもしれない。たまたま二人とも違う道を通ってしまい、途中で出会えなかったのだ。
ディアナは再び走って来た道を戻る。
自分の店が見えてきたところで、何か物音が聞こえた。不穏な空気を感じ、ディアナはそっと路地裏へと足を進める。足音を立てないようにそっと、慎重に奥へ進んだ。
街灯の光の届かないその場所に、月明かりに照らされ二人の人物がそこにいた。
ガツッという鈍い音が聞こえ、一人が地面に吹っ飛ぶ。
殴り合い。喧嘩。何かの揉め事か。人を呼びに行くべきか迷うディアナは、そこにいるのがシルヴェストルだと気づいて息を詰め身を隠した。こちら側からは彼の後ろ姿しか見えないが、あれは確かにシルヴェストルだ。
「なっ、なに、するんだよ……っ」
地面に吹っ飛んだ男が震える声を上げる。
なんとなく聞き覚えのある声に、よくよく目を凝らして見れば、相手は前にディアナの店に来たゾルターンと名乗った男だった。
どうして二人が一緒にいるのか。シルヴェストルは何故彼を殴ったのか。
状況が飲み込めず疑問は膨らむが、けれど異様な雰囲気に呑まれ、ディアナはその場から動けなかった。
「お前、最近起きてる殺人事件の犯人だろう?」
ゾルターンに向かってシルヴェストルはそう言った。その声は今まで聞いたことがないくらい低く冷ややかなものだった。本当にシルヴェストルなのかと疑ってしまうくらい、先程まで一緒にいた彼と纏う空気がまるで違う。
ゾルターンが殺人事件の犯人とは、一体どういうことなのだろうか。
言われたゾルターンは明らかに動揺していた。
「はっ、はああ!? なにを根拠にそんなこと言ってんだよ……! 俺が犯人なわけ、ねーだろ……っ」「血の匂いがするんだよ、お前から」
「はっ、血の匂い? テキトーなこと言ってんなよ!」
「わかるんだよ、俺は鼻がいいから。洗い流しても匂いは残ってる。お前は血を浴びすぎたからな」
当然のようにゾルターンは否定するが、シルヴェストルは彼が犯人だと確信している様子だった。
「正直、俺はお前が何をしようと興味はない。どれだけ人を殺そうが、それを諌めるつもりもない」
「は……?」
「だが、ディアナを狙うというなら容赦はしない」
自分の名前が出て、ディアナは息を呑む。
シルヴェストルは尻餅をつくゾルターンに、一歩近づいた。
「お前、ずっとディアナの周りをうろついて機会を窺っていただろ?」
「な、なに、言って……俺は、そんなこと……っ」
「言っただろ、俺は鼻がいいんだ。ディアナといるとき、お前の匂いがずっとしてた。今日も俺達の後をつけてたよな?」
「なっ……」
ディアナは全く気づかなかった。けれどゾルターンの反応を見る限り彼の言う通りなのだろう。デート中シルヴェストルの態度はいつもと変わらず、後をつけられていたなんて想像もしていなかった。
「彼女の家の近くに隠れて、俺がいなくなるのを待ってただろ。なあ、その隠してるナイフで、彼女を殺すつもりだったのか? あ?」
「ぐぁ……!」
顎を蹴り上げられ、ゾルターンの上半身が後ろに倒れる。
「ディアナは俺の恋人だって言ったよな? 俺のものだとわかった上で手を出そうとしたんなら、殺されても文句はないよな?」
「ヒッ……」
逃げようともがくゾルターンの腹を、シルヴェストルは躊躇なく踏みつけた。
「ぐぇっ……!」
「逃げれると思ってるのか?」
「やっ、やめっ、助けて、助けてくれ、もうしないっ、この街から出ていくっ、だから……っ」
「お前は、そうやって助けを請う女性を殺してきたんだろ?」
「ひぐっ……」
「獣人だって言えば、相手が勝手に怯えてヤりやすかったのか? そうして恐怖で動けなくなった女を嬲り殺すのは楽しかったか?」
「ぐっ、うっ、うぅっ……」
「一つだけ教えてやる。獣人はたとえ何があろうと女を殺したりしない。人間と違ってな。自分の快楽の為に女の命を奪うなんてことは絶対にしないんだよ」
ぐぐ……っと、シルヴェストルは手に力を入れる。すると、彼の爪が鋭く伸びた。凶器のようなそれはまるで獣の爪だ。
「子を孕むことのできる女を、獣人は何よりも大切にする。どんな理由があろうと、俺達は女は殺さないんだよ」
それは、つまり、シルヴェストルが獣人であると言っているのと同義だった。
その事実を知ったディアナは、そこから逃げ出した。
振り返ることなく自宅へ急いだ。
シルヴェストルは獣人だったのだ。
ならばもう、ディアナは彼の傍にはいられない。 家に帰り、荷物を纏める。
とにかく、明日の早朝この街を出ようと、それだけを考え準備した。店はどうするのかも、どこへ向かうのかもわからない。ただ、シルヴェストルから離れなくてはならないと、ディアナの頭にはそれしかなかった。
ひたすら時間が過ぎるのを待って夜を明かし、ディアナは荷物を持って外へ出る。まだ外は薄暗く、街は静まり返っていた。
静寂に包まれた街中を、ディアナは足早に突き進む。
しかし、突然後ろから腕が伸びてきてディアナの体を拘束した。
「きゃっ……!?」
悲鳴を上げる前に鼻と口元を布で押さえられた。ツンとした薬品の匂いが鼻に入ってくる。思い切りそれを吸い込んでしまったディアナは、抵抗する間もなく意識を手放した。




