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勝利

白い空間に、風と足音と、獣の唸り声が渦巻いていた。


 複製を繰り返されたキメラたちは、さっきよりも明らかに動きが粗くなっている。

 脚はもつれ、翼は空を掴み損ね、互いの身体を平気で踏みつけて進もうとした。


「——来ます!」


 青年が短く叫ぶ。


 足元には、細い風の帯。

 ルーチェが事前に敷いた“レール”の上を、青年の体が滑るように横移動する。


 ひよりの真正面へ、ひときわ大きなキメラが突っ込んでくる。


 ひよりは、唇を噛んだ。


(怖い……でも)


 右足を半歩踏み出す。

 右手を、胸の前からまっすぐ突き出した。


 手の甲に滲む紺色のマークが、強く光る。


 目の前の空間が、ぎゅっと歪んだ。


 バン、と見えない壁が弾ける音。


 キメラの頭部が、何かにぶつかったように横へ弾かれた。

 太い前脚がもつれ、そのまま床に叩きつけられる。


「……っ」


 自分の右手を、ひよりは一瞬見つめた。


 掌の中心が、じんじんと熱い。


「ひより、次が来る」


 肩口で、ルーチェの声が鋭く響いた。


 ひよりは息を整え直し、別のキメラに視線を向ける。

 横合いから、歪んだ翼をばたつかせた個体が跳びかかってくる。


「右側!」


 青年の声が飛ぶ


 その位置を知っているのは、自分の目だけじゃない。

 頭の奥に重なる“俯瞰の視界”——ルーチェが共有してくる風の目が、全体を見ている。


(ここで浮かせる)


 ひよりは、右腕を斜め上へ振り上げた。


 マークから走った風が、斜めの線を描く。

 キメラの胴体が、その線ごと押し上げられた。


 床から足が離れた瞬間——


 横からルーチェの風がぶつかる。

 さらに、その足元を狙って青年の蹴りが入った。


 関節が砕ける鈍い音。

 キメラの身体が、重力に引かれて床へ崩れ落ちる。


「一体ずつでいい。確実に落として」


 ルーチェの声が、淡々と告げる。


「はい!」


 ひよりは首を縦に振る。


 マークは、さっきよりも強く熱を帯びていた。

 自分の魔力と、レンから預かった風の線。その両方を、確かに消耗している感覚がある。


(それでも——戦えてる)


 別のキメラが吠えながら突進してくる。


 ひよりは、今度は力を抑えた。

 掌から押し出す風の“厚み”を少しだけ薄くする。


 見えない圧力が、キメラの膝のあたりを押し抜けた。

 脚だけが前へ持っていかれ、バランスを崩した巨体が倒れ込む。


 そこへ青年が滑り込み、折れた脚とは逆側の関節を蹴り砕いた。


「……っしゃ」


 短く息を吐く青年の足元にも、風のレールが絡みつく。

 ルーチェが常に距離を調整してくれているおかげで、致命打を受ける線だけは外せていた。


「山田さんが引きつけてくれるから、私……前だけ見ていられます」


「お互い様ですよ」


 青年はかすかに笑った。


「僕一人じゃ、ここまで押し返せてませんから」


 キメラたちの動きが、目に見えて鈍くなっていく。

 複製による劣化と、連携攻撃の積み重ねが、確実に効いていた。


「残り、三体」


 ルーチェが告げる。


「ひより、出力は今のまま。

 山田は、一歩出過ぎるな。倒れる方向だけコントロールして」


「了解」


「はい!」


 白い空間のあちこちで、肉と骨が砕ける音が鳴り——やがて、最後の一体が床に伏した。


 しばらく、誰も声を出さなかった。


 息と鼓動の音だけが、自分の身体の中でうるさく鳴っている。


「……終わりましたね」


 青年が、ようやくそう呟いた。


 ひよりは右手を見下ろす。


 マークの光は、だいぶ弱まっていた。

 けれど、その手はまだ震えていない。


(レンさんの力を、ちゃんと使えた……)


 安堵と、ほんのわずかな誇らしさが胸に湧いた。


 * * *


 少し離れた場所では、別の攻防がたけなわだった。


 ビビは、ブーツの底で床を鳴らし続けている。

 足元に浮かぶ光のリングが、影をなぞり、複製を試み——しかし、徐々に形を崩し始めていた。


 リングの縁は、完璧な円ではない。

 ところどころ、かすかに揺らぎが混じっている。


「……雑になってきたわね」


 佐藤が低く言った。


 ビビはなおも笑っている。

 だが、その呼吸は荒い。額の汗が、白い床にぽたぽたと落ちていた。


 佐藤は、足元にごく薄い風を這わせ続けている。

 ビビのブーツの周りだけ、常に“横風”が当たるように。


(あのリングは、きれいな円を保っているあいだだけ機能する)


 ビビの集中が乱れれば、リングは簡単に歪む。

 そして——歪んだまま起動すれば、複製はうまくいかない。


 案の定、ひとつのリングが大きく揺れた。


「あ——」


 短い声が漏れた瞬間、佐藤は風を少し強める。


 揺れたリングは、半端なまま“完成”してしまった。

 そこに映っていた影——ビビ自身の影を、そのまま無理やり引きずり出す。


 床から、自分によく似た輪郭が半分だけ這い出てきて、形になりきる前に潰れた。


 乾いた潰れる音。


 ビビの顔から、さすがに笑みが消える。


「気持ち悪いでしょ」


 佐藤は静かに言った。


「自分の影まで複製しようとするなんて」


「……あんたが揺らすからでしょ」


「最初から、支えきれてなかったのよ」


 佐藤は、一歩詰める。


 ビビの視線は、リングと影と、自分の足元に散っている。

 複数のものを同時に見ようとして、どこにも集中できていない。


(そこまで器用じゃないのに、背伸びするから)


 至近距離に入った瞬間、佐藤は風を下から吹き上げた。


 ビビの重心がふっと浮く。

 踏ん張りが利かないタイミングで、佐藤の膝蹴りが顎を捉えた。


 鈍い音が白い空間に響く。


 ビビの体が、後ろへ倒れ込んだ。

 足元のリングが、一斉に音もなく消えていく。


 佐藤は、ブーツの甲を踏みつけたまま、短く息を吐く。


「ここまでよ」


「……まだ、やれる——」


「立てるなら、立ってみなさい」


 ビビは悔しそうに奥歯を噛みしめたが、身体は言うことをきかなかった。


 佐藤は、ブーツの留め具を無造作に外す。


「魔法具は没収。返してほしければ、生き延びなさい」


 ブーツを引き抜くと、足元から魔力の気配が薄れる。

 残ったのは、生身の足と、場違いなほど明るい色の靴下だけだった。


 佐藤はそれ以上何も言わず、視線をレンの方へ向ける。


「——こっちは片付いたよ」


 誰にともなく告げるように、低く呟いた。


 * * *


 レンと召喚屋の距離は、最初より一歩分、近い。


 踏み込めばすぐ届く間合い。

 だが、その一歩が重い。


 左手にまとわりつく炎は、派手さを失い、低く唸るだけになっていた。

 代わりに、音が、はっきりと形を持って耳に届く。


 キメラの骨の軋み。

 ゾンビの残骸が崩れる乾いた音。

 ひよりたちの足音と息づかい。

 佐藤とビビの打ち合いの残響。


 そして——召喚屋の足元で蠢く“影”のざわめき。


(全部、ここに繋がってる)


「さっきより静かになったなぁ」


 召喚屋が、どこか愉快そうに笑った。


「ドカン、ドカン鳴らすほうが、見てて派手やったのに」


「文句が多い奴だな」


 レンは低く返す


 左手を握り込む。

 炎がぎり、と音を立てて締まる。


 二人の間の空気が、きしむように縮む。


 同時に踏み込んだ。


 召喚屋の右拳と、レンの左拳がぶつかる。


 爆音はさっきより小さくなっている。

 だが、衝撃は消えていない。むしろ、より一点に集中していた。


 白い床に、波紋のような振動が走る。


「さっきより、ましになったやん」


 召喚屋が笑う。


「耳はまだ生きてるわ」


「なら、もっと絞る」


 レンは、一歩引いてから、すぐに踏み直した。


 今度は、召喚屋の左拳が前へ出る。

 佐藤から奪った、衝撃波のグローブ。


 当たった瞬間、内側から爆ぜる一撃。


(来る)


 レンは紙一重で身を捻り、直撃だけは避ける。

 だが、かすった衝撃だけで、脇腹の古傷が強く軋んだ。


 肺から息が漏れる。

 視界が一瞬かすむ。


「レンさん!」


 ひよりの声が遠く聞こえた。


 その一瞬——ほんの僅かな“よそ見”を、召喚屋は逃さない。


「何回言わせんねん」


 ローブの内側から、細長い影が伸びた。

 余り物の骨と肉で作られた、即席の“鞭”。


 レンの足元に、黒い影がぱっと広がる。


(——座標)


 気づいた瞬間には、すでに足首を獣の脚が挟み込んでいた。


「……っ」


 動きが止まる。


 召喚屋の左拳が、真正面から迫る。


 避ける余地はない。


 グローブの表面が、目の前で膨らんだ。


 ——ドンッ!!


 白い空間が、大きく揺れた。


 鈍い衝撃。

 骨が悲鳴を上げる音。

 肺の中の空気が、まとめて外へ押し出される感覚。


 レンの体が、床の上を転がった。


 視界が、何度もひっくり返る。

 ようやく止まった先で、白い天井と、遠くに小さく見える仲間たちの姿が重なった。


(……くそ……)


 左の脇腹から胸にかけて、焼けつくような痛みが走る。

 腕の感覚も鈍い。炎はかろうじて消えていないが、握力が抜けそうだった。


 ひよりが駆け出しかけた足を、ぎりぎりで止める。


 レンのすぐ横、床に新しい影が広がっていた。


 召喚屋が、ゆっくりと近づいてくる。


「もうさすがにしんどいわ」


 ローブの裾が揺れる。


「ゾンビと動物の死骸、まとめて混ぜて遊んどっただけやのに、

 ……そろそろ終わろ」


 レンの足元の影が、深く沈む。


 黒い染みの中心が、ゆっくりと裂けた。


 そこから、何かが這い出してくる。


 さっきまでのキメラとは違う。

 形がはっきりしない。輪郭が常に揺らぎ、見ているだけで頭の芯がざわつく。


 耳の奥で、低い“ノイズ”が鳴り始めた。


 骨が軋む音とも、肉が擦れる音とも違う。

 耳が拒絶しているのに、はっきりとこちらへ歩み寄ってくる音。


「この世界、けっこう“素材”には困らんでな」


 召喚屋が静かに笑う。


「ずっと溜め込んどったもん、そろそろ出したろか思てたとこや」


 ひよりは、無意識に一歩下がっていた。


 右手のマークが、寒気みたいにざわつく。


(——なに、あれ)


 ルーチェでさえ、言葉を失っていた。


 佐藤が、無言のままブーツを肩から下ろし、いつでも動ける姿勢を取る。


 白い空間の温度が、目に見えないところで確かに変わっていく。


 レンは、床に手をついたまま、かろうじて顔を上げた。


 視界の端で、黒い“それ”が立ち上がる。


 輪郭は、まだ曖昧だった。

 だが——そこに宿っている“気配”だけは、はっきりと理解できた。


(……あれを、ここで暴れさせたら……)


 コロニーどころか、この空間の外まで一気に食い破られる。


 呼吸が浅い。

 痛みで、意識がかすむ。


 それでも——レンの左手の炎は、激しさを増していた

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