爆炎
佐藤とビビの攻防も、じわじわと傾きつつあった。
ビビは相変わらずブーツで床を鳴らし、光のリングで影を踏む。
だが、出てくる複製はさっきほど滑らかではない。
「ほら、足元見なさいよ」
佐藤が、わざとらしくブーツを指さす。
「複製すればするほど、あんたの集中も散ってくんの。
器用ぶってると、足元すくわれるわよ」
「うっさいな〜、マウントやめてくんない?」
「事実でしょ?」
その軽口の裏で、佐藤は風を緻密に回していた。
ビビのリングの縁にだけ、かすかに横風を当て続ける。
完璧な円でないと、複製が歪むように。
(レンがあっちで“座標”いじってくれてるおかげで、こっちはこっちで崩しやすい)
佐藤はちらりとレンの方へ視線を送った。
* * *
召喚屋とレンの距離は、ほとんど変わっていない。
ただ、その間の空気だけが、何度も何度も“張り替え”られていた。
「楽、ねぇ」
召喚屋がぼそっと言う。
「数が増えるってのは、それだけ“座標”が増えてるってことだ」
レンは低く言った。
左手の炎が、じりじりと音を立てていた。
耳の奥で、世界の騒音が一段階くっきりする。
キメラの関節の軋む音。ルーチェの風が鳴らす空気の線。
ビビのブーツが床を叩くリズム。
そして——召喚屋の足元で、ぽつぽつと開く“穴”の音。
(座標を、影で固定してる……?)
召喚屋が、ローブの奥で笑った気配がした。
「なんや、ばれてもうた?」
左手のグローブを握り込む。
レンは踏み込んだ。
キメラの一体が、正面から突っ込んでくる。
複数の脚が一斉に床を蹴り上げた。
レンは、その真ん中めがけて左拳を突き出す。
「——うるせぇぞ」
爆音と共に、炎が弾けた。
キメラの胸部ごと、内側から抉り飛ばされる。
肉と骨が、音の衝撃に巻き込まれながら白い壁へ叩きつけられた。
白い空間全体が、一瞬きしむ。
「っ、耳が……!」
ひよりたちの耳も、ビリビリと鳴る。
「ご、ごめん!」
レンは舌打ちした。
(全体に響かせすぎたか)
残り二体のキメラが、左右から挟み込むように迫る。
レンは右へ飛び、一体の足元を滑り込むように抜けながら、左手で床を叩いた。
足下から、低く短い爆ぜる音。
狙いは、さっきよりもずっと小さく。
爆炎が片側の脚を吹き飛ばし、キメラの重心が前に崩れる。
そこへ、レンの膝蹴りが顎を打ち上げた。
——が。
「よそ見したら、あかんで」
召喚屋の声が背後から落ちてきた。
レンが振り向くより早く、左わき腹に重い衝撃が走る。
「っが——!」
ローブの袖から伸びた左拳。
そこには、見覚えのある硬質なグローブがはめられている。
前に佐藤と戦った時の、“殴る衝撃波”の魔法具。
内側から衝撃波を叩き込まれ、レンの身体が白い床を転がった。
「レンさん!」
ひよりの悲鳴が飛ぶ。
肺から空気が抜ける。
視界がぐらりと揺れた。
(……クソ、こっちも“交換魔法”ってわけか)
召喚屋は、どうでもよさそうにグローブを見下ろした。
「メインは召喚やけどな。
こういうの混ぜると、戦いがおもろなるんや」
ローブの奥で笑う。
「どうや、もともとはそこにおる佐藤が得意にしとったやつやけどな。俺も向こうじゃ結構愛用しててんで」
「お前の昔話なんて興味ねぇよ……」
レンは、床に片手をついたまま息を整えた。
左脇腹が焼けるように痛い。
でも——
「……ありがとな」
「は?」
「使い方のヒント、もらった」
左手の炎が、じりじりと音を変える。
さっきまでの爆発音ではない。
もっと低く、くぐもった——“うなり”に近い振動。
床の上を、細かい砂粒みたいな震えが走る。
足元の黒い染み——新しい座標が、じわりと形を崩した。
「っ——」
召喚屋の目の奥に、初めて焦りが浮かぶ。
「座標、全部“影で作ってんなら」
レンは立ち上がる。
「逆に、光で崩せるだろ」
左手を横に振る。
激しい炎は生まれない。代わりに、白い空気の筋が床を滑るように走った。
低く短い破裂音が、空間全体に散る。
黒い染みが、一斉にしぼんだ。
開きかけていた穴が、ぬるりと閉じる。
新しいキメラが出てくるのを——止めた。
「……!」
召喚屋の笑みが、初めて薄くなる。
その横で、ビビの足元のリングが一瞬だけノイズを走らせた。
「あれ、ちょっとズレ——」
「ビビ、リズム乱すなや」
「だって今の——」
そこへ、佐藤の拳が滑り込む。
ビビの横合いから吹き付けた風の刃が、リングを無理やり横にずらした。
「あっ——」
リングが、ビビ自身の影を踏み抜く。
自分の足元から、もう一人のビビの“影”が半分だけ這い出てきて——そこでぐしゃりと潰れた。
「きっっっも!!」
ビビが飛び退く。
「だから言ったでしょ」
佐藤が肩をすくめる。
「アンタ、器用そうに見えて、自分で制御できてないのよ。
数、増やしすぎ」
足元で、複製されたキメラ同士がぶつかり合う。
ルーチェの風が、その隙間を縫うように吹き抜けた。
「ひより、今!」
「はいっ!」
ひよりが、前に両手を突き出す。
右手のマークが、ぱっと光った。
正面のキメラの胸部に、見えない“押し波”が叩きつけられる。
ルーチェの風が横からそれをなぞり、進行方向をずらした。
キメラ二体が、正面で正面衝突する。
青年の蹴りが、その足元の一本を正確に折った。
「……こっちは、なんとかなりそうですね!」
青年が、ぜぇぜぇ言いながらも笑う。
「でしょ。レンのピンチ、何回も見てきたんだから」
ひよりが、口元だけで笑い返す。
「今度くらい、私たちが取り返さないと」




