ギャル
梯子を降りきった瞬間、ひよりは思わず目を瞬いた。
そこには——何もなかった。
床も、壁も、天井も、全部まっ白。
境目が分からない。奥行きも分からない。
ただ、ひやりとした空気だけが肌にまとわりついてくる。
「……え、なにここ」
ぽつりとこぼしたひよりの横で、青年がぽん、と手を打った。
「すご! 精神と時の部屋みたいだ!」
「なんですか?それ」
「ドラゴンボールだよ、見たことないの?」
「あ、名前だけ……」
そんな会話をしている二人を見て、後ろから女の声が飛ぶ。
「レン、こんな調子で大丈夫なの? この子たち」
タイトなパンツの女——さっき“協力する”と言い出した元幹部が、呆れたように眉を上げた。
「こー見えても私たち、何度もレンさんのピンチを助けてきてるんですからね!」
ひよりが、すかさず言い返す。
「ぼ、僕はそうでも……」
青年が小さく付け足した。
「ちゃんと訳があって来てもらってるんだ」
レンはそう言って、まっ白な床を一度踏みしめた。
固い感触なのに、距離感がおかしい。空間ごとどこかから切り取られて、ここに貼り付けたみたいな違和感。
「そういや、お前の名前、まだ聞いてなかったな」
レンが振り向く。
「なんて呼べばいい?」
「佐藤きさ。よろしく」
女幹部は、肩をすくめながらあっさり答えた。
その瞬間——
「のんきに自己紹介とか、マジでウケるんですけど?」
空気を裂くような声が、白い部屋に響いた。
ひよりはびくっと肩を跳ねさせる。
何もなかったはずの“地平線”みたいな場所に、黒い影がじわりと浮かび上がった。
一人は、見覚えのあるローブ姿。
フードを目深にかぶった男——召喚屋。
その横に、ギャル風の女が一人。
金髪メッシュ、派手なパーカーにショートパンツ。やたら分厚いブーツが目立つ。
ブーツの側面には、魔法陣みたいな紋様がうっすら光っていた。
「よう。また会えたな、レンくん」
召喚屋が、相変わらずの関西訛りで歩いてくる。
「ここまで直で潜ってくるとは思わんかったわ。
慌てて“地下スタジオ”引っ張り出したで」
「え、ウケる。これが例の“レンくん”? 思ってたよりフツーじゃん」
ギャルがレンたちを上から下まで眺めて、ふっと笑った。
「うるさいで、ビビ。
そいつ、ゾンビとキメラだけで遊ばせとくにはもったいない素材やねん」
「わかってるって〜。ちゃんと盛り上げたげるし」
ビビと呼ばれたギャルは、ぶ厚いブーツのつま先で床をコツ、と鳴らした。
足元に、薄い光のリングが浮かぶ。
(……魔法?)
ひよりが息を呑む。
ビビが、リングの上でくるりと一回転した。
「——っと」
次の瞬間、リングから“もう一人のビビ”が、すっと歩き出てきた。
「えっ……!」
ひよりが思わず声を上げる。
その横で、召喚屋がローブの裾を払った。
「ほな、前座から行こか。
今回はサービスええで」
白い床のあちこちに、黒い点がぽつぽつと滲み出る。
それはじわじわとシミになり、穴になり——
穴から、獣の脚や骨、人間の腕、鳥の翼が、音もなく這い出してきた。
肉と骨が、あり得ない角度で絡み合っていく。
犬とも鹿ともつかない脚が四本以上。背中からは翼と腕の束。
ドラゴンじみたシルエットをした、キメラ。
きさが、ひよりの肩を小突きながらぼそっと言う。
「ローブが召喚屋。死体ミキサー担当。
ギャルがビビ。あのブーツ、さっき見せた通り“コピー”」
ビビが、今度はキメラの足元でかかとを鳴らした。
「はい、“おかわり”いきまーす」
光のリングが、キメラの足元に滑り込む。
リングが一度きらりと光ると——
キメラの横の空間がゆがみ、同じシルエットの“影”がぐにゃりと生えた。
肉と骨が一瞬で形を整え、二体目のキメラが立ち上がる。
「……マジで二匹目……」
青年が、喉を鳴らした。
ビビは楽しそうに笑って、もう一度かかとを鳴らす。
「三匹目〜」
リングが広がり、三体目のキメラが、白い床を爪でひっかいた。
ずるり、と三体分の影が前に滲み出る。
「今度こそ、“数”で押し切らせてもらおか」
召喚屋が笑う。
ひよりと青年が同時に身構えた。
「レンさん!」
「俺たちも——」
「今回は、ちょっと手伝ってもらおうかな。——ルーチェ」
レンが呼ぶと同時に、腰の剣がふっと消え、風へとほどけた。
掌サイズの渦となってレンの肩の横に現れ、その中心で小さな瞳がきらりと光る。
「ちょっと! またこの気持ち悪いの相手させる気?」
「すまんな。今回は、そっちの二人のサポートを頼みたい」
「えっ、レンじゃないの〜?」
「レンさんはどうするんですか!? 剣もルーチェちゃんもなしに!」
ひよりが思わず叫ぶ。
「これで戦う」
レンは、左手を持ち上げた。
指先だけが露出したグローブ——さっき奪った“音”の魔法使いのグローブ。
「おいおいレンくん、本気で言うてんの?
それ、さっき拾っただけのグローブやろ。使いこなせるんか?」
召喚屋がニヤつく。
「お前らの武器にしてるグローブには、魔力そのものが封じてあって、誰がはめても使えるようになってる」
レンは淡々と言う。
「この装備、元々は俺の剣と一緒で“向こう”の技術だろ。
だったら——」
言葉をそこで切り、息を吸い込む。
次の瞬間、レンの左手が“鳴った”。
耳の奥を殴るような破裂音。
遅れて、手首から先が、真っ赤な炎に包まれる。
音と炎が、グローブを媒介にして絡み合う。
爆ぜるたびに、炎が脈動する。
「……なに、それ……」
ひよりが、息を詰めたまま呟く。
レンは、ゆっくりと召喚屋たちを見据えた。
「音×炎、ってところか」
左手を軽く握り込む。
まっ白な空間の空気が、一瞬で熱と振動を帯びた。
「たっぷり遊ぼうぜ、召喚屋」
召喚屋は、一拍置いてから——
ローブの奥で、心底楽しそうに笑った。
「……おもろい男やわ、ほんま」




