戦闘開始
吹き飛ばした壁の穴から、朝の光が細く差し込んでいる。
コンクリと鉄骨の匂い、かすかな焦げ臭さ。
レンたちは、幹部フロアの廊下に立っていた。
その正面で——
カチリ、と金属音。
エレベーターホール側の扉が、内側から開く。
黒いジャケットの男が二人。
どちらも背は高く、軍人みたいな無駄のない立ち姿。
一人は首にヘッドホン、耳に銀色のイヤーカフ。
もう一人は、指先からぽたぽたと床に水を落としている。
ふたりとも、左手には同じ型のグローブ。
ヘッドホンの男が、壁の大穴を見て口の端を上げた。
「……すごい侵入方法だな。扉って概念、知らないわけじゃないよな?」
水の男が、ひよりたちに視線を滑らせる。
「一般人連れて来るにしちゃ、場所が悪いぞ。ここ、幹部フロアだ」
レンは、ひよりと青年の前に一歩進み出た。
「ひより、青年」
視線は敵から外さないまま、静かに言う。
「ここから先は俺がやる。お前らは手を出す必要はない」
そこで、ほんの少しだけ口の端を上げた。
「壁を背にして、ちゃんと見てろ。
——どうやって片付くか、覚えておいてくれればそれでいい」
「でも——」
ひよりが反射的に言いかける。
「わかりましたです」
短髪の青年が、その言葉をさえぎった。
「ここで俺らが出てくより、その方が絶対いいっす。
“見本”見させてもらいましょう」
ひよりは悔しそうに唇を噛み、それでもうなずく。
「……じゃあ、ちゃんと見てますから。
頑張ってください、レンさん」
「ああ」
軽くそう返し、レンは前へ出た。
敵との距離、十メートル。
ヘッドホンの男が言う。
「帰還者レン、だな。
風と炎。ゾンビと幹部をまとめて吹き飛ばした厄介者」
「噂よりも派手だな」
水の男は、床に広がる水たまりを靴で踏みしめる。
「俺たち二人もいるのか?本当に」
レンは肩をすくめた。
「二人で済むなら、君らは助かるな
こっちも、あまり時間をかけたくない」
廊下の空気が、じわりと張りつめる。
最初の一歩を踏み出したのは——イヤーカフの男だった。
コン、と床を鳴らす。
それだけで、空気の層が震えた。
次の瞬間、透明な“衝撃”がレンの胸元めがけて殺到する。
(早いな)
レンは体をわずかにひねった。
風を、ほんの指先ほどだけ動かす。
衝撃の芯に、横から細い風の流れを差し込む。
ドンッ、と壁が鳴った。
本来レンの胸を打ち抜くはずだった“音の塊”は、斜めに逸れてコンクリートをえぐる。
イヤーカフの男が目を細める。
「……避けた、だと?」
「音は空気の振動だろ」
レンは淡々と告げる。
「風をやってれば、“どっち向きに押されてるか”くらいは分かる」
少なくとも、真正面から全部もらうほど鈍くはない。
水の男が、手を前に突き出した。
床に広がっていた水が、一瞬で形を変える。
細い槍のように伸び、レンの足元を狙って走った。
レンはその場から跳ぶ。
が、その瞬間——足元の水が爆ぜた。
上向きの水圧が、地面から叩き上げる。
(下からも来るか)
レンは壁を蹴り、体勢を無理やり捻じ曲げた。
水槍がかすめた左足が、じん、としびれる。
ひよりの喉から、短い悲鳴が漏れた。
「レンさん!」
水の男が舌打ちした。
「避けるの、上手すぎないか?」
「音と水」
レンは、壁を蹴った反動で床に着地しながら言う。
「どっちも風とは相性抜群だ
——見えれば、もっと楽なんだが」
ヘッドホンの男が、鼻で笑った。
「見えないから強いんだろうが」
指を鳴らす。
耳をつんざく高音が一瞬だけ走り、すぐに“沈黙”に変わった。
空気が、押し潰されるみたいに重くなる。
次の瞬間——
床が、波打った。
足元から、目に見えない“音の地震”が襲ってくる。
反射的に踏ん張ったひよりが、膝から崩れた。
「っ……!」
鼓膜の奥を指で押されたみたいな、いやな圧。
レンは、一歩だけ前に出た。
風を、足元に集める。
ぐにゃりと床が歪む感覚を、足裏から切り離す。
音の揺れより、半拍遅れて——
別のリズムで“足場”を作る。
ヘッドホンの男の眉が跳ねた。
「……今のも耐えるのか!」
「こーいうのは得意なんだ」
レンは、あえて一歩、音の男の射線上に進む。
水の男が、その隙を逃さない。
「なら——沈め」
床に散った水が盛り上がった。
レンの足首を、一気に飲み込む。
瞬間的に硬さを増した水が、コンクリの上に“檻”を作る。
その中で、渦が巻いた。
足首から太もも、腰、胸元へ——
内側から骨を砕く水圧が、ぶつかってくる。
(なるほど)
肺が締め付けられる感覚に、レンはほんの一瞬だけ目を閉じた。
「いいよ、そのまま潰れるまで圧かけときな」
レンは余裕の笑みを浮かべた
水の男が言う。
「音で骨と内臓を砕けば、中身もきれいに——」
「やめろよ。掃除するの、俺たちなんだぞ」
ヘッドホンの男が笑いながら指を鳴らす。
水の檻の内部で、局所的な爆音が何度も弾けた。
ひよりが、壁に背中を押しつけたまま叫ぶ。
「レンさん!!」
短髪の青年も、拳を握りしめる。
「クソ……!」
水の檻の中。
レンは、ほんの微かに笑った。
(——やっぱり、“見えてる方が楽”だ)
風を、指先に集める。
水は“形”を持っている。
その輪郭をなぞるように、内側から細い風を通す。
水圧がかかっている箇所と、かかっていない箇所。
揺れを受け持っている“線”だけを、風が切り裂いた。
バンッ、と音を立てて——
水の檻が、外側に向かって弾け飛ぶ。
「なっ——」
水の男の顔色が変わる。
その瞬間、レンの姿が消えた。
一歩。
風を足裏にだけ集中させた、シンプルな加速。
ヘッドホンの男の目前に、影が落ちる。
「っ——」
反射的に指を鳴らそうとしたその手を、レンの右手が掴んだ。
グローブごと、手首をひねる。
バキッ、と嫌な音がした。
「——っっ!!」
悲鳴と同時に、ヘッドホンの男の膝が折れる。
レンはそのまま肩口に肘を叩き込んだ。
ジャケットの男が、床に沈む。
一拍遅れて、水の男が叫ぶ。
「この……!!」
床に散った水が、一気に巻き上がる。
蛇のようにしなりながら、レンの首を狙って伸びた。
レンは振り向きざま、左手をかざした。
指先に、熱。
——ボッ。
小さな炎が灯る。
それは風を巻き込みながら、一瞬で広がった。
火の帯が、水の蛇を横から断ち切る。
蒸気が、白い壁のように立ち上った。
「水は、蒸発させればいい」
レンの声が、白い霧の向こうから聞こえる。
水の男が、後ずさった。
「まさか、お前——」
「風にばかり気を取られすぎだ」
白い霧の中から、影が飛び出す。
顔面めがけて振るわれた拳を、水の男はとっさに両腕で受け止めた。
骨に、鈍い衝撃が走る。
視界の端で、自分の水が、どんどん蒸発していくのが見えた。
(火と風——両方、同時に)
レンの膝が、みぞおちにめり込む。
息が、全部抜けた。
そのまま床に押し倒される。
喉を焼くみたいな熱気の中で、かろうじて片手を伸ばした。
レンのグローブを掴もうとする——が、その指先に、すっと影が落ちた。
レンの足だ。
手首を踏みつける。
「……悪いな」
レンは、ちらりと床に転がるヘッドホン男と、水の男を見下ろした。
「生きてるだけマシ、ってことで勘弁してくれ」
グローブの表面を、つま先で蹴るようにこする。
内部の魔道具の接合部だけを狙って、炎で焼き切った。
ぱち、と小さな火花。
グローブの光が、しゅうっと消える。
ひよりが、壁際から駆け寄ってきた。
「レンさん!」
青年も、安堵の息を吐く。
「……ほんとに、ひとりで終わらせた……」
レンは肩を回しながら、ふたりの方を振り向いた。
「見えないから厄介なタイプを、先に潰せたのは大きい。
音と水は、混戦になると面倒だからな」
床に伸びた二人の幹部の脈を、一応指で確認する。
「大丈夫。気絶してるだけだ」
ひよりは、胸に手を当てて大きく息を吐いた。
「……レンさん、さっき“覚えておけ”って言ってましたけど」
「うん?」
「正直、真似できる気がしません」
青年も苦笑いを浮かべる。
「“お手本”が高レベルすぎますよ」
レンは、少しだけ目を細めた。
「全部真似する必要はない。
“見えない攻撃ほど、最初に警戒しろ”——それだけ覚えておけばいい」
そして、奥の扉を見据える。
重そうな金属扉。その向こうに、もっと嫌な気配がいくつも。
「——行くぞ。
ももりんを、迎えに行く」
「はい!」
「了解っす」
三人は、倒れた二人の幹部をまたぎ越え、
敵本部ビルのさらに奥へと踏み込んでいった。
* * *
薄暗いフロアの一室で、モニターがいくつも並んでいる。
そのひとつに、先ほどのフロアの映像が映っていた。




