ハウリング
ビルとビルの隙間に、薄く冷たい風が流れ込んでくる。
レンたちは、桃農家たちが立てこもるビルの屋上にいた。敵本部ビルを見据えた。
朝の光の中で、黒い塔のようにそびえ立っている。
「あのビルの上の方、屋上より一段下のフロアを吹き飛ばして、そこから侵入する。
出来るだけ人間を巻き込みたくない」
「——ルーチェ」
「相変わらず真面目よねぇ」
レンの右手のそばに、風が渦を巻いて集まる。
掌サイズの渦、その中心に小さな瞳がきらりと光った。
風の精霊ルーチェ。
「今日は最初から全開で行く」
「あれするの!?やったーー!」
レンは、息を吸い込んだ。
「ルーチェ、あんまりテンションあげないでくれ」
「レンの感覚、全部重なってる♡」
「…」
ふたりの意識の重なりがどんどんと層になり分厚くなる
視界の縁が白く震える。
ビルの形、風の抜け道、ゾンビの溜まり、人間が密集している通路——
風の“地図”が、一瞬で頭の中に描き直されていく。
(あそこが幹部フロア。屋上の一つ下。
東側の角をえぐれば、中に穴が開く
そしてももりんの場所は)
レンは、手すりから一歩下がった。
「ひより、青年。俺にしっかり掴まれ」
「はい!」
「わかりました」
ひよりが右腕に、青年が左腕にしがみつく。
レンは、敵本部ビルの高層階——東側の角を真っ直ぐ見据えた。
「行くぞ。——」
ルーチェが、ぱん、と弾けるように膨らんだ。
次の瞬間、屋上そのものが吠えた。
足元から、圧縮された風の柱が立ち上がる。
真っ直ぐ空へ突き上がり、そのまま敵ビルへとビームのように荒々しく周りを巻き込みながら伸びていく。
三人の身体が、地面からふわりと浮いた。
「うわ、うわわっ……!」
青年が悲鳴をあげる。
ひよりは必死で笑いながら、レンの腕に食らいついた。
風のトンネルの中を、弾丸みたいな速度で進む。
下を見れば、ゾンビの群れが豆粒みたいに小さい。
風の柱は、敵ビルの上層階——屋上ひとつ下のフロアめがけてまっすぐ突っ込んだ。
「そこ!」
(任せなさい!)
ルーチェが風の向きを、ほんの少しだけねじる。
風の先端が、槍のように細く尖った。
——ドガァンッ!!
ビルの東側の壁が、音を立てて吹き飛ぶ。
コンクリ片とガラスが朝日にきらめきながら、外へ弾き飛ばされる。
人間の気配は、そこにはなかった。
(よし……人間は巻き込んでない)
(ギリギリ狙いすぎなんだから。ほんっと性格出てるわよ)
風の柱は、そのまま開いた大穴へ三人を運び込む。
三人は半ば転がるようにして、ビル内部の床へ着地した。
「っ、いったぁ……!」
「……なんですか、今の!?」
「えっ?あぁ、感覚共有の応用なんだスマホを通話状態で二台重ねるとハウリングするだろ
そんな感じだ」
「そんな事までできるんだ」
ひよりと青年は驚きつつ周囲を確認する
そこは、無機質なコンクリのフロアだった。
廊下の奥には、重そうな扉がいくつも並んでいる。
レンはすぐに立ち上がり、吹き飛んだ穴から外を一度だけ振り返った。
朝の光の中、風がまだ細く渦を巻いている。
さっきまでゾンビが溜まっていた足場は、きれいに空になっていた。
「……よし。被害、最小限」
ルーチェがくすっと笑う。
「さ、ここからは室内戦よ。吠えるのはちょっと控えめにしましょ
私はいったん帰るわね、レン死んじゃだめよ」
「ああ」
レンは、剣の柄を握り直した。
「ひより、青年。ここから先は、もう敵の陣地ど真ん中だ。
——ももりんを連れて帰る」
「はい!」
「もちろん」
三人は、吹き飛んだ壁の穴を背に、幹部フロアの奥へと踏み込む。
その瞬間、廊下の奥でカチリと金属音がした。
エレベーターホール側の扉が、内側から開く。
黒いジャケット姿の男が二人。
その足元には、よろめくゾンビが数体。
一人の男の左手には、見覚えのあるタイプのグローブがはめられている。
レンと目が合った。
「……すごい侵入の仕方だな」
男が、口の端を吊り上げた。
グローブの指先が、ぱちんと鳴る。
廊下の空気が、ぴりっと張りつめた。
「ひより、青年——下がってろ
手加減なしだ」
レンが一歩、前に出る。
男の足元でゾンビが唸り声を上げた。
次の瞬間、互いの一歩目が、ほとんど同時に床を叩いた。




