桃瀬 鈴 2
「……まだ、話してないことがあるんですよ」
ちかがぽつりと言った。
隔離ビルの一角。
ひよりとレン、まわりには桃農家たちが座り込んでいる。
「ももりんが新宿に着いてからのこと。」
* * *
ゲートを抜けたとき、拍手が起きた。
それは“歓迎”というより、“祝杯”のようだった
まるで私たちとは無関係の
——一番先に声をかけてきたのは、ファンではなかった
スーツ、白衣、ローブ。
いかにも“怪しい”って空気の連中。
『少し、お話を。
この街の実情と、あなたの立場について』
ももりんは不安そうにしながらも、「はい」と頷いた。
振り返って、桃農家たちに笑う。
『すぐ戻るから。
ここまで来てくれて、ほんとにありがとう
もう大丈夫だよ』
いつも通りの笑顔だった。
* * *
「でも、戻ってきた顔は全然違いました」
何時間かあと。
簡易宿舎みたいなスペースに、ももりんが戻ってきた。
『みんな、ほんとにありがとう』
言葉は優しいのに、目の奥だけがやけに静かだった。
『でも……もう一緒にはいられないかな』
ざわ、っと空気が揺れる。
『これからはここの人たちに協力するの……』
笑おうとして、口元だけが少し震えた。
誰かが叫んだ。
『一緒にいたいよ!』
ももりんは、少しだけ目をそらしてから言った。
『……わたし‥
みんなは、ちゃんと守られていて』
それきり、係員に連れて行かれた。
その夜、桃農家たちはまとめて“隔離ビル”に移された。
* * *
「マークが出たのは、そのあとです」
一番前でライブを追いかけてた子。
地方遠征もぜんぶ行って、レポ漫画も描いてた子。
「その子の手の甲に、急に出たんです」
紺色の印。
円を噛んだみたいな、変な形。
『なにこれ、やば。ももりんへの愛の印か?』
みんなで笑ってたのは、ほんの数分だった。
『その印、見せてもらえますか』
武装した警備員が入ってきて、その子の腕をつかんだ。
庇おうとした子たちも、あっさり押しのけられる。
『少し検査をします。
危険がないかどうか、確認するだけですから』
白衣の声は、妙に慣れていた。
「連れて行かれる前、その子がこっち見て――」
ちかは、指をぎゅっと握る。
『ちかちゃん、これ……ネタになるかな』
笑ってた。
でも、目はちょっとだけ泣きそうだった。
* * *
「次に見たとき、その子は“対戦相手”になってました」
隔離ビルの最上階。
「特別検査」と書かれた部屋。
ちかたちは別室から、監視カメラの映像を見せられた。
がらんとした広い部屋の真ん中に、二人。
一人は、手の甲に印の浮いた桃農家。
もう一人は——
『……りん、ちゃん?』
ももりんは、いつものパーカー姿で立っていた。
壁際にはローブ姿の男達
腕を組んで、じっと見ている。
『検査を開始してください』
白衣の声がした瞬間、印が光った。
足元の空気がいきなり暴れ出す。
荒い風が床を叩き、備品を宙に浮かせる。
『わたし、ももりんの味方だよ!
戦いたくなんかない!』
泣きそうな声がスピーカー越しに響く。
ももりんは、ぎゅっと目を細めた。
『……ごめんね』
それ以上、何も言わなかった。
次の瞬間、部屋の風全部が、ももりんの方へ吸い寄せられる。
桃農家の足元から、風が奪われたみたいに静まって——
代わりに、ももりんの周りで渦を巻いた。
『りん、ちゃ——』
その先は、風の音で聞こえなかった。
突風。
小さな体が吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
映像が一瞬白く飛んで、戻ったとき——
床に倒れた子と、そのそばに膝をつくももりんが映っていた。
ローブの男が、指先で軽く拍手する。
『十分です、桃瀬鈴。
あなたはちゃんと、こっち側の人間ですね
いや、それ以上の』
ももりんは、顔を上げなかった。
* * *
「その子、戻ってきてないです」
ちかは、淡々と言う。
「“検査終わりました”って帰ってきた子は、ひとりもいない」
担架に乗せられ運ばれていくとき——
ももりんは、その子の手を握ってなにか言っていた。
ガラス越しで、口の動きだけが見えた。
『……絶対——』
その先は、白衣の男に肩をつかまれて、途切れた。
『桃瀬さん、あなたにはもっと大事なことをしてもらわないと』
ももりんは、答えなかった。
* * *
現在。
ちかは話を切り上げるように、ひとつ息を吐いた。
「……だから、ももりんが“敵の顔”してても、わたしは信じてないです」
ひよりは、うつむいたまま拳を握っていた。
「敵の真ん中に立たされてるだけ、っていうか」
それ以上は、言葉にしない。
部屋の空気が、じわりと重くなる。
「ひとつだけ分かるのは」
ちかは続ける。
「マークが出る人は、“ももりんの側”に引き寄せられてるってこと。
幹部はそれを利用して、あの人を“武器”にしてるってこと」
ひよりは、そっと自分の左手首を押さえた。
紺色の印が、服の下でうっすら熱を持っている。
レンは短く息を吐く。
「……ありがとな。聞かせてくれて」
それだけ言って立ち上がった。
窓の外では、まだゾンビと悲鳴の音が続いている。
「どうするんですか」
ひよりが顔を上げる。
「決まってるだろ」
レンは、いつもの調子で肩をすくめた。
「ももりんの悪役ムーブ、長引かせるほど趣味悪くない。
幹部もろとも、舞台から引きずり下ろす」
ちかが、少しだけ笑う。
「その瞬間、桃農家も神席で見させてもらいます」
「前線じゃなくていいのか」
「そこは……状況次第で」
部屋のあちこちで、小さく笑いが起きた。
ゾンビの唸り声と銃声の中で、
隔離ビルの一室だけ、少しだけ空気が軽くなった。
レンはドアの方へ向き直る。
「回想タイム終わり。
——そろそろ本編に戻ろうぜ」
ひよりも、ちかも、桃農家たちも立ち上がった。
それぞれの胸の中で、まだステージの上にいる“桃瀬鈴”の姿を思い浮かべながら!




