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桃瀬 鈴 1

ビルのロビーは、思ったより“生きていた”。


 古いソファ。

 止まった自販機の横に、キャンプ用コンロ。

 水タンクと、カップ麺のダンボール。


 ひよりは、まだ膝の震えをごまかしながら立ち上がった。


「……あの」


 おそるおそる、ひとりの女の子が近づいてくる。


 肩までのボブ、パーカーにスカート。

 手には、色あせたももりん公式タオルをぎゅっと握っていた。


「もしかして、“ひのひよ”さん……ですか?」


「えっ」


 ひよりは、変な声が出た。


(今、“ひのひよ”って……)


「X……じゃなくて、あの、SNSの。

 毎回、ライブ後に長文感想上げてた“ひのひよ”さんですよね?」


「あ、あの、その……

 北川ひよりです。“ひのひよ”やってました……」


 自分で言って、顔が熱くなる。


 女の子のほうも、ぱっと顔を明るくした。


「やっぱり! 私、“ちかもも”です!」


「“ちかもも”さん……!」


(その名前……!)


 何度もDMでやりとりした桃農家のハンドルネーム。

 新曲のたびに情報を投げてきてくれた、あの子だ。


「あの、本当にここに……」


「はい、生きてました。ギリギリ」


 ふたりで変な笑いがこぼれる。


 ロビーのあちこちから、他の“桃農家たち”も集まってきた。


 ライブTシャツを擦り切れるまで着ている子。

 手作りうちわを抱えたままの子。

 リュックパンパンにグッズを詰めたままの子。

 ペンライトを2本腰にぶら下げた男子高校生。

 腕にタトゥースリーブみたいにリストバンドを重ねた社会人っぽい男性。


 年齢も性別もバラバラだけど、

 全員、どこかしらにももりんのグッズを身に着けている。


「ここって……」


 ひよりが周りを見回すと、ちかももが肩をすくめた。


「“熱心な桃農家隔離ビル”です。

 公式には“感染疑い者の保護区画”って名前ですけど」


 ロビーの隅のホワイトボードには、雑な字でこう書かれている。


【桃農家隔離区画

 外出禁止/外部立ち入り制限】



 そこでようやく、ちかももはレンのほうを見た。


「助かりました。本当に。

 ここに辿り着けた人がいるってだけで

外では何が起きてるんですか?」


レンはきいた

「知りたいのはひとつだ。

 ——ももりんは、ここにいたのか」


 ロビーの空気が、ぴんと張り詰める。


 ちかももは、少しだけ目を伏せてから頷いた。


「……いました。ちゃんと、新宿まで」


 ひよりの胸がきゅっとなる。


「じゃあ、やっぱり——」


「でも、今はここにはいません」


 ちかももの声に、悔しさがにじんだ。


「着いたときは、一緒でした。

 自衛隊の車両で、このビルの前まで」


 近くにいた男子の桃農家が、言葉を継ぐ。


「“ももりんと同じ車両だった人たち”って名目で、俺たちまとめて呼ばれて……

 “感染の疑いがある人は、こちらへ”って」


「で、そのまま“こっち側”に隔離です」


 ちかももが、階段のほうをちらりと見る。


「そのとき、ももりんは“代表”みたいになってて。

 “私が説明するので、みんなをあんまり怖がらせないでください”って笑ってました」


 ひよりは、目頭が熱くなるのを必死にこらえた。


「じゃあ、どうして……」


「ゲートを通るときに、機械があったんです。

 金属探知機みたいな。

 それ通ったとき——“反応が強い人”だけ、別ルートに回されて」


 ちかももは、拳を握る。


「ももりんは、そっちでした」


 ロビーのあちこちで、桃農家たちが小さく頷く。


「前から、薄々は分かってたんです。

 “この人、なんか普通じゃない”って」


「ライブのとき、急に風が止んだり。

 屋外なのに、音が異様にクリアだったり」


「こっち来る途中も、何回か見ました。

 ゾンビの群れ、風の壁で押し返してたの」


 ひよりは、無意識に自分の左手首をさすった。


 紺色の薄い印——マーク。


(“異世界の力”に反応する機械……)


 レンが、ロビーの壁を一度だけ指で叩く。


「このビルが“ファン隔離区画”なら——

 ももりんは、ほぼ確実に“上の施設”だな」


「上……?」


「このコロニーを牛耳ってる連中と、“力”を調べたがってる奴らのいる場所だ」


 科学者の姿が頭をよぎる。

 ネクロマンサーとは別の、人工ゾンビの生みの親。


 ちかももが、ひよりのほうを向く。


「ひよさん」


「はい」


「……本当に、ももりんを助けに行くつもりなんですよね」


「当たり前です」


 ひよりは即答していた。


「ここまで来て、“推しが特別だからしょうがない”なんて、絶対言いません」


 一瞬、ちかももの目が潤む。


 そして、ぎゅっと笑った。


「ですよね。

 だからずっと、“ひのひよ”の感想読むの好きだったんだと思います」


 そのとき——


 ビル全体が、ぐらりと揺れた。


「きゃっ!」


 誰かの悲鳴。


 天井の照明が、かすかにきしむ。


 外から、ゾンビとも違う、金属が軋むような唸り声が響いた。


「……人工ゾンビのほうか」


 レンが、ほとんど独り言みたいに呟く。


「科学者のやつも、本格的に動き始めたな」


 ロビーの空気がさらに重くなる。


 ひよりは、ちかももの袖をそっとつまんだ。


「ねえ、“ちかもも”」


「ちかでいいですよ。

 私も、“ひよ”って呼んでいいですか」


「えっ、あ、はい……」


 非常時に初対面であだ名呼びスタートはさすがに想定外だった。


「ちか。

 ここに、“ももりんと一緒にここまで歩いてきた”桃農家の子、他にもいますよね」


「います。男女どっちも」


 ちかは、ロビーの奥にいる数人の男女グループを顎でさす。


「このビルにいる“ガチ勢”の半分くらいは、あのルート組です」


「その子たちから、“全部”聞かせてほしいです」


 ひよりは、拳を握る。


「どこからどこまで一緒で、

 どこで離されて、

 その間、ももりんがどんな顔してたか」


 ちかは、真剣な目でひよりを見る。


「……助ける気、なんですね」


「もちろん」


 レンがその会話を横で聞きながら、肩を回した。


「ひより。情報は任せる。

 俺はこのビルの構造を見てくる。

 逃げ道と、“上”へのルートを押さえたい」


「分かりました」


 ひよりの手首が、じんわりとまた熱くなる。


(レンさんとの“印”があるなら——

 ももりんにも、きっと誰かとの印がある)


 それは、この世界に縛る鎖じゃなくて。

 一緒に戦うための目印のはずだ。


「じゃ、とりあえず——」


 ちかが、ロビーのホワイトボード用のペンを握る。


「“桃農家作戦会議”始めましょう。

 議題、『推しを奪い返す』で」


 男女まじりの桃農家たちから、小さなどよめきと笑い声が上がる。


 外では、またビルが揺れた。


 科学者の人工ゾンビが、新宿コロニーを食い破ろうとしている。


 その中で——

 推しを守るための、ちいさな“桃農家ミーティング”が静かに始まろうとしていた。


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