1話
春って、なんかふわふわしてて、いいよね。
空気がやわらかくて、風がすこしだけ甘くて、テラスの床がぽかぽかしてて。
わたしは、春がけっこう好き。冬のあいだは、陽だまりがちょっとしかなかったけど、春になると、テラスの角っこまで光が届くようになるの。
そこに丸くなって寝ると、もう、ぜんぶどうでもよくなる。世界がふわ〜って溶けて、わたしもふわ〜ってなる。
それが、春の陽だまり。
でもね、飼い主の美希さんは、春がちょっと苦手みたい。
朝から「へっくしょん!」って、すごい音を出すの。びっくりして、わたし、毛が逆立ったもん。
「こまりさん、ごめんね〜」って言うけど、くしゃみって、あんなに爆発みたいな音、必要?
しかも、連続でくるの。「へっくしょん!へっくしょん!へっ…」って、もうリズム芸みたい。
わたしは、テラスの端っこに避難して、そっと耳をたたんでみる。
春って、静かな季節じゃなかったっけ?
美希さんは、くしゃみのあとに鼻をぐすぐすさせながら、マスクを外して、コーヒーを飲んでた。
そのマグカップ、昨日も使ってたやつだよね?ちょっとだけ、口紅のあとが残ってる。
コーヒーのにおいが、ふわっと部屋に広がって、わたしの鼻にも届いてくる。
ちょっとだけ苦くて、ちょっとだけ大人っぽいにおい。
わたしは飲めないけど、あの香りはけっこう好き。なんか、落ち着くんだよね。
「花粉、つらいなぁ…」って美希さんがつぶやいてるけど、わたしにはよくわかんない。
花粉って、見えないし、においもしないし、わたしにはぜんぜん関係ないみたい。
でも、美希さんがつらそうだと、ちょっとだけ心配になる。
だから、わたしはそっと近づいて、彼女の足元に丸くなってみる。
すると、美希さんが「こまりさん、あったかいね」って言って、わたしの背中をなでてくれる。
うん、あったかいよ。春だもん。わたしの毛も、春仕様でふわふわなんだよ。
それにしても、人間って、春になると忙しそう。
くしゃみしたり、鼻かんだり、マスク探したり、スケジュール帳に何か書き込んだり。
わたしは、ただ陽だまりに寝てるだけなのに。
でもね、たまに思うの。
わたしがこうして静かに寝てることで、美希さんがちょっとだけ落ち着いてくれたらいいなって。
くしゃみのあとに、ふぅって息を吐いて、わたしを見て笑ってくれたら、それだけで春は完璧。
今日の陽だまりは、ちょっとだけ長くて、ちょっとだけやさしい。
小鳥たちも、いつもより長くテラスにいてくれた。
チュンチュンって鳴いて、テラスの手すりにとまって、わたしと目が合った。
「おはよう」って言ったような気がしたけど、たぶん気のせい。
でも、春って、そういう気のせいがいっぱいある季節だと思う。
美希さんは、くしゃみをしながらも、コーヒーを飲みながら、わたしの写真を撮ってた。
「春のこまりさん、かわいいなぁ」って言ってたけど、わたしは知ってる。
春のかわいさは、陽だまりのせい。わたしじゃなくて、光の魔法。
でもまあ、ちょっとくらいは、わたしのせいでもいいかな。
だって、春の陽だまりには、わたしがいるんだもん。
それって、けっこう特別なことじゃない?
春の朝は、くしゃみとコーヒーと、わたしの丸まりでできている。
それが、美希さんの一日を、ちょっとだけやさしくしてくれるなら、わたしは今日も、陽だまりの中で、静かに丸くなる。
世界がふわ〜って溶けていく音を聞きながら。




