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信じたものだけが行ける場所

宗教に加わってからの生活は思いのほか落ち着いていた。


山間にある拠点は古い集落跡を改装したものだったが簡素でありながら整っていた。

衣食住に不便はなく野菜や雑穀中心の食事も質素ながら丁寧に用意されており都会の喧騒から離れて静かに暮らすにはちょうどよかった。


この団体は表向きには自然信仰と縄文文化の回帰を掲げていた。

火や水、石や木といった自然物に気のようなものを見出し古代の暮らしを手本とした営みを重んじていた。

そして信者たちは皆どこか純粋で、まるで子供のような無邪気さを見せることもあった。




だが暮らしていくうちにそれだけではない側面が徐々に見えてきた。




例えば満月の夜には必ず「大丈夫の時間」と呼ばれる儀式が設けられている。

空間は沈黙に包まれ誰もが言葉を発することなくただ一点を見つめ息を殺している。

その中を祈祷の場に立つ「導き手」がゆるやかに歩みを進める。

彼は誰とも目を合わせず、静かに、だが確かに、団扇太鼓を天に掲げて立っている。

そして低く胸奥から絞り出すように一言だけが響く。


「だいじょうぶだ。」


それは命令でも問いかけでもない。

何が大丈夫であるか主語を語らない。

ただの宣言、あるいは断言。

参加者たちもまた、この言葉を繰り返すだけだ。


そして時折「ウェッ」や「ウァッ」といった意味を持たない発声が漏れ出始める。

奇声ともつかぬそれらは抑えがたく湧き上がる衝動のようであり、あるいは神に触れた者の証のようでもある。

キリスト教系のペンテコステ派において見られる「異言グロソラリア」と呼ばれる現象にも似ている。

意味のない音声、未知の言語のような響き。

だが誰もそれを疑問に思わない。

むしろそれは神が近づいている兆しとされる。

言葉にならない言葉、声にならない意思。

それらが重なり空間は次第に震えを帯びていく。

まるで何かを待っているかのように。


それが、この宗教が内包するもう一つの顔だった。




だが私の本来の目的はただ信仰に身を置くことではない。

「ポリゴン抜け」の発生しうる地点がこの禁足地のどこにあるのかを突き止めるのが本懐だ。


とはいえ、場所の見当すらつかない。

山岳地帯は広大で鬱蒼とした森や急峻な崖も多い。

無闇に歩き回れば怪しまれてしまう。

この共同体は開放的な顔をしているが「探っている」と思われれば即座に排除されてもおかしくない。


焦ってはいけない。

じっくりと内部に溶け込み彼らの言葉や慣習そして無意識の中に埋もれた断片を拾い集めていく。

その中に「ポリゴン抜け」のヒントがあるはずだ。




そんなある日、古参のひとり、「教導」と呼ばれる立場の人物が何気ない会話の中でぽつりとこう言った。


「あのね、やまのずーっとむこうに『ぬいめ』っていうばしょがあるの!」


一瞬耳を疑った。が、すぐに確信へと変わる。

「ぬいめ」。おそらく「縫い目」と書くのだろう。

それこそが私が探していた「ポリゴン抜け」の場所に違いなかった。


さらに調べを進めていくうちに内部の古参信者たちがその山の事を「つなぎやま(繋山)」と呼んでいることを知った。

「縫い目」と「繋ぎ」。あまりにもできすぎている。

偶然の一致では済まされない符号だ。




そんな折、私は資料室の整理整頓を任されることになった。

半ば雑用のような役回りだがこれもまた運というものかもしれない。


整理整頓を行っていると棚の奥に積まれた埃まみれの木箱の中から一冊の日記帳を見つけた。

表紙はくすんだ緑色で中央には不釣り合いなほど大きな花の絵。

どこか子ども向けの絵本のような装丁だが中身は紛れもなく本物だった。

それは明治時代にこの地にいた「教導」の一人が記したとされる日記帳だった。


慎重にページをめくっていくと、ひときわ異質な筆致の一節が目に入った。


「マサヨシがいなくなった。

かみなりがいっぱいなった ひの ゆうがた、つなぎやまの すべりだいみたいな ところを おりたあとが あった。

みんなで さがしたけど マサヨシは どこにも いなかった。

まるで かみさまに つれていかれたみたい。

マサヨシ、どこにいったのかな。

ぶじだと いいな。」


胸の奥がざわりと揺れた。


この日記が記録していたのは「ポリゴン抜け」の発生そのものではないか。

すべてが符合する。

雷鳴が轟く日に繋山の滑り台のような斜面を下って姿が消えた。

神に連れて行かれた? いや「ポリゴン抜け」したのだ!


「縫い目」の正体がようやく見えた瞬間だった。




そして、「かみなり」というキーワードで気がついた。

雷と速さ。まるで映画「Back to the Future」みたいではないか。

フィクションで描かれたタイムトラベルの条件がまさか「ポリゴン抜け」と一致するとは。


これを単なる偶然と言ってしまうには、あまりにも出来すぎている。

むしろ、あの作品の舞台がアメリカであることを考えるならばアメリカにも同様の「縫い目」が存在している可能性を示唆しているのではないか。

つまりフィクションに見えるあの映画はアメリカで語り継がれてきた「縫い目」の伝承をもとに構成されたものでありフィクションの皮をかぶった限りなく現実に近い報告書だったのかもしれない。




私は確信した。

「ポリゴン抜け」を可能にするには雷鳴が轟く日を狙う必要がある。

これはもはや疑いようのない絶対条件だ。

そして今、その条件がすべて整ったのだ。

もはや迷う理由はない。

もう実行に移すべき日が来たのだ。




私は繋山への入山を決意した。

「ポリゴン抜け」が発生するであろう、あの場所をこの目で特定するために。

だが他の信者たちに怪しまれることなく単独で山に入るにはそれなりの理由が必要だった。


そこで私はある日こう提案した。


「きょうね、かくれんぼしよ? ぼくがオニやるから!」


それだけで食いついてきた。

彼らは隠れることを儀式の一部と捉えるような独特の思考を持っていた。

私は鬼を買って出て、みんながそれぞれに隠れる場所を探して散っていくのを見送った。


その隙に私は繋山の山中に入り「縫い目」の地形を探し回った。

やがて古びた滑走斜面のような地形を見つける。

滑降すれば十分な加速が得られる勾配。ここに違いない。




私は周囲を警戒しつつ雑草を抜き地面を踏み固め足場を整えた。

というのも背負う予定の荷物が常人の旅支度では到底済まされない量だからだ。


異世界での生活を見越して私は転移前から膨大な量の道具を用意していた。

それらをひとまとめにしたリュックは登山装備として見てもかなりの重量級である。


このリュックを背負ったまま斜面を走り出せば途中で足を取られて転倒する可能性が高い。

だから私は考えた。

スケートボードで滑るのだ。


この発想は映画「Back to the Future」から着想を得た。

子供の頃その影響で夢中になってスケートボードに乗りハーフパイプで遊んだ日々を思い出す。

当時はただの遊びだったが、まさかこんな形で活かされるとは思ってもみなかった。


これで斜面を滑降するための準備はすべて整った。




そして最大の難関は「雷」だった。

いつ来るとも知れない雷鳴を毎日天気図と睨み合いながら待ち続けた。

装備を常に整え、すぐ山へ入れるよう準備を欠かさなかった。




ある昼過ぎ。ついにその日は訪れた。

空が暗くなり風が重く湿り気を帯び始めた。

遠くから雷鳴が聞こえた瞬間、私はすぐ行動に移した。


誰にも告げず、ひとり荷物を担ぎ山奥へと向かった。

机の上には書き置きを残して。




斜面のてっぺんに立つ。

雨粒がぱらぱらと頬を打ち風が草を逆なでる音が耳をかすめた。

稲光が遠くの尾根を白く照らし、その刹那、空の奥から重く低い音が響く。

空気がじりじりと焼けつくような静電気を孕み、肌の上をざらりとした感触が這っていった。


深呼吸を一つ。

地面はわずかに湿って滑りやすくなっていたが私はためらわなかった。

そして助走をつけ一気にスケートボードに飛び乗った。


最初の数秒は前輪がぬかるみに取られぬよう体をやや後ろに引きバランスを保つ。

そのまま前傾姿勢に移行し地形の傾斜に沿って重心を調整していく。

風の流れを切り裂きながらボードは加速度的に地面を滑り降りていった。


タイヤの軋み。泥をはじく音。

全身に伝わる細かい振動が脳髄を心地よく揺らす。


視界の端が揺れ風が肌を切り裂くように通り抜ける。

世界の壁を押し破るような感覚。

空間が軋み、重力がねじれ、風景が紙のように割れていく。




重力が消え耳鳴りが止み、ほんの少し浮き上がった。

私は良い転移をした。


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