13話 死怨竜
死怨竜の魔石に触れると莫大な魔力の奔流に飲み込まれそうになる。
どんなにたくさんの魔石を集めてその魔力を吸収しても、たった一つのこの死怨竜の魔石には叶わないと感じる。
僕が一粒の雨なら、この魔石が秘める魔力は巨大な湖だ。天と地の差とはこういうことだろう。
僕が生きていたらはたして正気を保っていられただろうか。いや、常人では近付くことさえ出来なかったと思う。禍々しく邪悪なこの魔石は有るだけで死を振りまく。
だけど今の僕にとっては甘美で心地良ささえ感じる。
それはさておき、はたして僕はこの魔石をどれくらい吸収できて、どれくらい時間がかかるだろうか。早速魔力を吸収を試みる。
〝くっ……〟
死怨竜の魔力が僕の中に入ってくる。他のどんな魔石の魔力よりも濃密で強大で凄まじい。
感じる。僕の魔力が濃くなっていくのを。何かが満たされていく。僕には感覚が無いのに、喜びに包まれて快感のような何かを感じて魂が揺らぐ。
〝凄い……。これならあれも試せるかも――〟
『我が魔力を奪い安らかな眠りを妨げるのは誰だ』
僕は死怨竜の魔石から弾き飛ばされて派手に転がる。
魔力から異常な存在感が放たれ、さっきまで全く感知出来なかったのに異様に恐ろしい魂が現れる。その魂は魔石を離れて霊体として姿を表す。数十メートルはあろう巨大な体。全身は漆黒の鱗で覆われ、光に照らされると薄く紫色になる。背中には真っ赤な月の夜を思わせる赤黒い膜の翼。死神の鎌のような黒い鉤爪のある隆々の四足。頭には複数の立派な角が生えていて、深紅に輝くマグマのような恐ろしい瞳が僕とリエラティを見下ろす。
僕は恐ろしい迫力に体が強張り動けない。
「ちょっと!! 突然現れてジーナスを驚かせるんじゃないわよ!! もし怪我したらどう責任を取るわけ!?」
リエラティは全く臆すること無く小さな体で僕を守ろうと手を広げ、霊体ではあるが竜に対して怒鳴りつける。
「何事じゃ!!」
さっき別れたばかりのアストーが血相を変えて転移してくる。そして霊体のドラゴンに杖を構える。
霊体のドラゴンはアストーを睨み口を大きく開ける。
『我が名は死怨竜ザルトゥーン。我が力を奪い眠りを妨げた者よ、報いを……む?』
ザルトゥーンと名乗った死怨竜は大きな顔を僕に近づけてその目で僕を見る。異常なほどに巨大な存在力を放つ竜の魂に見つめられて、本当に恐怖でしかない。今にも一口で食べられてしまうんじゃないかと想像して、気が狂いそうになる。
『……まさかとは思うが、我が力を奪い眠りを妨げたのがこの骸の子であるとは言うまいな? いや……しかし……こやつから極微弱だが我の魔力を感じる……』
もっと力ある者が私利私欲の為に魔石から魔力を奪ったと思ったのだろうザルトゥーンは、それがスケルトンの子供であることに酷く困惑している。
「死怨竜ザルトゥーンよ。わしはマルザットのアストー。わしが説明しよう」
『ほう、貴様があの暴喰書界か。ではここがあの神秘万象の書塔か』
アストーの正体を知り威圧を収めるザルトゥーン。僕は体の力が抜けてへたり込む。
ザルトゥーンは興味津々で辺りを見回す。
「まずは事の経緯から話そう」
僕がアストーの弟子である事、僕が死霊魔法を習得していること、ザルトゥーンの魔石は大魔女エンネアから譲り受けた事を話す。
それを聞いて憤慨するザルトゥーン。
『普通ありえんだろう! ただの骸の子ごときに我が魔石を与えるのは! 狂っているのか!?』
ザルトゥーンの言葉は至極真っ当だ。“普通”なら相応の物を与える。弟子を思ったとしてもせいぜいがオーガくらいの魔石だろう。誰が竜の魔石を与えるだろうか。竜の魔力にスケルトンの、それも子供が耐えられるわけがない。呑み込まれて魂が崩壊する可能性のほうが圧倒的に高い。“普通”なら。
でも、誰一人まともではなかった。アストーは僕に死霊魔法を与え、僕はそれをなんの疑問もなく習得し、リエラティはサポートしてくれる。大魔女エンネアはそこら辺にある魔石を与えるように竜の魔石を僕にくれて、アストーは問題ないと拒否しなかった。
「確かに普通のやつからしたら異常じゃろうな」
うんうんと頷くアストー。
「じゃが師匠はわしじゃ。こやつをどう育てるのかはわしが考える。それに妖精のじゃじゃ馬姫がついておるのじゃ。問題など起きるはずもない」
「誰がじゃじゃ馬よ!!」
アストーに怒るリエラティ。
『なるほど。貴様があの大崩壊を引き起こし「わー!! わー!!」』
ザルトゥーンの言葉を遮るように慌てて大声を出すリエラティ。急いでザルなに近づいて恐ろしい形相で僕に聞こえないように何かを言っている。
『う、うむ……心得た』
こころなしかザルトゥーンが怯えているのは見間違いだろうか。リエラティは満足げな表情で僕の所に戻ってくる。
〝何を話したの?〟
「ちょっと約束しただけよ! 気にしなくていいのよ!」
〝約束……大崩壊っていうのは?〟
「忘れなさい」
〝え〟
「忘れるのよ」
普段通りの可愛らしい笑顔だが声のトーンは低く、ゾッとする凄みを感じて本能でこれ以上何かを聞くのは不味いと察する。
〝はい……〟
僕の返事に満足していつものリエラティに戻る。ホッとするけどザルトゥーンより怖かったとは言わないでおこうと心の中で誓った。
『大賢者にその妖精姫もついていたなら確かに我の力を吸収する環境としては申し分ないか……』
納得した様子を見せるザルトゥーン。
『奇縁に恵まれたな骨の子よ。これも巡り合わせか。面白い。他の誰かならその魂を消滅させたが、認めよう。我が力を授けるに足る存在だ』
よく分からないけど僕は認められたみたいだ。でも圧倒的な存在感を放つ竜の魂を目の前にしてどうすればいいのかわからない。怖い。怖すぎる。
『骨の子よ、名はなんという』
〝じ、ジーナス……。ジーナス・レニアです……〟
『大賢者の弟子であり妖精姫の友ジーナス・レニアよ。我が加護を与え見守るとしよう』
強大な力で僕の魂に干渉を受けているのを感じるけど、自分の力ではどうにかする事は出来ない。アストーとリエラティが何もしないということは悪いことじゃないのだろう。
ザルトゥーンとの繋がりがどんどん濃くなっていくのを感じるとともに圧倒的な存在感が僕の魂を包み込む。恐怖はない。むしろ心地良さと絶大な安心感さえ感じる。
押しつぶされそうになって苦しかった威圧感ももう感じない。
『では、これからもよろしく頼むぞ。我の魔石を持ち運ぶのは不便だろう』
そう言うと巨大な魔石は霞のように消えて、僕の右手の親指に指輪のような模様が現れる。
『魔石は我が持っておくが、そこからいつでも魔力を吸収したり使ったりする事が出来る』
〝凄い! ザルトゥーン様ありがとうございます!〟
『ザルトゥーンでよい。早速だがこの塔を案内してくれ』
僕の魂とザルトゥーンの魂が繋がったせいか、なんとなく分かるんだけど凄くワクワクしているのを感じる。
……もしかしてこの為に僕に加護をくれたんじゃないよねと考えてしまったが、首を左右に振って考えないようにした。