1話 蘇る
『さぁ……目覚めるのじゃ……』
ジメジメとした薄暗い森の中で、声が僕を呼びかける。
掬い上げられるような、引っ張られるような感覚とともに僕の意識は鮮明になっていく。
仄暗い灰色に染まった世界が鮮やかに変わる。
その日、僕は蘇った。
「魂は無事定着しているようじゃな。さぁ起き上がってみよ」
僕を覗き込むお爺さんの言葉に従い、上体を起こす。
その時、自分の体が骨である事に気がついたが、不思議と心は平然だった。
骨となった自分の手を見る。
「お主、生前の記憶はあるか?」
〝生前?〟
「そうじゃ。お主が生きていた頃の記憶のことじゃ」
声を出せない僕の言葉をお爺さんは理解してまた聞いてくる。
死ぬ前の記憶。
そう問われた時にジワジワと思い出される記憶。
死ぬ直前の事を思い出し、僕は自分を抱き締めるように肩を抱きガタガタと震える。
魔物に四肢やお腹を貪られる恐怖が鮮明に蘇る。
それはまさに地獄だった。
モンスターに襲われ、食われるという、死という壮絶な恐怖と絶望に支配されかけたその時、お爺さんは杖で僕の頭蓋骨をコツンと小突く。
「これ、落ち着かんか。この辺に魔物は居らんから安心せい」
お爺さんはそう断言する。
僕は、お爺さんの言葉に不安を抱きながらも、不思議と信じてしまい、コクリと頷く。
まだ恐怖はある。
骨の手がカタカタと僅かに震えてしまうが、目の前の老人の存在感が強く感じられ、次第に収まっていく。
〝僕はこれからどうなるんだろう……〟
頭を下に傾けて骨の両手を見る。
またモンスターに襲われたらひとたまりもない。
戦える力が無いからまた一瞬で殺されてしまうかもしれない。
そんな僕の不安と恐れを察したお爺さんは僕の頭にポンと手を置く。
「心配するな。儂の家に来るのじゃ。蘇らせて放り出したりはせん」
〝行っていいの?〟
「うむ。さあ着いてくるのじゃ」
そう言ってお爺さんは歩み始める。
僕は慌てて立ち上がり急いで後を追いかけた。
不思議な光景だった。
お爺さんの歩いている所は空間が歪んだように、立ちはだかる木や茂みの全てをがニュイっと避けて道が出来る。
ただ真っ直ぐ歩くだけ。
それが凄く不思議で、前を歩くお爺さんの背中が凄く大きく見えた。
どれくらいの時間を歩いたのだろう。
かなり長く歩いてきたが、僕の体は骨になっているから疲れを知らなかった。
前を歩くお爺さんも歩く速さは変わらず、疲れている様子もない。
森の奥へただ真っ直ぐ進んでいるのに、モンスターに遭遇することは一度も無かった。
そして、景色は一変する。
「着いたぞ。ここが儂の家じゃ」
その言葉に僕はただただ呆然とした。
生前の生身の肉体だったら目を見開いて驚愕している表情を晒していただろう。
天にまで建ち登る巨大な塔がそこにあった。
「何を呆けておる、着いてくるのじゃ」
その言葉に従い、慌ててお爺さんの元に駆け寄る。
大きな扉の前に着き、お爺さんが杖を少し翳すと、その扉はギギギと軋みながらゆっくり開く。
扉は開きお爺さんが塔の中に入っていき、僕も足早に、扉を通り抜けた。
「おかえりなさ~い!」
キラキラと輝く手のひらに収まるほどに小さな女の子が、ステンドグラスのような美しい羽を羽ばたかせてやって来た。
小さな女の子は僕を見つけると、ぐるぐると飛び回って観察する。
「ま~た妙なもの拾ってきたわね~」
「またとは何じゃまたとは。丁度いいリエラティ、そやつの世話を頼む」
「ええ~!! まぁ暇だし良いけど……」
僕の世話を押し付けられた小さな女の子は、少しムッとしていたが、直ぐに受け入れた。
「よろしくね! 私は妖精のリエラティ! わかんない事があったら私に聞いてね!」
眩しい程に可愛らしい笑顔で目の前に飛ぶ。
僕は初めて見る妖精に驚き、戸惑ってオロオロした。
「こっち来て! 塔を案内してあげる!」
眼の前をヒラヒラと飛ぶリエラティ。
オロオロする僕にお爺さんは行きなさいと言い、コクンと頷いてリエラティについていく。
塔の中は複雑な作りになっていて迷路みたいで、もし迷ってしまったら延々と彷徨うことになりそうだ。
いろんな所を案内してもらい、楽しそうにいろいろ教えてくれる。
塔の中なのに庭園があったり、空があったり、いろんな生き物が居たり、沢山の本があって何冊も空中に浮かんていたり驚くことがたくさんあった。
入っては行けない場所もたくさん教えてもらった。
「ここがあなたの部屋ね!! そういえば名前を聞いてなかったわね。なんて呼べばいい?」
〝……僕の名前はジーナス。ジーナス・レニアだよ〟
「そう! じゃあジーナスって呼ぶわね!」
そう言ってリエラティは笑顔になる。
僕はリエラティに続くように部屋の中に入った。
〝わぁ~!〟
死ぬ前に住んでいた家よりも広い部屋だ。
大きなベッドに立派な机。
「ジーナス!! こっちに来て!!」
リエラティに呼ばれて机の方へ行く。
小さな妖精は机にかけてあった黒いローブを一生懸命引っ張っていた。
「これ着てみて!!」
言われたようにローブを羽織る。
不思議なことに、僕の背丈にぴったりだ。
「アストーが用意したのね! 似合ってるわよ!」
〝アストー?〟
「そう! 貴方をここに連れてきた爺さんで塔の主よ!」
あの人はアストーっていうんだ。
しっかりおぼえておこうと考える。
「ね、ジーナス! これからどうするの?」
〝これから?〟
「そう! なにかやってみたいことないの?」
やってみたいこと……。
僕はう~んと考える。
骨になってしまって、僕に出来ることはあるのかな。
「それじゃあ、ジーナスが死ぬ前やってみたかった事はなに?」
〝僕が死ぬ前……〟
小さな村の貧しい家だったから、物心ついたときからずっと畑仕事を手伝っていた。
毎日、日が暮れるまで泥だらけになって。
唯一の楽しみと言ったら、お母さんから聞くお話だ。
勇者の話だったり英雄の話だったり。
〝やってみたいことはあんまり無かったけど、夢はあったよ。魔法使いになりたいって〟
魔法で美味しい野菜をたくさん作ったり、鹿とかを狩ってお肉をお腹いっぱい食べたいって考えたことがある。
だけど、その夢は叶わない事は理解していた。
魔法を学ぶお金なんてないし、そもそも才能があるのかもわからない。
だからそれを口にしたことはなかった。
「それならここには魔導書がたくさんあるから、勉強してみる?」
〝いいの!?〟
「どうせアストー以外読む人なんて居なんだし、いいんじゃないかしら? 蔵書庫に行ってみましょう!」
〝うん!!〟
僕はワクワクしながらリエラティと一緒に部屋を出た。