第12話 能力の解除方法を俺たちは知らない
「お兄ちゃん、早くその力を解除して!」
アイリの切羽詰まった声が、俺の耳を突き抜けた。
「力の常時解放は代償が大きすぎるよ!」
「解除って言われても、どうやるんだよ!?」
「そんなの私だって知らないよ!! 私の時は、鞘があったから納刀したらいけたけど……お兄ちゃんのは、鞘すらないし!」
叫び合う俺たち兄妹。その足元では、黒刀がじわじわと脈動していた。
まるで、俺から何かを吸い取っているかのように。
やばい、早くなんとかしないと……でも、どうすればいい。
「黒い影から生まれたのなら、黒い影に還してみてはどうでしょうか?」
突然、冷静な声が頭上から降ってきた。
……ニコだった。
あの時、パニックで涙目だった彼女とは思えない落ち着いた表情。逆にその落ち着きが怖い。
「イメージするんです。黒い影に、この黒刀が沈んでいくところを」
「イメージ……?」
にわかには信じがたい提案だった。
でも、不思議と拒絶感はなかった。
どこか、ニコの声に“説得力”があったのだ。
信じてみるか。
俺は目を閉じ、想像する。
黒い刀身が地面の影に触れ、ゆっくりと溶けていく光景を。
そして、ゆっくりと、黒刀を手放した。
刃の先端が地面に触れたその瞬間――。
「……っ!」
音はなかった。あるいは、聞こえなかっただけか。
代わりに、じゅわ……と、まるで液体に沈むかのように、黒刀が闇の中へ吸い込まれていく。
刀身がすべて沈みきると、黒い影もふっと掻き消え、ただの無機質な床が残された。
まるで、あれが「この世界ではない何処か」へ戻っていったみたいだった。
「や、やったね! お兄ちゃん、大丈夫? 体とか、違和感ない?」
駆け寄ってきたアイリが、まるで母親のように俺の体をチェックする。
いや、母さんだって、ここまで心配してくれなかったぞ。
ふと、母さんの顔が脳裏をよぎった瞬間、胸が重くなる。
その沈んだ空気を察したのか、アイリの顔がますます曇った。
「……大丈夫、なんともないよ」
「……ほんと? ダメだったら、ちゃんと言ってよ?」
「ああ。……頼りにしてる」
「う、うん……えへへ……!」
アイリはぽわっと顔を赤くして、嬉しそうに笑った。
俺はそれを見て、ようやく安堵の息を漏らす。
「ニコも、ありがとう。おかげで助かったよ」
「そ、そ、そんな……わたしなんて、全然……っ。でも、よかったです!」
謙遜するニコだったが、本当に感謝してる。
俺たち兄妹だけじゃ、あの力を解除できずに、自滅していたかもしれない。
感謝の気持ちを込めて、彼女の頭にぽん、と手を添えて軽く撫でてやる。
「は、はぅ……」
……ん?
なにこの反応。
妙にとろんとした目で見つめてきて、まるで何かのスイッチを押してしまったかのような……
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん、なにやってんの!!」
アイリにがしっと腕を引っ張られ、無理やりニコから引き剥がされる。
「ニコちゃん、ごめんね、お兄ちゃんが変なことして……!」
「ふぁ、ふぁみ!? だ、大丈夫……です……」
いや、大丈夫には見えない。
顔が赤い。耳も真っ赤だ。
アイリは俺をジト目で睨みながら、ピシッと指を突き立ててくる。
「まったく、お兄ちゃんったら油断も隙もあったもんじゃないんだから! 気安く女の子に触っちゃダメ! ……私だって、撫でてもらってないのに……」
ん? 今なんか最後に小声で漏らしたか?
「……悪かったな、ニコ」
素直に頭を下げると、彼女もそそくさと頭を下げ返してきた。
「い、いえ……私こそ、ごめんなさいです」
気まずい空気が流れつつも、俺たちは脱出へと向かう。
階段を慎重に下りながら、足音を極力立てないように移動した。
途中、何度か人の気配を感じ、物陰に隠れてやり過ごす。
どうやら、追っ手たちはアイリの仕掛けた爆弾で解放された患者たち……つまり“病人”の対応にも追われているらしい。
長い階段を抜けた先、俺たちはようやく正面玄関と思しき巨大な扉の前にたどり着いた。
「ここから外に出られるはずです。Dr.ミラーはいつもこの扉を使ってました」
「私もここから侵入したから、間違いないよ!」
ニコの案内で、俺たちは扉へ向かう。
ただ、気になる。
こんな大事な出入口なのに、なぜ誰も警備していない?
一抹の不安が胸をよぎるが、今はとにかく脱出を優先する。
「……いくぞ」
扉を開けたその先に広がっていたのは、想像していた“外の世界”ではなかった。
コンビニもない。ショッピングモールもない。
右手には深い森、左手には、乾いた荒野。
「……なんだここ……?」
「うそ……」
「お兄ちゃん、ニコちゃん、知らないのも無理ないよ。あの白い塔って、非人道的な実験してるから、人目のつかない場所に建てられるんだよ」
言われてみれば納得だ。
いくら情報規制をしても、マスコミの目から完全に隠しきれるわけじゃない。
人目のない場所、つまり、外界から隔絶された土地ということだ。
「急いで、ここから離れよう! 追っ手が来るかもしれない!」
アイリの声で我に返った、その瞬間――。
「どこに行くつもりかな、御三方」
背後から、ねっとりとした男の声が届いた。
振り返ると、白衣を纏った男。
その横に、“研修中”と書かれた名札を下げた若い男。
そして複数の、明らかに戦闘訓練を積んだ看護師たち。
全員が、武装していた。
「今戻るなら、これまでのことは水に流そう。ミラー先生はちょっとやりすぎだった。すまんね」
ぺこり、と白衣の男が頭を下げた。
……え、えぇ?
看護師たちも「先生やめてください!」とか言ってるし、空気感が謎すぎる。
「戻らなかったらどうするの?」と、アイリが強気に前に出る。
その瞳には恐れはない。
冷たく鋭く、白衣の男を射抜いていた。
「私たちを……殺すつもり?」
白衣の男は、ふふっと笑った。
「いやいや、殺すなんて滅相もない。ただ――少し、痛い目にあってもらうかもね。当直明けで正直やりたくないんだけど、仕方ないか」
直後。
空気が、張り詰めた。
男の纏う“気”が、空間すら凍らせる。
アイリがすぐさま戦闘態勢に入った。
だが俺とニコは、まったく動けない。
動いたら、殺される。
そんな本能的な警告が、全身を締めつける。
この男は……Dr.ミラーとは格が違う。
「さあ、どうする? 御三方」