第10話 新たな仲間
すぅすぅと寝息が聞こえる。
アイリは戦いの疲れを癒すために、横になったまま静かに眠っていた。
ベッドに掛けられた薄い毛布が、彼女のかすかな呼吸に合わせて上下する。
額にかかる髪が、微かに揺れた。
彼女の能力のひとつ――『血刀』。
血液を刃へと変化させる異能。
それは美しく、そして残酷な力だ。
自身の命を削りながら生み出す真紅の刀。
文字通り、諸刃の剣というやつだ。
戦いのたびに、アイリの顔が少しずつ青白くなっていくのが気になって仕方がない。
俺の視線に気づいてか、寝ているはずのアイリが身じろぎした。けれど、それだけだった。
よかった、まだ眠ってる。
こんなに戦って、疲れないわけがない。
アイリは俺に心配かけまいとして、「大丈夫」と笑うけど、限界が近いのは明白だった。そ
して、それはおそらくDr.ミラーにも筒抜けだ。
敵は、俺たちの“弱さ”を利用してくる。
……今のように。
握った拳に力が入る。
俺には、彼女のような力はない。
俺自身の病魔すら、制御できずにいる。
俺がもっと強ければ、こんなにも無理をさせることはなかったのに。
ゆっくりと拳を開いた。爪の跡がくっきりと掌に刻まれていた。
そのとき
「……ん……」
小さな衣擦れの音とともに、寝かせていた少女が身を起こした。
俺は即座に体を起こし、身構えた。
彼女は、敵として送り込まれた存在。
Dr.ミラーに洗脳され、自分の意思とは関係なく襲いかかってきた。
「……あの、ここは……どこですか?」
少女は不安げな声でつぶやいた。
怯えた小動物のように、視線をあちこちさまよわせている。
でも、その瞳には光が宿っていた。
無機質な光じゃない、生きている人間の、確かな意志の光。
洗脳は解けた――そう直感した。
俺は呼吸を整え、優しく語りかけた。
「大丈夫。もう安全だよ。……いろいろ話さなきゃいけないことがあるけど、まずは君の名前を教えてくれるかな? ニコちゃん、で合ってる?」
少女は少し驚いた顔をして、こくりとうなずいた。
「はい! 私は双葉ニコ(ふたばにこ)です!」
明るい声で、でもどこか緊張を含んだ自己紹介。中学生くらいか――アイリよりも明らかに年下だった。
「双葉ニコ、か。かわいい名前だな」
俺はなるべく柔らかい表情を作った。彼女の緊張をほぐしたかったし、なにより敵意がないことに安堵していた。
「ありがとうございます……」
ニコは照れたように笑った。けれど、その笑顔はすぐに翳る。
「体は……大丈夫そうか?」
「うん、大丈夫。ちょっと頭がぼーっとするけど、痛みとかはないです」
「それならよかった」
俺は胸を撫で下ろす。
だが、心の中では警戒を解くなと警鐘が鳴っていた。
彼女の記憶がどこまで戻っているのか。
どれだけ“あっち側”の情報を持っているのか。
それによって、今後の戦略が変わる。
「ニコちゃん、ひとつだけ確認させてほしい」
「はい……」
「最後に覚えていることは?」
その問いに、ニコは少しうつむき、しばらく口を開かなかった。
部屋に沈黙が流れる。
けれど、やがてぽつぽつと語り始めた。
「病院のベッドにいました。私……双極性障害って診断されてて。元気なときはすっごく動けるのに、落ち込むと、何もかもどうでもよくなるタイプで。それで、ある日ベッドで丸くなって泣いてたら、白衣の人が来たんです。優しくて……“もう大丈夫だよ、君に合った治療をしてあげる”って……」
「……そいつが、Dr.ミラーか」
「はい。でも、最初は……ほんとに優しかったんです。話も聞いてくれて。でも……だんだんおかしくなっていって……“考えすぎるな”“命令に従っていれば楽になる”って……気づいたときには、自分が自分じゃなくなってて……」
ニコの肩が小さく震えた。
「ここって……心の病気を治すところだって、聞いてたのに……本当は、違うのかな?」
そのつぶやきに、俺は言葉を失った。
小さな少女が、心の傷を抱えて、助けを求めて飛び込んだ場所が地獄だったなんて。
「違うよ、ニコ。治療っていうのは、君の意思を尊重してこそ成り立つもんだ。洗脳なんて、治療でもなんでもない。……君は、もう自由だ。もう戦わなくていい。俺たちが、君を守る。ここから必ず連れ出すから」
そのときガチャリと物音がした。
「……うぅん……」
アイリが寝返りを打ち、うっすらと目を開けた。
アイリが起きた音のようだ。
「……君、目が覚めたんだ。良かったよぅ」
アイリの目が、わずかに潤んでいた。
ほっとして涙が出たのだろう。
断じて眠いからでは無いはずだ。
アイリはふいに俺に視線を向けて、異変に気づいた。
「お兄ちゃん、その手どうしたの?」
「いや……俺は別に……」
「その手、赤くなってるよ」
俺は少しバツが悪そうに頭を掻きながら答えた。
「俺も戦えてたらなって思ってたらさ、力が入っちゃってて……カッコ悪いよな俺」
「ううん。お兄ちゃんはカッコ悪くなんかないよ!私一人じゃ、ここまで来れなかったかもだし!
今は私が守ってあげるから、いつか、私を守ってね!」
アイリの、妹の優しさに胸をあったかくしていたら突然横から声をかけられた。
「……あのっ!」
突然、ニコが立ち上がる。
その声は小さいが、確かな意志が込められていた。
「私……私も、戦います。今度は、自分の意思で!」
俺もアイリも、思わず彼女の方を見た。
「……無理しなくてもいいんだぞ、ニコちゃん」
「ううん。無理なんかしてないです。私、もう誰かに操られて生きるの、嫌なんです。泣いてばっかの自分も、イヤ。だったら、せめて自分で選びたい。私の力を、誰のために使うかを」
ニコの目は、しっかりと前を見据えていた。
アイリは彼女の方へ体を向けて、優しく微笑んだ。
「いい目だね、ニコちゃん。……でも戦うって、そんな簡単なことじゃない。覚悟がいるよ」
「覚悟……なら、もう決めました」
力強い声だった。
アイリは少しだけ目を見開いた後、ふっと口元を緩めた。
「……わかったわ。歓迎するよ、双葉ニコちゃん!女子会も出来るし仲良くしようね!」
年も近いからだろうか、さっそくアイリとニコは打ち解けていた。
本当にさっきまで戦っていた2人なのだろうか。
楽しそうに話している彼女たちは年相応で、本来こうあるべきなのだろう。
部屋に、静かに、けれど確かに新しい空気が流れはじめた。
小さな少女が、再び立ち上がる。今度は、誰にも操られることのない、自分の足で。
俺たちの戦いに、仲間が増えた。
その事実が、こんなにも心強いなんて思ってもいなかった。
たとえ先が見えなくても、俺たちは進める。
今度は、三人で。