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第7話 反撃された男


「なんなんだい、その男は!」


 昨夜の話をすると、おかみさんは案の定、ものすごく憤慨していた。


「いくらなんでもひどすぎる。男の風上にも置けないよ。クズ中のクズじゃないか。キングオブクズだよ、まったく!」

「できる方がやればいいって言いますけど、難しいですよね」


 そもそも、できない方はいつまでもできないままなので、必然的にできる方、つまりデイジーが負担する事になる。

 片方だけが我慢する事で成り立っている関係は、ひどく(いびつ)なものである。少なくとも、デイジーはもう耐えられなくなっている。


「賭け事をするわけでもないし、女の人に貢いでいるわけでもないから、ある程度は我慢しなきゃと思ってたんですけど……」

「甘いよ、デイジー。そんなのは当たり前のことじゃないか」


 そもそも、男性で年上のマックスがお金をたかっている時点でとんでもない事なのだと彼女は言った。


「あんたとクズの給金、どっちが上なんだい?」

「え? それはもちろん……マックスですけど」

「成人したのはどっちが早い?」

「マックスです」

「今の家に住もうって誘ったのは?」

「……マックスですね……」


 この国において、男性の方が高い給金をもらう仕事に就きやすい。

 年齢の差があるならば、その分収入の差がある。

 年下の上、給金の安い女の子にたかるなんて最悪だとおかみさんは言った。


「その男、あんたを大切にする気がないじゃないか」

「そう……かもしれませんね」


「どんなに疲れてようが、いたわってくれる気もない」

「……そうですね」


「あんたが困っても助ける気はないし、知らん顔を装って、あわよくば全部押しつけちまおうって思ってる」

「……そうですよね……」


 他人から言われると、彼のひどさが際立っている。デイジーと結婚するつもりではあるのだろうが、彼の望む将来は、デイジーにとって望ましいものではないはずだ。


「……私、どうしたらいいでしょうか」

 デイジーはぽつりと呟いた。


 マックスと結婚するのはほぼ確定だ。

 絶対ではないけれど、よっぽどの事がなければ変更はない。

 彼にこの状況を分かってもらい、できれば反省してもらうには。


 口で言っても駄目なのは分かっている。けれど、他にどうしたらいいのか。


 村に戻る事はできない。引っ越しも難しいだろう。お金を無理に払わせる事はできないし、家事の強要も不可能だ。

 この町で独り暮らしをするのは現実的でなく、両親に心配もかけたくない。マックスには言いつけると言ったけれど、実際のところ、それを選ぶ事はないだろう。

 思ったよりもずっとデイジーの取れる手段は少ない。


 ――でも、どうにかしないと。


 そうでなければ、これ以上同居する事は難しい。


「そうだ。ガーランドさんに相談してみるのはどうだい?」


 おかみさんがぱちりと指を鳴らす。

 いい考えだと言いたげな彼女に、デイジーは一瞬で赤くなった。


「むっ、無理ですよ! そんなこと言えません」

「いつでも頼ってくれって言われたんだろう? なら、いいじゃないか。あの人は若いけど、ちゃんとした大人だし、顔も広そうだ」


「無理ですってば。こんなことで迷惑をかけたくないし、こんな話を聞かせたくないです」

「そうかい? でもねえ……」

「絶対駄目です。駄目ったら駄目!」


 おかみさんは残念そうだったが、割合すんなりと引き下がった。ガーランドは異性なので、デイジーの評判を気にしてくれたのかもしれない。


 彼はやさしくて礼儀正しい、この店の常連客だ。

 確かに彼との会話は楽しいし、頼ってくれと言われて嬉しかった。正直、心強いとも思った。


 でも、それだけだ。

 それ以上にはならないし、なるつもりもない。


(……だって)


 無意識に、デイジーはポケットに手をやった。

 そこにはガーランドからもらった紙切れが入っていた。



    ***



 おかみさんの結論は、この間と同じものだった。


 曰く、「やってやらなきゃいい」だ。


 帰る時間はほぼ同じだが、いつの間にかマックスの帰宅は遅くなり、デイジーが夕食を作るようになっている。それだけなら仕方ないが、なし崩し的に朝食と、休日の昼食まで任されてしまい、何度言ってもそのままだ。


 残業ならともかく、マックスは酒の匂いをさせている事も多い。当番ができないはずはない。

 自分の分の夕食を作り、デイジーはさっさと食べ終えた。

 マックスが戻る前に食器を洗い、自分の洗濯を済ませておく。部屋に戻ったところで、玄関の扉が開く音がした。


「ただいまー。あれ、デイジー?」


 台所にデイジーの姿がない事で、マックスが戸惑っているようだ。

 すぐに部屋の扉がノックされ、少し間をおいてデイジーは答えた。


「マックス。何?」

「いや、俺の夕飯は?」

 マックスは少し酒を飲んでいるようだった。口調がわずかにゆらゆらしている。


「今日は少し疲れたの。食事の当番はあなたよね。私の分はいらないわ」

「いやそうじゃなくて、俺の分は?」


 当たり前のように、デイジーが用意すると思っている。ぴくりと眉が動いたが、デイジーは動じずに答えた。


「言ったでしょう。私の分はいらないって。あなたの分だけ作ればいいわ」

「だから、そうじゃなくて! いつもはお前が作ってただろ。なんで俺の分だけでも作っておかないんだよ?」


 マックスはイライラしているようだ。腹が減っているのかもしれない。

 言いたい事はあったものの、デイジーは同じ言葉を繰り返した。


「今日はあなたの当番だもの。あなたが献立を考えて、好きなものを食べればいいわ」

「生意気言うなよ。いいから作れって、俺疲れてんだよ」

「私も、本当に疲れてるの。もういいかしら?」


 話の途中で遮り、強引に切り上げる。鍵をかければ、いつもマックスがしていた事と反対になった。


「おい、ちょっと待てよ。俺が作れって言ってるのに――……」


 乱暴に扉を叩かれたが、耳をふさいでベッドにもぐる。


 材料はほとんどないけれど、朝の残りのスープはあるし、食べ残していたパンもある。どちらもマックスが嫌いなものだが、空腹が嫌なら食べればいい。


 しつこく扉を叩いていたが、腹が減って我慢できなくなったらしい。ちっと舌打ちし、マックスがどすどすと歩いていく。

 当てつけのように音を立てて食器を置き、乱暴に椅子を引く。ドン、と床を蹴る音がした。


(……まずはひとつ)


 予定より早くなったが、すべてはここからだ。

 マックスが反省するならよし、変わらないなら考えがある。


 少なくとも、今夜は夜の誘いをかけられる事もなさそうだ。

 それだけでも安心できる気がして、デイジーは久々にぐっすりと眠った。



    ***



 翌朝。


 早起きしたデイジーは、手早く朝食の支度をした。

 いつもならまだ寝ているはずのマックスは、空腹で目が覚めたらしい。珍しく早い時間に起きてきた。


「あれ、俺の分は?」

 ひとり分だけ用意された皿を見て、マックスが怪訝な顔になる。


「これは私の朝食よ。あなたの分はないわ」

「はっ? 何言ってるんだ?」

 目を見張ったマックスに、デイジーは淡々と繰り返した。


「これは私のお金で買った、私の食事なの。あなたの分はないから」

「何言ってんだよ、そんな勝手な……」


「お金も払わずに食事ができているから、いつになっても払わないのよね。だから決めたの。ちゃんと食費を払うまで、あなたの食事は一切出さない」


 不機嫌な顔のマックスにひるまず、デイジーは腹に力を込めた。いつもとは違うデイジーの様子に、マックスが目を白黒させている。


「当番もちゃんとやってもらうし、肩代わりしていた家賃も払ってもらう。いい加減にしないと、本当にご両親に言いつけるわよ」


 このままだとマックスはいつまで経っても金を払わない。

 家事もやらないし、デイジーにべったりと寄りかかる生活は変わらないだろう。

 これ以上こんな生活が続く前に、きっちり仕切り直す必要がある。


「だ……だからって、急に朝飯抜きとかありかよ。性格悪すぎるだろ!」

「別に悪くないわ。お金を払えばいいだけよ」

「ないって言ってるだろ。分かれよ、それくらい!」

「あいにくちっとも分からないわ」


 一歩も引かないといった構えでマックスを見る。

 マックスはわなわなしていたが、デイジーが知らん顔で食べ始めると、いきなりパンをひったくった。


「あ、ちょっと!」


 無理やり口に詰め込み、スープも奪って一気に飲み干す。ミルクまでごくごくと一気飲みすると、彼はぷはっと息を吐いた。


「いい気味だ。仕返しなんてしやがって」

「ちょっと、マックス。どういうつもりなの?」


「俺の分を作らないつもりなら、お前の分を奪ってやるよ。これにこりたら、夜はちゃんと作れよな」


 勝ち誇った顔でそう言うと、フンと鼻を鳴らして行ってしまう。空っぽの皿を前に、デイジーは唖然とした顔になった。


(なんなの、あの男……)


 向かいの席には昨日マックスが食べ散らかしたままの皿がある。


 いつも後片付けをしないマックスは、皿洗いもせず寝たらしい。床には昨日の作業着が放られ、靴下もそのまま。嫌がらせのためか、皿には必要以上の汚れがこびりついている。机にも食べくずが飛び散って、げんなりするほど散らかっている。


 ひとつ息をつき、デイジーは立ち上がった。


 覆いをかけていた鍋からスープをよそい、隠してあったパンを戸棚から出す。まさかここまでとは思わなかったが、おかみさんのアドバイスを聞いておいてよかった。


 マックスが奪った分は、以前の彼の食べ残しだ。


 細かな違いに気づかないマックスは、まったく気づかなかったらしい。食べる気になれなくて取っておいたものだが、こんな時に役立つとは。


 そんな事で留飲を下げるのは性格が悪いだろうか。

 けれど、先ほどの表情を思い出すと、思わず笑いが込み上げてきた。


「悪いけど、続けさせてもらうわよ。音を上げるのはどっちかしらね」

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