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第6話 できる方がやればいい


 その日は残業になり、いつもより遅い時間にデイジーは帰った。


「遅っせーよ。何してたんだよ、まったく」

 台所の椅子に座っていたマックスが、開口一番文句を言った。


「ごめんなさい、明日の仕込みが終わらなくて。他の仕事もしてきたの」

「俺もう腹減った。さっさとメシ作って、我慢できない」


 見ると、机の上には何も載っていない。台所も冷え切っていて、使った形跡はないようだ。


「……この間も言ったと思うけど。今日はあなたの当番よ、忘れたの?」

 デイジーの言葉に、彼はしまったという顔になった。


「い、いや、俺今日は疲れててさ……」

「私だって疲れてる」

「……あっ! 昨日の頭痛がまたぶり返した。痛い痛い、すげー痛いっ」

「ちょっと、マックス……」


 大げさに頭を押さえる様子に、デイジーが何か言いかける。

 そもそも昨日は頭痛じゃなく、腹痛と言っていたはずだろう。

 自分で作った設定すら忘れる浅はかさに、ほとほと嫌気がさしてしまった。


「……もういい。すぐに支度するから、少し待ってて」

「あっマジ? いやーよかったわー、助かった」


 案の定、デイジーがやると言ったとたん、けろりとマックスが回復する。

 ここ一年、すさまじい勢いで減り続けていた信頼が、ほとんど底をついたのを感じた。


 無言でデイジーは料理を作り、冷えた鍋を温めた。

 食堂の残り物を分けてもらったから、付け合わせの芋も用意できる。

 あとは朝の残りの野菜スープと、メインとなる魚のソテー。

 だが、食卓を見たマックスは露骨にがっかりした声を出した。


「えー、また魚かよ? たまには肉が食いたいんだけど」

「仕方ないでしょう。予算が足りないの」

「それに、また野菜スープか……。いい加減飽きたんだよな、これ」

「文句があるなら食べなくていいわ」


 大体、誰のせいだ。

 冷たい視線を受けて、マックスは気まずそうな顔になった。


「いや、でもさ、俺は肉体仕事なんだぜ? もうちょっとこう、力がつくようなものを作ってくれても……」

「だから予算が足りないの。文句があるなら、さっさと食費を払ってちょうだい」


 この食卓にある材料も、すべてデイジーの財布で(まかな)っている。

 自分は銅貨一枚さえ出していない状況で、よく食事の内容にケチをつけられるものだ。

 それとも、払っていない事さえ忘れているのか。まさか。今朝言ったばかりなのに?

 そんな事を考えていたデイジーは、マックスの声に我に返った。


「女のくせに、やさしくないんだよな……まったく」

「は?」

 予想外の言葉に、デイジーは思わず聞き返した。


「やさしくないって、私が? どこがどうなったらそう思うの?」

「だって、当番だなんだって口うるさいし、あれだけ肉が食いたいって言ってるのに、ちっとも出してくれないし……」


「その前に払うべきものがあるでしょう? それに、当番は交代制よ」

「それはそうだけどさぁ、思いやりってものがさぁ……」

「……何が言いたいの?」


 ぐちぐちと言うマックスは、デイジーに不満があったらしい。それは驚きだ。あれだけ自分に甘えておいて、さらに文句まであったとは。

 ふてくされた表情のマックスは、上目遣いにデイジーを見た。


「当番当番って言うけど、お前、家事は得意だろ? だったらちょっとは気を利かせて、やってくれたっていいじゃんか。お前がやってくれれば、全部丸くおさまるのにさ」


「はぁっ?」


「掃除も洗濯も、お前ひとりでやれてるじゃん。俺が手を出さなくたって問題ないだろ? なら、お前がやればいいじゃんか」


 唇を尖らせ、デイジーの配慮が足りないと責める。


「……そんなことしたら、私は倒れるんじゃないかしら」

「大丈夫だって! お前、丈夫だし。できるできる、それくらい」


 非常に軽いノリで、すべての面倒事を押しつけてこようとする。いい考えだとでも言いたげなその顔には、満面の笑みが浮かんでいる。その目がキラキラしている事に、デイジーのこめかみが鈍く痛んだ。


「それくらいじゃないわよ。無理、できない」

「それは努力が足りないんだよ。工夫すればできるって」


 自分の事は棚に上げて、偉そうな顔で説教する。


 ――どの口がそれを言うか。


 冷ややかな視線を受けて、マックスはしまったという顔になった。


「……今の妄言は忘れるとして。食事だけは意味が分からないわ。あなたが食費を払わないから、お肉だって買えないの。私は迷惑を(こうむ)っている側よ」


 百歩譲って感謝されるのなら分かるが、文句を言われるのは本気で意味が分からない。


「いや、だって、ほらさ……」

 マックスがもごもごと口ごもる。


「なんなの?」

「……お前、貯金してるだろ? そこから出してくれたって……」


 ――それは家族のための仕送りだ。


 その瞬間、足元まで急速に冷え切った気がした。


「……私が何のために都会に来たのか、あなたまさか、忘れたの?」

 地の底から響くような声に、マックスは気まずげに目をそらした。


「覚えてるよ。覚えてるけどさ、俺だって金がないんだよ。ある方が出せばいいし、デイジーは無駄遣いしないだろ? 将来の結婚相手のために、少しは協力しようと思わないのか?」

「あいにくちっとも思わないわ」


「そういうところが可愛くないんだよ。もっと気を利かせて、俺だけ肉を用意するとか、率先して家事をするとかさ。いろいろ工夫できるだろ?」

「…………」


「金だって、足りないなら自分から出すべきだ。それをいちいち返済しろとか、家の仕事をやれとかって……ほんと、可愛げがないったらありゃしない」


 今までの鬱憤がたまっていたらしく、マックスがつらつらと言い立てる。

 彼の言い分を整理すると、金が足りないなら、「デイジーが」「自主的に」「仕送り分から」「その都度金を補充する」のが正しいらしい。


 家の仕事も「自分から」「喜んで」「すべてやらせてもらう」のが当然だという。

 夜の誘いにいたっては聞きたくないが、ろくな内容にはならなそうだ。

 あまりにも身勝手な言い分に、頭の芯がくらくらした。


「一応聞くけど……本気で言ってるの?」

「だって、そうだろ? 俺たちは将来結婚するんだし、それくらいは譲歩するべきだ」


 それを譲歩というなら、百万歩あってもとても足りない。

 呆れて言葉もないデイジーに、マックスが意気揚々と意見を語る。


「家事なんてできる方がやればいいし、金だってある方が出せばいい。俺は家事が苦手だし、金もないし、しょうがないんだ。固いこと言うなよ」


「……その理屈で言うと、家事の得意な私は、料理も洗濯も掃除もこなして、家賃も食費も代わりに支払って、仕送り分まであなたに貢ぐことになりそうね」


「あーまあ、そうなるかな? でもいいじゃん。言っただろ。できる方がやればいいんだって」

「それって奴隷みたいね。それとも召使いかしら」

「人聞きの悪いこと言うなよ。できる方がやればいいって言ってるだけだろ」


 顔をしかめるマックスは、どれだけ不公平な事を言ったのか気づいていない。彼は常にやってもらう側なので、それが当然と思っている。


「それはそうと……デイジー」

 マックスの声が変わった事に気づき、デイジーははっとした。


「疲れてるって言ってたよな。体を揉みほぐしたらよく眠れるぞ。ほら、俺そういうの得意だし、よかったら俺のベッドに来て……」

「――悪いけど、もう寝るわ。おやすみなさい」


 体に触れてこようとするマックスを避け、デイジーは自分の部屋に入った。急いで鍵をかけると、追って来ようとしたマックスが閉め出される。ちっと舌打ちの音がしたが、デイジーは構わずベッドに向かった。


 ――このままじゃ駄目だ。


 もはや自分の手に負えない。

 今は自分も冷静でなく、きちんとした判断が下せそうにない。


 スカートのポケットを探ると、ガーランドにもらった紙切れが出てきた。

 それを握りしめ、胸元に抱きしめる。

 もう我慢する気はなかった。

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