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第5話 クズと呼ばれる男


「クズだね」


 おかみさんは断言した。


「そりゃあ、クズだ。クズもクズ、大クズだよ、そんな男」

「そ、そうですか」


 今日もおかみさんの切れ味は絶好調だ。すさまじい勢いで野菜を千切りしながら、マックスをしこたまけなしている。


「絶対にほだされちゃいけないよ。何があろうと、未婚の娘になし崩しで手を出そうって時点でろくでもない。おまけに何かあっても、あんたも了承してたって形にするとこがみみっちいじゃないか」


 おかみさんは珍しく憤慨していた。


 マックスの対処を考えるにあたり、詳しく話す事になったのだ。必然的に、夜の誘いをかけられている事も話してしまい、おかみさんは眉を吊り上げていた。

 一方、デイジーには分からない言葉があった。


「了承してたってどういうことですか?」


 自分は拒否していたし、誰かに聞かれてもそう答える。確かに恥ずかしい事だが、それくらいは証言できる。

 だが、おかみさんは渋い顔で首を振った。


「女が夜に、恋人でもない男の部屋へ行く。これだけであんたの立場は弱くなる。あんたが誘ったようにも見えるからね」


 そこまで言わなくても、了承していたという形になる。少なくとも、客観的には。

 思いもかけなかった事実に、デイジーは目を見張った。


「女から誘いをかける、もしくは了承しているなら、未婚だって罪にはならない。それを見越してやってるなら、クズ以下のカスだね。ゴミだよ、そんな男」

「そこまで考えてはいないと思うんですけど……」


 マックスは浅はかだが、悪だくみをするような男ではなかった。しつこく誘われたのは確かだが、そこまでひどい事をするとは思えない。いや、思いたくない。


 だが、おかみさんの目には違って映るらしい。そして今までのところ、彼女の見立てが外れたためしは一度もない。


「油断しちゃあいけないよ。男でも女でも、都会に染まるやつは染まる。村でそいつが気のいい男だったとしても、都会の水を飲んだら、どう変わるかは分からないのさ」


 おかみさんの言葉は重かった。もしかすると、実例が身近にあったのかもしれない。


「ただねぇ……別の可能性もあるけどね」

「別の可能性?」

「それは俺も聞きたいですね」


 突然カウンターの向こうから声をかけられて、デイジーは飛び上がった。


「ガーランドさん!」

「ベルが鳴ったのに出てこないから、どうしたのかと思って。立ち聞きして申し訳ありませんが、俺もその話には興味があります」


 そこにいたのはガーランドだった。


 今日も仕立てのいいシャツを着て、ネクタイを軽くゆるめている。だらしない感じにならないのは、彼自身の持つ雰囲気のせいだろう。

 カウンターに片肘を寄りかからせる形になると、ガーランドは首をかしげた。


「今の話で、それ以外の理由になるのはどんな時ですか?」

「あんたには理解できないかもしれないけど……そうだねえ。その女を手放したくなくて、手っ取り早く既成事実を作っちまおうと考えてるとかさ」


「!!?」

「ああ、なるほど」


 一瞬で顔を赤くしたデイジーとは対照的に、ガーランドは納得した顔だ。あわあわとうろたえるデイジーに、なだめるように笑ってみせた。


「落ち着いて。ただの可能性のひとつだよ」

「そ、そ、そうですよね。すみません、つい」

「どっちにしてもクズだよ、そんな男は」


 ふんっとおかみさんが鼻息を荒くする。


「聞いただけでもろくでもない。仕事、女、金、どれひとつ欠けても問題だ。まともに働ける男なら、きちんと管理するだろうさ。それなのに、この子の話を聞く限り、全部駄目だってんだからね」


 この場合の「仕事」は、マックスの働く家具工房ではなく、家の仕事を指している。

 仕事は役割と言い換えてもいい。自分の果たすべき役割をこなすなら、それで問題はないはずだ。


「返す言葉もありません……」


 マックスがこうなってしまった原因の一端は自分にもある気がして、デイジーがしおしおとうなだれる。


「あんたが謝ることじゃないよ。その男がクズなのさ」


 もはや彼女の中で、マックスは「クズ」に分類されているらしい。

 否定はできないが、同じ村の出身だ。

 できれば少しはいいところを見つけてあげたいと思うのだけれど、今のところ、とても難しい。


「あとはまあ、ほとんど可能性はないと思うけど、本当に具合が悪かったり、のっぴきならない事情でお金が必要だったり、やり方を間違えているだけで、そいつなりにあんたが好きだったりする場合かね」


「え……」


「それなら少しは同情するけど、まあ違うだろうね。とにかくクズだよ。クズだね。賭けてもいい。そいつはクズだ」


 まさにクズの大盤振る舞いだ。

 そこまで言ってスッキリしたのか、彼女は少し首をかしげた。


「……もっとも、その金であんたを喜ばせることでもするっていうなら話は別だけどね」

「私を喜ばせる……」


 デイジーは少しの間考えてみた。

 マックスが自分のために何かしている。そのために金を必要としている。

 可能性としてはゼロではない。……気もする、けれど。


(駄目だ、何ひとつ浮かばない)


 今までの行動がひどすぎて、いい想像が浮かんでこない。

 そんな様子を見ていたガーランドが、無言のまま何やら考え込んでいた。


「……デイジー嬢。非常に個人的なことを質問したいんだが……構わないだろうか」

「え? ええ、はい」

「君の同居人は……そんなにひどい男なのか?」

「どう……でしょう……」


 確かにずるいところはあるが、暴力を振るわれた事はない。


 ちゃっかりしているだけで、無理やり手を出されたり、お金を盗まれたわけでもない。

 仕事は毎日行っているし、問題を起こしたというも聞かない。

 ものすごくひどいかと言えばそうでもないし、ひどくないかと聞かれれば答えにくい。


 難しい顔で考え込むデイジーは、比較する基準がかなり低レベルである事に気づいていない。


 暴力を振るう男は最低だし、無理やり手を出すなんて論外だ。

 お金を盗まないのも、真面目に仕事に行くのも、職場で問題を起こさないのも、全部当たり前の事だろう。マックスは病人ではなく、職場に問題のある人物もいない。


 逆に言えば、それ以外の部分は最悪だ。


 彼は家で何もせず、デイジーに家事を押しつけて、家賃や食費さえ払おうとしない。それでいて、文句ばかり口にする。二言目には「生意気だ」と言い、結婚したらそんな態度は許さないと説教してくる。


 そうされるたび、デイジーの中で何かがすり減っていくのを感じていた。


 それは信頼か、期待か、それとも他の何かだろうか。

 分からないけれど、減った何かは二度と元に戻らないだろう。そんな気がした。


「デイジー嬢は、彼のことが好きなのか?」

 ガーランドに問われ、デイジーは首を振った。


「……分かりません」


 村にいたころは幼かったし、マックスは幼なじみでしかなかった。

 結婚の話が出た今も、彼に特別な好意は抱いていない。


 けれど、結婚というのはそういうものだし、少しずつ時間をかけて、関係性を築いていくのだと教わっていた。


 世間には恋愛結婚というものがあると知っていたが、狭い村で、選ぶほど相手のいないデイジーには、物語の中の出来事としか思えなかった。


 ただ、ひとつだけ言える事は。


「……マックスと、このまま結婚は……したくないなと、思っています」

「…………。そうか」


 ガーランドが頷いた。


「何かあったら、いつでも力になる。なんでも言ってくれ」

「ありがとうございます」

「一応俺の連絡先を渡しておくよ。家の人間にも話を通しておくから、好きな時に頼ってほしい」


 そう言うと彼はペンを出し、サラサラと紙に住所を書きつけた。


「俺の文字だから、見せれば分かる。お守り代わりに持っていてくれ」

「いえ、さすがにそれは」


 返そうとしたが、「いいじゃないか。何かあった時のために」とおかみさんに言われてしまい、結局受け取る事になった。


「……ありがとうございます、ガーランドさん」

「どういたしまして。早く解決するといいな」


 相変わらず、思いやりにあふれた言葉が向けられる。

 他人の彼の方がよほどやさしい。

 それが情けなくて、それなのにどこかほっとしていた。

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