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第4話 下心のある男


    ***



 その日もデイジーが夕食を作り、マックスは食べるだけ食べて部屋へ向かった。

 今日は突然の腹痛だそうだ。あまりに痛すぎて、立っているのも辛いらしい。

 嘘だろうと喉まで出かかったが、ほんのわずかな可能性を否定しきれない。もしそうなら、無理はさせられない。


 床には洗濯物が放置され、泥のついた靴下も横にある。

 早く落とさなければ染みになる。とりあえず、洗い場へ持って行かないと。


 ここからやる事はたくさんある。

 朝食の下ごしらえ、部屋の掃除、たまっていた衣服のアイロンがけ。マックスに頼まれたボタン付けもある。

 すべての家事を終え、軽く汗を流すと、とっくに就寝の時間だった。


(疲れた……)


 結婚したら、毎日こんな生活が続くのだろうか。

 それほど結婚に夢があったわけではないが、この押しつぶされそうな感覚はなんだろう。


 どんよりして、息苦しくて、出口のない迷路のような。


 マックスと結婚したら、一生こんな日々が続く。逃げる事もできず、助けてくれる人もいないまま、重苦しい灰色の世界に塗り込められる。

 そんな人生、全然楽しくない。


(……でも、こんなものなのかなぁ)


 デイジーは今まで男の人と付き合った事がない。

 十八歳になる今も、恋人と呼べる男性はいない。

 だからマックスとの将来をほのめかされた時もすんなり頷いたし、そんなものだと思っていた。


 ――だが、今。


 そのマックスのせいで、これでいいのかと思い始めている。


「デイジー」

 その時、マックスの部屋の扉が開いた。


「疲れただろ? ご苦労さん」

「……起きてたの、マックス」


 それなら手伝ってくれればいいのに、マックスはいつもデイジーが家事を終えたタイミングで声をかける。

 具合はと聞くと、彼はきょとんとした顔になった。


「お腹が痛かったんでしょう。大丈夫なの?」

「え? あ……あー、うん平気、部屋入ってすぐ楽になった」

 こくこくと頷き、ごまかすように笑ってみせる。


「それより、こんな時間まで大変だな。お疲れさん」

「……どういたしまして」

「なんか悪いな、お前にばっかりやらせてさ」

「そう思ってたの?」


 それは意外だ。そして分かっているならやれと言いたい。

 そう思っている事などつゆ知らず、マックスはなぜかまだその場にいた。

 明日も早いのに、一体何をしているのだろう。

 デイジーがそう思った時、彼が動いた。


「ところでさ……デイジー」

 肩を抱かれ、デイジーはびくりとした。


「そっちのベッド、狭くないか? 俺のベッドを使ってみろよ」

「……別にいいわ。広さは十分よ」

 さりげなく振りほどき、マックスと距離を取る。だがマックスは逆に一歩近づいた。


「遠慮すんなって。マッサージもしてやるから、な?」

「結構よ。それより気安く触れないで。恋人でもないのに、おかしいわ」

「別にいいじゃん。いずれはそうなる予定だし……」


 顔を近づけてくるマックスに、ぞわっと嫌悪感が駆け抜ける。反射的に押しのけると、マックスがむっとした顔をした。


「そういうつもりなら、正式に婚約を申し出て。私にじゃなく、両親によ。そもそもの話、こういうことをするのは結婚後だわ」

「いいだろ、それくらい。固いこと言うなよ」

 なおも触れてこようとするマックスに、デイジーはふたたび後ずさった。


「婚約しないなら論外ね。これ以上何かする気なら、大声を出すわよ」

「別にそれくらい――」

「両親に手紙も書くわ。もちろん、あなたの両親にもよ」


 黙ってはいないという意思表示に、さすがのマックスもひるんだようだった。強引に抱き寄せようとしていた手が止まり、指先だけがそわそわと動く。


「もう一度言うわ。婚約もせずに、私に触らないで」

「なんだよ、生意気だな」


 ちぇっと舌打ちしたものの、婚約するとは言わない。両親の名前を出したのも効いたのか、マックスはしぶしぶ手を引いた。


「マッサージするだけなのに、自意識過剰なんだよ」

「それはどうも」

「俺と結婚したら、そういう生意気な態度は許さないからな」


 そう言いながらも、未練がましくデイジーの胸元をちらちらしている。肌を露出する服装はしていないが、今後はもっと厚手の服を着た方がいいかもしれない。


 婚約もせず、未婚の娘を好きにできると思ったら大間違いだ。

 それほど好かれていると思えば許せなくもないが、性欲の方が強いと思う。本当にデイジーと特別な関係になりたいのなら、せめて順番は守るべきだ。


 まだ物欲しげにこちらを見ているマックスを振り切り、部屋の扉を開ける。これ以上ここにいたら、本当に身の危険がありそうだ。


(疲れた……)


 部屋に入ると、デイジーはすぐにベッドに横たわった。


 マックスの分まで働いて、彼のために食事を作り、掃除をして、洗濯して、片づけて。毎日クタクタで、とても他の事を考える余裕はない。

 彼にそんな目で見られるのは困るが、いずれは結婚するのだ。あまり邪険にするのもまずいかもしれない。


 ――そんな暇があるなら、お皿の一枚でも洗ってくれればいいのに。


 そう思ったのを最後に、デイジーは眠り込んでいた。



    ***



 翌朝、マックスは不機嫌そうだったが、デイジーは構わず朝食を出した。

 今日の献立はライ麦パンと、夕食の残りの野菜スープ、そして冷たいミルクのみだ。


「えー、また野菜スープかよ? いい加減飽きた」

 案の定、マックスが不満の声を漏らす。


「それに、なんで卵がないんだよ。ハムとかベーコンは? 分厚いソーセージとかさ」

「文句があるなら食べなくていいわ。というか、食費を払って」


 ぴしゃりと言ったデイジーに、マックスはさすがに口をつぐんだ。お金を払っていないという自覚はあるようだ。

 だが、まだ納得していないらしく、小声でぶつぶつと呟いている。


「……ほんと、可愛げのないやつだよな。そんなんじゃ結婚したあと、しつけ直すのが大変じゃん……」

「何か言った?」

「……別に」


 ぷいっと横を向き、分かりやすく不機嫌をアピールしている。まずそうにパンを半分ほど食べ、野菜スープにちょっと口をつけた後で、ミルクを飲んで立ち上がる。


「もういいや。片づけといて」

「お昼までにお腹が空くわよ」

「外で適当に食うからいいや。そんなまずいもん、食いたくない」


 面倒くさそうに吐き捨てたセリフに、デイジーの目が点になった。


 ――食費を払っていない分際で、外食する?


 彼自身は自分の発言に気づいていないのか、わざとらしく顔をしかめている。どうやらまずいというジェスチャーらしい。


「……そんなお金があるなら、食費だって払えるんじゃない?」

「あっ……」

 やべっとマックスが口を押さえる。


「い、いや、そういうわけじゃなくてさ。金はほんとにないんだ。今のは言葉のあやっていうか……」

「なんでもいいけど、お金は払ってもらうわよ。いつ返済してくれるの?」

「それはその……あっもう時間がない、ごめんなデイジー、その話はまた後で。行ってきまーすっ」


 そう言うと、マックスは脱兎のごとく駆けだしていく。呼び止める暇もなく、玄関の扉が閉まる音がした。


「もう……」


 机にはマックスの食べ散らかした跡と、ほとんど手のつけられなかった野菜スープが残っている。思えばここ最近は、「いただきます」や「ごちそうさま」も聞いた事がなかった。


 当たり前のように食事を作り、掃除をし、洗濯をして、アイロンかけやボタン付けまで行って。まさに便利な道具扱いだ。

 おまけに金まで稼いできて、家賃や食費を払ってくれる。水代や、こまごまとした生活費まで。


(これは本当に……どうにかしないといけないのでは……)


 薄々感じていた事がはっきりして、デイジーがきゅっと眉を寄せる。


 この部屋を出てしまえば話が早いが、そういうわけにはいかない。

 デイジーの実家は今も仕送りを必要としている。父親の薬代は高額だし、幼い兄弟達も食べ盛りだ。そのすべてを放り投げてしまう事はできない。

 村に戻っても両親は怒らないだろうが、医者にかかる事はできなくなる。それはどうしても嫌だった。


 それに、たとえ戻っても、今と同じだけの稼ぎは見込めないだろう。

 食堂の仕事は実入りがよく、思った以上に貯金もできる。冷静になって考えれば、ここで暮らす方がいい。


(それに、結婚も)


 マックスに不満があるとはいえ、結婚を取り消すわけではない。

 今の状況で両親に話せば、二人は心配するだろう。ただでさえ大怪我をした父親と、家族を支えなければいけない母親に、これ以上余計な心配をかけたくない。


 そう、これは二人の問題なのだ。

 ここで解決できなければ、この先問題が起こっても同じ事だ。


(なんとかしないと)


 少なくとも、このままマックスと結婚する事はできない。

 あんな誘いをかけてくる以上、彼の方はデイジーと離れる気がないらしい。それならそれで、ちゃんとけじめをつけなければ。


 とりあえず、今はじっくりと作戦を練ろう。


 お金を返してもらい、夜のあれこれはきっぱり断り、仕事は公平に分担する。そのためには、綿密な準備が必要だ。


 動くのはそれからでも遅くない。

 その前におかみさんにも相談しようと、デイジーは固く決意した。

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