第3話 対照的な男
「……というわけで、ほとほと困ってるんですよ」
翌日。
いつも通り働きに出たデイジーは、食堂のおかみさんにこぼしていた。
朝から浮かない顔をしていたせいで、何かあったのかと聞かれたのだ。
最初は言わないつもりだったが、聞き上手のおかみさんに乗せられるまま、あれこれ話してしまっていた。
「そりゃあ、ろくでなしの男だねぇ」
スパッと言い切ったおかみさんに、少しだけ溜飲が下がる。
「……そう思いますか?」
「そりゃそうさ。同じ村出身の、しかも年下の女の子におんぶにだっこで、おまけに食費までたかってさ。家賃にいたっては論外だね。クズだよ、そんな男」
「クズですか……」
自分でも薄々思っていたが、やはり他人から見てもそうだったか。
情けないと思うのと同時に、心のどこかがすっとする。
「男はね、甘やかしてくれる女に甘えるもんなのさ。自分のことを愛してると思ってるから、際限なく甘えても許されるし、許してくれると思ってる。馬鹿だね。そんなの、あたしに言わせりゃただの幻想なのにさ」
でっぷりと太ったおかみさんは、からからと豪快に笑った。
「いっそのこと、捨てちまったらどうだい? 将来の約束って言っても、恋人でもないんだろう。一度ガツンと言ってやらないと、そういう男は変わらないよ」
「でも、どう言ったらいいのか……」
今までもさんざん口にしているのだ。これ以上言ってもうるさがられるだけで、聞いてくれるとは思えない。
「簡単さ。やってやらなきゃいい。やるから調子に乗るんだよ。放っておきゃいいのさ」
「でも、そうすると家が散らかって……」
「家が散らかって死ぬやつはいないよ。まあ、そうは言っても、なかなか難しいだろうけどね」
デイジーの性分を分かっているのか、おかみさんが苦笑する。
「いい子だよ、あんたは。本当に相手の具合が悪かったら、知らん顔するのは可哀想だと思ってるんだろう? まあ、十中八九仮病だけどね、そういう男は。ほんとに悪知恵だけは働くんだから」
「……おかみさんもそんな経験があるんですか?」
「こう見えても、昔は食堂の看板娘だったんだよ」
ばちんとウインクされ、デイジーは思わず笑ってしまった。
「今もですよ。おかみさん目当てのお客さん、いっぱいいるじゃないですか」
「嬉しいこと言ってくれるねえ。ああでも、例外もいるよ」
おかみさんがそう言った時、カランと店のベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
反射的に声を上げると、入ってきた人物がこちらを見た。
「おはようございます。今日もいい天気ですね」
「おはようございます、ガーランドさん」
入ってきたのは長身の青年だった。
黒に近い焦げ茶の髪に、榛色の瞳。快活な雰囲気の人物で、この店の常連だ。デイジーよりやや年上だが、偉ぶった雰囲気は少しもなく、働き始めた当初から礼儀正しく接してくれていた。
アーネスト・ガーランド。
王都の隣町であるこの地に店を構え、部屋貸しの仕事を行っているやり手の若手実業家だ。その商売は手広く、この町にも多くの物件がある。
彼がこの店に来るようになったのは一年前。
今ではそこそこ親しくなり、ちょっとした雑談を交わす仲だ。
「ずいぶん楽しそうでしたね。何の話をしてたんですか?」
「女心の難しさについてちょっとね」
「ああ、それは難しい」
おかみさんと笑い合うガーランドは、襟の詰まったシャツを着ている。ぴしりとアイロンのかかったシャツにはしわひとつなく、着ている上着も上等なものだ。
彼はデイジーと目が合うと、にこっと感じよく笑ってくれた。
「デイジー嬢も、難しい女心を抱えているのかな?」
「そういうわけではないですけど。まあ、色々と」
「何かあったら相談に乗るよ。いつでも言ってくれ」
「ありがとうございます」
デイジーが礼を言うと、おかみさんが楽しげに笑っていた。
「ガーランドさん、今日のご注文は?」
「そうだった。いつも通り、朝食を頼みます」
ガーランドはここの食事を気に入っていて、朝と昼、必ず食べに来てくれるのだ。なんなら夕飯も食べたいと言っていたが、仕事の都合上、そうもいかないらしい。
男らしく整った顔立ちで、特に笑った顔が魅力的だ。
マックスとそう年齢も変わらないはずなのに、彼の方がずっと大人に見える。
きっとガーランドなら、家事をさぼったり、支払いを押しつけたりはしないだろう。
知らず、ため息をついていたらしい。それを見たガーランドが首をかしげた。
「どうかしたのか? 困ったことがあるなら、本当に相談に乗るけど」
「いっ、いえ、なんでもないです。朝食ですよね、すぐに準備します」
そう言い置いて、デイジーは店の奥へと向かった。
いつの間にか席を外していたおかみさんが、すでに調理を始めている。謝って支度に加わると、「ゆっくりしてればいいのに」と言われてしまった。
「そんなわけにはいきませんよ。お客様をお待たせするわけにはいきません」
「あっちはそれでもいいと思うけど」
「ガーランドさんはやさしいから、怒らないでしょうけど。お仕事に差し支えたら悪いじゃないですか」
「そういう意味じゃないよ。……ああでも、一応は鎖がついてるのか。ろくでもない相手だけど、やっぱり順番ってものがあるからね……」
「え?」
「いいや、なんでもない」
手際よく卵を引っくり返し、見事なオムレツを焼き上げる。その横でデイジーは野菜を盛りつけ、飲み物とスープの準備をした。
分厚いベーコンも同時に焼けて、ジュウジュウと香ばしい音を立てている。
あとは焼き立てのパンに、バターとチーズ、それに果物のジャムを添えて。
ガーランドの席へ持って行くと、彼は目を輝かせた。
「いつも通り、うまそうだ。いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
ガーランドはフォークを取り、奥にいるおかみさんに向けてちょっと会釈した。
「うん、うまい。毎日のことながら、最高だな」
「それはよかったです」
「ここの朝食を食べると元気が出るよ。いつもありがとう」
「それはこちらのセリフです。いつもこの店をご贔屓にしていただき、ありがとうございます」
「ん? いや、まぁ……うん、そうだな」
わずかにガーランドが言いよどみ、ごまかすようにパンを齧った。
「このパンもうまい。ふっくらしてて、香ばしい」
「それはデイジーが焼いたんだよ」
ひょいっとおかみさんが口を出す。
「パンはデイジーの方が上手だね。すっかり先を越されちまったよ」
「そんなこと……」
「気立てはいいし、料理はうまいし、顔も可愛いし。ほんと、デイジーはうちの看板娘だよ。ガーランドさんもそう思うだろ?」
急に話が振られ、デイジーはぎょっとした。
「おかみさん!? 何言ってるんですか、もう!」
「まあまあ。いいじゃないか、それくらい」
「よくないですよ。すみません、ガーランドさん。気にしないでください」
「いや、別にいいけど」
あっという間に皿の中身を空にしたガーランドが、口元を拭きつつ答える。
「デイジー嬢は本当にいい子だ。将来結婚する彼が羨ましいよ」
「いや、それがね。実際は恋人でもないんだから、そんな最低な男捨てちまいなって……」
「おかみさん!」
これ以上は言ってくれるなという思いを察したのか、おかみさんはさすがに口をつぐんだ。
ガーランドはデイジーがマックスと同居している事を知っている。それが将来の結婚前提のためだとも話してある。
今は恋人関係にないが、やがては正式に婚約し、結婚するとも。
そんな相手の愚痴を、単なる常連である彼に話すわけにはいかない。
「なんでもないんです。最近喧嘩が多くって」
「そうなのか」
強引に話をまとめたデイジーに、ガーランドは気づかないふりをしてくれた。
「ごちそうさま。もう行くよ」
代金を机に置くと、ガーランドは立ち上がった。
「デイジー嬢も、元気を出して。きっといつかはうまくいく」
「ありがとうございます……」
「同居人の彼と仲良くな」
いたわりの混じった声に、デイジーは思わず顔を上げた。
彼はもう背中を向けていて、扉をくぐるところだった。
――他人の彼でさえ、こうして気遣ってくれるのに。
マックスに対する不信と不安が、最近では少しずつ増え続けている。
このまま生活していいのか、一度どうにかするべきでは?
そうやって、毎日のように自問している。
こんな事、考えてはいけない。――けれど。
彼との将来を考えられなくなってきている事に、デイジーはうっすらと気づいていた。