第16話 すべてを失った男
※今回ざまぁが前半と後半に分かれております。よろしければ第7・8話及び第15話をお先にどうぞ。
「親父!?」
「王都に行くって……それに、デイジーを捨てるって? どういうことだ」
目を剥くマックスには答えず、マックスの父親が詰め寄った。
「俺の質問に答えろ。デイジーを捨てるってのはどういうことだ。おまけに家賃や食費を払わせたあげく、家事も押しつけて、夜の誘いまでしていただって? 俺はお前をそんなクズに育てた覚えはないぞ!」
「い、いや、それはっ……」
「デイジーはお預かりした大切なお嬢さんだ。正式な婚約もしてない身で、よくもそんな恥知らずな真似ができたもんだな!」
マックスの父親は大柄で、手が早くて喧嘩っ早い。その太い腕から繰り出される拳骨は、村中の子供に恐れられている。
「ちっ、違う!」と、わたわた手を振ったマックスが、焦ったように言い募る。
「誤解だよ、誤解! 聞き間違いだって、親父の」
「俺はこの耳ではっきり聞いたぞ。まだ耳が遠くなるほど落ちぶれてない。答えろ、マックス。どういうことだ」
「いや、だからそれは、気のせいで……」
「マックス。私たちにも聞かせてちょうだい」
ごまかそうとしていたマックスだが、横からかけられた声に硬直する。
「おっ、おふくろ!?」
彼の父親だけでなく、母親までもがそこにいた。田舎から出てきたばかりらしく、二人とも大きな鞄を手にしている。父親とは違い、上品な雰囲気の女性である。今は息子を見る目に、不信と疑念が混じっている。
それだけではない。
「……私たちにも、詳しく聞かせてもらおうか」
その後ろから現れた二人を見て、マックスの顔が青ざめた。
「デ……デイジーの……お父さんと、お母さん……?」
怒りをこらえた顔をしているのは、田舎にいるはずのデイジーの両親だった。
「君のことを信頼して、娘を任せたつもりだったが……。ここしばらく、デイジーからの手紙が滞るようになって、気になっていたんだ。まさかこんなことだとは思わなかった」
「い、いや、それはっ……」
「娘の稼ぎを当てにしたあげく、婚約もせずに弄んで、引っ越しと同時に捨てるつもりでいたのかい。ずいぶん安く見られたものだ。娘も、我々も」
その声には表情と同じく、押し殺した怒りがにじんでいた。母親も同じ顔で、軽蔑したような視線を向けている。村一番の美人だと評判の母親は、無言でマックスを糾弾した。
「ちっ、違っ、俺は……っ」
「道理で、婚約はまだかと手紙に書いても、娘からの返事が芳しくなかったわけだ。我々の知らないところで、こんなことになっていたんだからね」
デイジーの父親は細身で、それほど荒っぽい感じはしない。どちらかといえば穏やかだし、物静かな感じだ。けれど、その瞬間、彼は国一番の大男よりも恐ろしく見えた。
「結婚の約束は、この場で正式に破棄する。構わないね?」
「そ、そんな!」
マックスが悲鳴を上げる。
この場合、「結婚の約束」は正式なものではないが、村の慣習と照らし合わせれば有効だ。両家の親がそろった場での破棄は、覆す事ができない。
「何も問題はないだろう。娘が言ったことが真実なら、君は他のお嬢さんと結婚するつもりらしい。それなら、デイジーは必要ないはずだ」
「お父さん、違うわよ。さっき言ってたでしょう。あの子のお金を当てにして、助けてもらいたがってるの。家事もやってほしいし、体も好きにしたいんですって。聞いたことがなかったけど、都会は進んでいるのねぇ」
にこやかに笑いながら、デイジーの母親が強烈な皮肉を繰り出した。やさしい口調な分、内容がえげつない。
「マックス! こぉの恥さらしがっ!」
「ひぃっ!」
拳を固めたマックスの父親に、マックスが頭を抱えている。もはや彼は半泣きだ。
「な、なななんでこんなところにいるんだよ。全員田舎にいるはずだろ!?」
「呼ばれたんだ。今日は顔合わせのはずだったが、ここで会ったのがいい機会だ。その腐り切った性根、きっちり叩き直してやる!」
拳を振り上げる父親は、カンカンに怒っている。彼は曲がった事が嫌いな性格なので、息子のしでかした事が許せないらしい。顔を真っ赤にしたその様子は、鬼と呼んでもいい怖さだ。
「呼ばれたって、誰に……」
「誰でもいいだろうが。話をそらすんじゃねえ!」
すさまじい迫力に、マックスは文字通り、腰を抜かした。
思い切り殴りつけようとした手を止め、マックスの父親がデイジーを振り返る。
その表情がふとゆがみ、彼は泣きそうな顔になった。
「デイジー、すまなかった。うちのバカ息子が、本当に悪かった」
「い……いえ、おじさまたちが悪いわけじゃないです」
マックスを信じていたのは自分だし、将来についても納得していた。正式な婚約をしないのも、両家で決めていた事だ。
それはお互いの気持ちを確認してからという意味だったが、こうなってしまえば、その条件に助けられた形だ。
「許してくれとは言わないが、責任は取る。今までこいつがズルしていた分の支払いは、全部俺たちが引き受ける。もう支払いを終えた分も合わせて、一度でも肩代わりした金額の同額、支払わせてもらう」
「親父!?」
「黙れ、バカ息子が!!」
ぎょっとしたマックスを、彼の父親が一喝する。
「それとは別に、慰謝料も用意する。こいつの身勝手でこうなったんだ。満足とはいかないだろうが、それなりの額を包ませてもらう。どうかそれを受け取ってほしい」
「いえ、そこまでしていただくわけには……」
確かに迷惑は被ったが、今のデイジーは幸せなのだ。それに、夜の誘いは拒んだし、そこまでしてもらわなくてもいい。
そう言ったデイジーに、彼の両親は首を振った。
「いいのよ、デイジー。受け取ってちょうだい。これは将来あなたが受け取るはずだったお金だもの」
「おばさま?」
「マックスと結婚していたら、あなたが管理するはずのお金よ。だから、いいの。受け取って」
ごめんなさいね、とマックスの母親は頭を下げた。
「あなたにこんな思いをさせていたなんて知らなかった。厳しく育てていたつもりだけど……駄目ね。情けなくてどうにかなりそう」
「おばさま、頭を上げてください。私なら大丈夫ですから」
「そういうわけにはいかないわ。物事にはけじめってものがあるの」
心配いらないわ、と彼女は笑った。
「遠慮しないで受け取ってちょうだい。今言った通り、これはあなたのお金なの。あなたに渡すはずだった分……つまり、これはマックスへの生前贈与のお金だから」
「おふくろ!?」
「俺たちが暮らす分だけあればいい。頼む、デイジー。そうでないと俺たちの気が済まない」
二人そろって頭を下げられ、デイジーがおろおろした顔になる。だが、重ねて頼まれれば、断る事はできなかった。
「待ってくれよ、生前贈与って……。それじゃ俺がもらうはずの金はどうなるんだ?」
「あるか、馬鹿たれが!!」
父親がふたたび一喝する。
「銅貨一枚も遺さないよう、くれぐれも言づけておくわ。言っておくけど、家も土地も遺さないわよ」
母親がそれに追撃する。
ひとり息子であるマックスは、いずれ両親の財産をすべて受け継ぐつもりでいた。だがこの分では、彼の手元に残る分はなさそうだ。
「な……なんだよ。みんなデイジーの味方をしやがって」
マックスがよろよろと立ち上がる。
「こいつは生意気だし、家事も代わってくれないし、金も出さずに逃げた女だぞ? 将来の結婚相手を見捨てるなんて、最低だろうが……っ」
「どの口が言っとるか! 恥を知れ!!」
「ちょっとくらい頼ったって、何がいけないんだよ? おれ……俺は、楽しく暮らしたかっただけなのに!」
「……楽しく、ね」
デイジーはふうっと息を吐いた。
彼の言う「楽しく」とは、その前に「自分だけ」がつく楽しさだろう。
確かに、彼の言う通りにしていれば、彼だけは楽しく暮らせるだろう。やりたくない事は代わってもらい、家事を押しつけ、金も払わず、自分は自由気ままに過ごす。そして欲望の赴くまま、好きな時に思い通りにできる女を手に入れる。
まさに理想の生活だ。彼にとっては、という但し書きがつくが。
「私は全然楽しくないし、あなた以外、誰も楽しくなさそうね」
「黙れよ、生意気言うな!」
「お前こそ黙らんか!!」
雷を落とされて、マックスはビクッと身を縮めた。
幼いころの恐怖を思い出したらしい。今さら気づいたように辺りを見回し、自分を見つめる目の多さにぎょっとする。
「な……な……何……っ」
いつの間にか、裏通りには多くの人間が集まっていた。
これだけ騒げば当然だ。そして交わされていた会話から、何があったのかは察したのだろう。集まった人間がひそひそしている。元からいた野次馬に加え、きっちりした上着の紳士や、着飾った令嬢達、通りの店から出てきたおかみさんや、噂好きの店主まで。
彼らがマックスを見る目には、好奇心と、露骨な軽蔑が浮かんでいた。
「な……なんだよ」
そんな目で見られる事に耐えられなくなったのか、マックスが一歩後ずさる。
「……い、いいよ。もういいや」
負け惜しみのように呟き、ちっと口の中で舌打ちする。
「そっちがそのつもりなら、もういい。どうせ王都に引っ越すまでのつもりだったんだ。こんな思い通りにならない女、もういらねえよ。婚約破棄でもなんでも、勝手にすればいい」
お前なんて用済みだ、とマックスが言った。
「俺は親方の娘と結婚して、幸せになるんだ。あんなクソ田舎の財産がなくだって、俺の未来はバラ色だ!」
「――それは、どうかな」
その時だった。
コツ、という足音とともに、新たな人物が現れた。
そこにいたのは、上等な背広を着た紳士だった。
上背があり、真っ黒な髪に太い眉、豊かな口ひげを生やしている。
肉体労働で鍛えられている体だが、同時に優秀な経営者でもある事をうかがわせた。
その顔を見たマックスが、今度こそはっきりと青ざめた。
「お……親方!?」
「話は聞かせてもらった。私が聞いていた話とはずいぶん異なっているようだ。君は田舎から出てきた幼なじみに迷惑をかけられて、金から何から、すべて面倒を見ていたと言っていたが――……」
その目がデイジーを捉え、ふたたびマックスへと戻る。
「これを見る限り、違うようだ」
「い……いや、それは……その……」
「詳しく聞かせてもらおうか。じっくりと、時間をかけて」
マックスは言葉を失っている。この展開は予想外だったらしい。何か言い訳をしようとして、射貫かれる眼光に立ちすくむ。薄っぺらな嘘など見抜かれると、その目が雄弁に物語っていた。
「ああ、嫌ならそれでも構わない。証言はすでに取れている。君のしでかしたことは、すでに娘も承知済みだ」
「ちがっ、俺はっ……」
「王都への話はなかったことにしてもらおう。もちろん、娘との婚約もだ。ここまでコケにされるとは思わなかったが、ちょうどいい。君はクビだ。今日限り、来なくていい」
「そんな、親方!」
「系列店にも話を通しておく。私の目の黒いうちは、この町で働けると思うなよ」
そう言うと、底冷えのする目でマックスをねめつける。
彼が働いていた家具工房は、この辺り一帯の家具製作を請け負っている大工房だ。王都だけでなく、周辺の町にもたくさんの店を構えている。そこでの就職が途絶えた場合、他に働ける場所はなかった。
「……そんな……」
マックスがかくりと膝をつく。
すべてを失った男は、呆然とへたり込んでいた。
お読みいただきありがとうございます。
*この町に来る予定だったのはデイジーの両親ですが、マックスとの同居を解消したと知った彼らの両親も、急遽同行する事になりました。挨拶と事態の把握をと考えていたところ、現場に遭遇した模様です。