第1話 デイジーとマックス
こんがり焼けたライ麦パン。
野菜たっぷりの熱々スープ。
卵は茹でて二つに割り、大きい方を相手の皿へ。
最後に冷たいミルクを注ぎ、デイジーは額の汗をぬぐった。
「よし、できた」
エプロンを外す暇もなく、すぐに隣の部屋へ向かう。
二階建て六部屋、町の中心街のアパートメント。
王都の隣町という便利さもあり、家賃はそう安くない。二、三人で金を出し合い、部屋を借りるのが一般的だ。
水道が完備されており、台所や風呂場など、水回りの心配がないのも大きい。特に田舎から出てきた若い娘は防犯上の理由もあり、同じ村出身の男と暮らす事も多かった。
もっとも、中は完全に別部屋で、鍵付きである事が条件だが。
デイジーもその例に漏れず、同居人と暮らしていた。
「マックス、マックス? もう朝よ。起きないと」
扉を叩いたが、中からは何の返答もない。
「七時半には起きないといけないんでしょう? 遅刻するわよ、早く起きて」
「…………」
「マックスってば、聞いてるの?」
「………んー……」
それでもしつこく呼びかけていると、中から唸り声がした。
(よし、起きた)
これ以上待っている時間はなく、先に座って食べ始める。
少し黒っぽいパンは酸味があり、チーズを挟むととてもおいしい。
ずっしりした食べ応えで、お腹に溜まるのも嬉しい仕様だ。
冬場に暖炉でこんがりと炙り、パリパリの皮をスープに落とせば、それだけで贅沢な一品となる。
塩をつけた卵を頬張り、スープを綺麗に飲み干すと、それで食事はおしまいだ。
食べ終えた皿を片づけたところで、バタン!! と部屋の扉が開いた。
「なんで起こしてくれなかったんだよ、デイジー! ああもう遅刻だよ、どうするんだよまったく?」
現れたのは茶色の髪の青年だった。
「起こしたわよ、ちゃんと。返事してたじゃない」
「俺が完全に目覚めるまで起こせって言ってんの。ほんと、役に立たないよな、お前。気が利かないったらありゃしない」
ため息交じりに言う彼は、デイジーより二つ年上だ。
顔立ちは普通、鼻がやや上向きなのが特徴で、お世辞にも格好いいとは言えない。
急いでいたためか、シャツの裾がズボンからはみ出している。
彼はドカッと目の前に座り、無言で朝食を食べ始めた。
「次はちゃんと起こせよな。命令だぞ」
「だったら早く帰ればいいでしょう。お酒を飲まなかったら、ちゃんと起きられるわよ」
「生意気だな……」
ちっと舌打ちした後で、ライ麦パンに顔をしかめる。
マックスは小麦を使った柔らかいパンが好みなのだ。
もそもそと半分ほど食べたところで、「もういいや」と皿に放る。
野菜スープには見向きもせず、ごくごくとミルクを飲み干す。卵が半分しかないのを見て、彼は「えぇ?」と声を上げた。
「ひとつしかないなら、俺にくれればいいだろ。なんで半分?」
「ひとつしかないから、半分にしたのよ。朝ご飯には十分でしょう」
「それに、茹で卵と野菜だけって……。せめてベーコンとか、ハムとかさ。ソーセージでもいいけど」
ぶちぶちと言いながら、茹で卵を口に放り込む。デイジーが何か言う間もなく、彼は慌ただしく立ち上がった。
「ああもう行かないと。次はもう少しましなもん食わせろよ、デイジー」
「あのね、マックス。いつも言ってるけど――」
「あとで聞くって。ああ、あと帰ったら俺の部屋片づけといて。じゃあな」
そう言うと、返事も聞かずに部屋を出る。
もちろん、食べっ放しの皿はそのままだ。
濡れたタオルは放りっぱなし、昨日の靴下は脱ぎっぱなし。もちろん、片づけるのはデイジーだ。
マックスは町の家具工房で、職人として働いている。
忙しいのは分かっているけれど、最近は少し目に余る。
(私だって働いてるのに……)
マックスの皿を重ねて運び、ざっと汚れをぬぐっておく。
洗っている暇はないから、帰ったらまとめてやればいい。
エプロンを外し、小麦色の長い髪を手早くまとめる。ひとつに編んで前に垂らせば、それで支度はおしまいだ。
鏡に映る青い目に、一瞥を送って立ち上がる。
財布を持ち、デイジーも急いで部屋を出た。
空は晴れているのに、妙に心は雲っていた。
お読みいただきありがとうございます!