5-㉝ 猫と青年の後悔
「おねーちゃんっ!!」
「ピアちゃんっ、あぁやっと会えた!」
全力で飛び込んできたピアちゃんを、僕は優しくキャッチして抱き締める。
ピアちゃんも僕が居ない間を寂しく思ってくれていたのか、胸に顔を擦り付けて甘えてくる。
「良かったの、おねーちゃんがちゃんと帰ってきたの」
「そりゃあ僕がピアちゃんを置いて何処か行くわけ無いさ!」
「でもピアを投げたの」
うっ、痛いところを突いてくる。
しかしあれは緊急事態だったので、勘弁してほしい。
怒ってるのか、嬉しいのか、寂しかったのか。ピアちゃんは何度も胸に頭をグリグリ擦り付けては、顔を埋めて胸いっぱい息をして・・・というか、匂いを嗅いでいた。
流石に恥ずかしいから嗅ぐのはやめて欲しいと言っているのだが、全くやめる気配がない。
というわけで、今では「まぁ良いか」という感じになっている。
ひとしきり胸を堪能したピアちゃんは体を離し、僕の手を握って横に立った。一緒に行動するらしい。
色々皆に聞いて回りたいところだが、僕には最初にやるべき事がある。それは『お説教』だ。
僕はその人物のところまで近付いていった。その人は見た目以上に重症で、現在治療の為隅の方で寝かされている。
胸の上にアラミスを乗せて仰向けに倒れている青年、アンサスである。
「よっ、ボロボロのアンサス君」
「これは・・・お見苦しいところを、見せてしまい・・・申し訳、ありません」
「まったく・・・アラミス、容態は?」
「重症ですが、命に別状は御座いません。ただ深部の損傷が激しく、先に治癒補助を掛け、ある程度回復してからの高位回復魔法となりますので、少々時間が掛かりまする」
「了解、ありがとう」
僕はアンサスの傍にしゃがみ、膝の上に彼の頭を移動させた。いわゆる膝枕である。
「お、お嬢様っ!? こんな恐れ多い・・・」
「良いからじっとしろ。ジークとエリザベートを一生懸命守ってくれたんでしょ? 聞いたよ、だからこれはそのご褒美だ。ピアちゃんが太鼓判を押す膝枕だ、気持ち良かろ?」
「は、はい。とても・・・」
僕の膝枕はピアちゃんだけでなく、アニマル’sやミミちゃん、セレナ。更にはエリザベートとクレアさんからも大好評なのだ。
野郎に膝枕する趣味は無いが普段から皆にやってて慣れているし、ジーク達を助けたお礼はしたい、更に今はやることも無いので丁度いい。
一応ピアちゃんの許可は出ている。
さて、甘やかしはここまで。ここからはお説教タイムだ!
「アンサス、無茶したんだって? 聞いたよ。二人を助けてくれたのは嬉しいけど、どうしてその後一人で戦ったの? それでアンサスが死んだら誰も喜ばないんだよ?」
「・・・・・・」
「この間から必死に頑張ってるのも知ってる。だけど根を詰めすぎだ。無事スピンドル家の従者になったんだからさぁ・・・アンサスの何がそうさせるの?」
アンサスは暗い表情で顔を横に向ける──が、僕はそれを許さない。
顔を両手で左右から掴み、僕の方を向かせる。
「こっちを見ろ、ちゃんと言わないと安心して何かを任せられないだろ!」
「しかし、こんな事を・・・お嬢様にお話しても・・・」
よほど苦しい思いをしてきたのだろう、表情が徐々に歪む。泣き出しそうになるのを必死に我慢しているようだ。
「アンサスに何があったかなんて僕には分からないし、本当なら無理に聞こうとは思わないよ。だって、誰だって話したくないことくらいあるし」
誰だって言いたくないことはある、僕だって元男だって言ってないしね。
でも世の中には無理にでも吐き出させて、その上で乗り越えさせなきゃいけないこともある。
「アンサス、このままじゃずっと苦しいままだよ? 僕も考えてあげるから一緒に頑張ろうよ、ねっ?」
「──っ、──くっ・・・」
「分かった、じゃあ卑怯だけど話しやすくしてあげるよ」
僕はアンサスと出会った時からずっと気になっていることがあった。
アンサスが悪い人じゃ無いことは、糸を見ればすぐに分かった。だって運命の糸が凄く細くて、野盗のおじさん達としか繋がっていなかった。
すごく細いということは、非常に繋がりが弱いということ。つまり顔見知り以下の関係だと言っても過言じゃない。
だが、僕は後にアルバートさんから彼の境遇を聞いた際気になった事があった。
「ねぇ、アンサス。家族はどうしたの?」
「──っ!?」
「お祖父さんが命懸けで逃がしてくれたんでしょ? その家族や村の人はどうしたの?」
そう、アンサスは野盗達としか糸が繋がっていなかった。
勿論人との別れで糸が切れることはある、だが家族や一緒に頑張ってきた村人との縁がそう簡単に切れるとは思えない。
予想ではあるが、たぶんその人達は・・・。
「みんな・・・みんな、亡くなり・・・ました。俺の、俺のせいで、みんな死んでしまったんですっ!! 殺されてしまったんですっ!!」
「・・・やっぱりか」
そうだろうと思った、それしか無いと。
それからアンサスは堰をきったように話し始めた。
「俺にはあの御二人と同じ年頃の弟妹が居ました。二人は双子で、弟は年に似合わず文武両道、妹は人の心を慮れる家庭的で優しい子でした」
「うん・・・」
双子の弟妹、ジークとエリザベートと同じだったから面影を重ねちゃったのか。
僕はアンサスの頭を撫でながら、優しく相槌を入れて聞いた。横ではピアちゃんも、話の邪魔をしないようじっとして聞いている。
「本当に可愛くて良い子達でした・・・特に弟は私と祖父の訓練にもよく混ざってきて、将来は俺を支えてくれると・・・俺の贈った木剣を本当に嬉しそうに受け取ってくれて・・・妹もそんな俺達を甲斐甲斐しく世話してくれて・・・っ」
余程二人のことが可愛くて大切だったんだろう。苦しそうに涙を堪え思い出を口にするアンサスの様子は、正直痛々し過ぎて見ていられなかった。
血を吐くような思いとは、こういう事を言うのだろう。
「そんな俺達が住んでいた村も、本当に長閑でいい場所でした。何も無い村でしたが、夕日に染まる稲穂畑が美しくて、流れる川の水は清らかで、人々が皆温かくて・・・村全てで一つの家族のような、そんな素晴らしくてかけがえの無い場所でした・・・でもそこにある日、魔物の大群が押し寄せたのです」
嬉しさと悲しさが同衾した表情で思い出を語っていたアンサスの顔が暗くなる。
アルバートさんから聞いた話だと、その魔物災害でお祖父さんが命を掛けて領民を逃がしたと聞いた。でも聞いたのはそこまでだ、予想はついているが話はそこで終わらなかったんだろう。
「当時、勇猛で名を馳せたお祖父様の体は病魔に侵され、とても戦える状態ではありませんでした・・・ですがお祖父様はそれでも家族を、村人を逃がす為に剣を取り、父と共に平原を埋め尽くす魔物に立ち向かわれたのです・・・父なんて、普段ペンしか握らないのに・・・俺も残ると言いました。ですが祖父は、皆と逃げろと・・・」
「そっか、お父さんも・・・勇敢な人だったんだね」
その時、お父さんも残ったのか。
話からしてお父さんは文官だったんだろう、でも最後は皆を守る為に剣を持った・・・怖かっただろうに、本当に勇敢な人だ。
しかしその話だと、無事逃げられたんじゃないのか? そう思っている僕に語られた内容は驚くべきものだった。
「俺は皆を先導し、魔物がやってきた方角とは逆へ向かいました。そちらは本来大きな崖となっており、そこに村人総出で避難場所を作ってあったんです。近くには川もあり、一週間程度そこに身を隠すつもりでした。ですが・・・何故か魔物がその場所に待ち構えていたんです」
「えっ・・・待ち構えてた?」
「はい・・・」
そんな事絶対にあり得ない。
魔物災害もしくは魔物の氾濫と呼ばれる現象は、発生場所から一方方向、もしくは放射線状に動く筈だ。
回り込んで待ち構えるなんてするはずが無い。何よりそんな事を考える知能があるとは思えない。
「もう戦うしかありませんでした。しかし実戦経験のある男手など数えるほどしか居らず、それも野生の獣相手です。どうしても手が足りず・・・村の女達が木の棒を手に、子供達すら石を投げて応戦しました。私も戦いました・・・必死に、必死に剣を振って、でもお祖父様のようにはいかず・・・はぁっ、はぁっ・・・剣を失い、魔物の爪が俺に、でもっ・・・!!」
アンサスはそこで言葉を止めた。
何度か口を開くが中々言葉にならない、きっとそれは理解しつつもずっと目を背けてきた事実。
本当なら口にしたくないのだろう、言葉にすれば思い出してしまうから。失ったんだと何度でも思い知らされてしまうから。
これは自分で言葉にして、理解して、乗り越えなきゃいけないことだ。
だから僕は促さない、急かさない、ただ優しく彼の頭を撫でて、目を見つめて言葉を待った。
何度も荒い呼吸を繰り返し、撫でる僕の手を握ったアンサスは覚悟を決め、彼の言葉を止めていた内容を、見た光景を口にした。
「魔物の爪が迫った時、弟が俺を川に突き飛ばしたんです。お陰で俺は死なずに済みました、ですが目の前で・・・弟が・・・潰れるのを、見ました。──俺はずっと期待していたんです。時間稼ぎをしていれば、お祖父様が、父上が助けに来てくれる。俺達は悪い事もせず懸命に生きていた、そんな俺達がこんな終わり方をする筈がないと・・・何の根拠も無いのにっ!! 自分では出来ないと自分勝手に諦め、病魔に侵されたお祖父様に縋ったっ!! その結果が、これですっ!! 何も守れなかったっ!! 俺が守らなきゃいけなかったのにっ!! あまつさえ、守るべき者達に守られたっ!! ・・・流された俺は必死で川岸に辿り着き、皆の所へ戻りました・・・ですが・・・」
「うん・・・うん・・・」
もう何て言ってあげたら良いのか分からない。
そんな状況、誰かに頼りたくなるのは当然だ、それが憧れの存在なら尚更の事。でも託された、守れなかったという思いが、アンサスの心を蝕んでいる。
「・・・俺が戻った時、人の形をしたものは残っていませんでした。ただ、目の前に広がる血の海と・・・魔物の牙に引っかかった妹や母の、ドレスの切れ端が見えて・・・気付けば周りには無数の魔物の死体と、手元には折れた弟の木剣が・・・それからの事はほぼ記憶がありません。ただ気付けば野盗に身を置いていました・・・」
「そっか・・・アンサス、君は無くしたんだね」
大切な家族や村の人達だけじゃない、思い出の場所も、守らなきゃという使命感も、騎士として育てられた誇りも、全てを無くした。
野盗になったのも、自暴自棄になったんだろう。
僕にはアンサスの行為を非難することなんて出来ない。僕だってミミちゃんやアニマル’sが来る前にピアちゃんを失っていたらヤケを起こしていただろうしね。
でもアンサスは一つ勘違いしていることがある。
「お祖父様はきっと俺を情けない男だとお思いでしょう。父上だって落胆されている筈。託されたものも守れず、使命も果たせなかった・・・俺は、生きている価値が無いっ!! 本当なら、お嬢様に優しい御声を掛けて頂けるような男じゃ無いんですっ!!」
腕で目を覆い悔し涙を流すアンサス、今の彼にはどんな励ましの言葉も響かないし安く聞こえるだろう。
だから僕はただ事実だけを彼に伝える。
子供をあやすように、ゆっくりと撫でながら、出来るだけ静かな声で。
「アンサス、聞いて・・・君は勘違いをしているよ。お祖父さんは君を、情けないなんて思ってないよ」
「そんなわけ無いっ・・・そんなわけっ・・・」
「よく思い出してみて? お祖父さんは最後、アンサスになんて言ったの?」
押し寄せる魔物達の波。
それに立ち向かうべく、雄々しく立つ騎士の姿。
アンサスは見たはずだ、その大きくて強い背中を。
病魔の影など感じさせない強い姿を。
命を掛けて弱きを守ろうとした男の姿を。
そんなお祖父さんがアンサスに最後何を言った?
自分の跡を継ごうとする可愛い孫に何と言葉をかけた?
死んでも皆を守れと、そう言葉をかけただろうか?
いや違う、アンサスはさっき言っていた。
お祖父さんはアンサスにこう言っていた筈だ──。
「お、お祖父様は・・・逃げろ、生きろと・・・」
「でしょう? 死んでも皆を守れなんて言ったの?」
「いえ、言われていません・・・」
「お祖父さんはね、そりゃあアンサスが全員を守って皆で生き残ったら良いなとは思っていたと思うよ? でも何より生きて欲しいって、そう願ったんじゃないの?」
「それは・・・」
そう、アンサスを苦しめていたのは果たせなかった使命感と自責の念だ、誰もアンサスの事を責めたりなんかしていない。
アンサスを庇った弟さんだって、アンサスに生きて欲しいって。最後にそう願って動いた筈だ。
「弟さんは最後にどんな顔をしていたの?」
「・・・笑っていました。その後ろに居た母も、妹も、俺を見て・・・微笑んでいました」
「お母さん達はね、自分達は助からないと分かってたんだよ。でもアンサス一人なら逃げられる、そう思ったんじゃないかな?」
「でも・・・でも・・・俺は、皆を・・・守りたかった・・・」
理解しろ、そう言うのは簡単だ。
表面上そう繕うことも出来るだろうけど、納得出来るかは別問題だ。
「アンサス、今はまだ辛いかも知れない。でも君は歩かなきゃいけない、君が家族から託されたのはちゃんと前に進むことだ。そうしないと家族の想いが無駄になっちゃうよ」
「分かります・・・分かっています・・・でも俺は、もう一人じゃ立てない。立つ意味すら分からない・・・俺は、守るものが欲しい。守るものがないと、自分を守れないっ・・・うっ・・・ぐっ・・・」
「アンサス・・・」
人は心が弱った時、何かに縋る。
それは愛する人だったり、大切な物だったり、信仰など心の在り方だったり色々だ。
皆はそれを『依存』と言う。
依存は決して良いことではない、どちらかと言うと悪い面の方が目立つだろう。
でもそれは時に、人を立ち直らせる支えになる。
アンサスには依存する相手が必要だ。
もう大丈夫だ、一人でやっていけると思えるまで支えてくれるものが。
「お嬢様・・・俺を連れて行って下さいっ・・・雑用でも何でもします、奴隷になってもいい・・・お願いします・・・俺に貴女を守らせて下さい・・・俺を、守って下さい・・・」
僕は空を見上げて目を瞑る、そして大きく深呼吸した。
まぁ、そうなるだろうなとは思った。
助けて貰った恩義からか知らないが、アンサスは最初から僕の従者になると言って聞かなかった。
だが、アンサスに最初告げた様に、僕はこれから世界を巡る旅に家族以外を連れて行く気は無い。
それはテラ様達から託された使命を果たすと同時に、家族で世界を楽しみたいからだ。
父の様に血が繋がっていても他人のような人も居れば、紡ちゃんのように血の繋がりもないのに家族になれる人も居る。
煩わしいのはもう要らない、僕の周りは家族だけで良い、だから──。
ちらりと、横に座るピアちゃんを見る。
彼女は僕の判断を待っているようだったが、目が合った瞬間コクリと頷いてくれた。
あとは僕の気持ち次第か・・・。
僕は再び顔を下に向けた、アンサスと目が合う。
「ふぅ・・・アンサス」
「・・・はい」
「前にも言ったように、僕は家族以外を旅に連れて行きたくはない。煩わしいから」
「・・・はい」
「だから──」
アンサスの上体を起こして正面に座らせる。
僕は膝立ちになって、彼に近付いた。そして──。
──。
額に軽くキスをする。
これは、僕が寝る前に必ず家族全員にする事、僕なりの『家族の証』。
「これでアンサスは僕の家族だ、危ないことするのは禁止だからね」
「──うっ・・・うぅっ・・・」
僕はそのまま胸を貸してやり、アンサスの顔を隠す。アラミスもピアちゃんの顔に張り付いて、視線を遮った。
「何? アラミス、前が見えないの!」
男の涙は見ないふりをするのがマナーなんだよ、ピアちゃん。
こうして僕達の家族に、新しくアンサスが加わった。