1話 幼馴染2人は奉公のため旅に出る
キャベッシュ王国の最北端にあるポター村に雪解けの季節が訪れた。
狩猟と工芸品を主な産業としているポター村の朝は早いのだが、この日は普段よりも早く村の規模に似つかわしくない小綺麗で機能的な孤児院から鍋を叩く音が鳴り響く。
「マシュ!トリー!早く起きなさい!幌車の乗場は森を抜けた先にしかないのよ!?今日を逃したら暫くないんだからね!?」
鍋を叩く音と同じくらい響く声は孤児院に併設された教会のシスターピクルのもの。
60代女性のものとは思えない声量に飛び起きた小柄なトリーとは違い長身のマシュは生返事のみを返して布団に包まったまま出てこようとしない。
「マシュ!出てきなさい!」
布団に包まるマシュと剥ぎ取ろうとするシスターピクルの攻防は毎朝のことで、ピンクベージュのふわふわとした長い髪に櫛を通して身嗜みを整えるトリーが片手間に決着をつけるのもいつもの事だ。
「マシュ〜、ビッグボアの肉とコッコの肉どっちがいい?」
「……ビグボ」
「私が焼くと丸焦げになるけどいい?」
「無理〜貴重な肉を無駄にしないでくれぇ……」
のそのそと起きたマシュの目はまだしっかり開いていないが勝手知ったる室内を歩き、寝ぼけた状態の顔を冷水につける。
あまりの冷たさに指先がピリッとするのを感じながらトリーからタオルを受け取りようやく目覚めを迎える。
「うぇ~、ご飯作るか~」
「お茶は任せて~」
気怠げに間延びするような口調でありながら身体だけはきびきびと動く同い年の2人は幼い頃から姉妹のように育った。
マシュの母親は冒険者として旅立ったまま帰らない父の分も彼女を愛し、懸命に育てていたがマシュが3歳になった時に病によりこの世を去る。
当時廃屋同然だった孤児院に引き取られたものの母がいないことに気落ちし、塞ぎきりだったマシュがトリーに出会ったのは母の死から3ヶ月後の豪雨の夜だった。
外部から滅多に人が来ないポター村に傷だらけの若い夫婦が命からがら訪れた。
彼らは僻地の訪問診療を生業にする薬師の夫と地域特有の工芸品を好む妻という夫妻であり、初めて娘を連れて夫の仕事に同行したのだと言った。
彼らは雪というものの怖さを理解できていなかったのだろう。
雪解けが始まったばかりの頃に山道を通り、途中で豪雨に見舞われて土砂崩れに巻き込まれたのだ。
かろうじて命はあった。それだけでも奇跡と言っていいだろうに娘のトリーには傷ひとつなかった。
夫妻を教会で治療したものの数時間後には深手を負っていた夫が、数日後には妻までもが亡くなりトリーも天涯孤独となってしまった。
その日からマシュとトリーは互いを支えに生きてきたのだ。
昨夜焼いておいたパンに葉野菜と焼いた肉を挟み、たまごソースをかけて皿に乗せ、次はと手際良く同じ物を多めの乾物と一緒に保存の効く鞄に詰める。
2人分のお弁当はなかなかに嵩張るが、森を抜ける頃には夕方になっているだろうし体力の維持に昼食は欠かせない。
鼻歌混じりに水筒に熱いお茶を注ぐトリーも待ちに待った日々を思うと楽しみで仕方ないのだろう。
「ブルーベルお嬢様元気にしてるかな〜?」
「元気だといいね!」
「早く会いたいね!」
「ね!」
ブルーベルお嬢様というのは領主の娘。遭難者が亡くなり一人娘を保護したという一報を受けてポター村に訪れた時に知り合った明るく可憐で心優しい子爵令嬢だ。
孤児2人の為に孤児院の改築を発注し、半年もの間滞在して2人の世話をしてくれた少しだけ年上のお姉さんだ。
2人を妹のように可愛がった彼女は初めて村を訪れた6歳から成人を迎える16歳までの間、毎年ポター村を訪れては2人に色んなものを与えた。
今この孤児院にある大半のものは彼女からの寄付品であり、その恩を常々返したいと思っている。
当時10歳のマシュとトリーは高級品であるポーンラビットの毛皮を入手しようと画策し、失敗した過去がある。
そもそもポーンラビットは村周辺に出没する唯一の高ランク魔獣で名前こそ可愛らしいが雪の降る昼にのみ現れる全長2メートルを超える肉食の一角兎だ。
5歳の時に受けた適性ジョブ検査で従魔士の素質を見出されたマシュが居たところで契約の仕方すら知らないマシュに魔獣と契約できる訳もなく、かと言って白魔法士の素質を持っていても攻撃魔法のひとつも覚えていないトリーに何ができる訳でもなく、遠巻きに見つけたポーンラビットのあまりのデカさに猛ダッシュで逃げ帰ってきたのだ。
その話を聞いた領主とブルーベルは青ざめた表情のまま2人にひとつの約束をする。
成人しても気持ちが変わらなければ2人で領主邸に赴き、領主邸のメイドとして働くことだ。
その後6年の月日が経っても2人の気持ちが変わることはなく、トリーの成人をもって村長から旅立ちの許可を得た。
雪解け水の危険があることから山道は通らず、森を抜けること。
森とは言っても中には入らず、人の手が入っている道を進むことが条件として出された。
簡単な朝食を終えてから用意しておいた旅装束を纏う。
大きな鏡なんていう高級品はないので互いに向き合って最終チェックをした。
トリーはピンクベージュのふわふわロングヘアーを耳の後ろあたりで2つに結び、襟と袖口に花柄の刺繍が入った水色の外套をはおってから大きな肩下げ鞄をさげて防寒用の帽子をかぶる。
マシュは真っ直ぐ伸びたホワイトアッシュの髪を邪魔にならないようトリーに結んでもらい、襟に蔦模様の刺繍が入った黒の外套をはおり、パンパンに詰まった大きなリュックを背負う。
夜明けを待たず2人はカンテラの火を灯しながら世話になったシスターピクルや村人たちに大きく手を振って少しだけ距離のある旅に出たのだった。