第二十六話 続・東海道・保土ヶ谷宿の神明社-奈々枝とみかんと温故知新-
私の名前は加増奈々枝。ひとりぼっちで過去回想に浸る哀れな二十代の会社員だ。
外見は攻めている私。パンツルックに黒のローヒール、元彼が好きな格好良い女のスタイルを揃えたために、まるで渋谷のスペイン坂を歩くようなファッションで初詣である。もちろんハーフコートも深緑で前開き、長いマフラーをタイ結びでその前開きから覗かせる。マネキンスタイルで仕上げている。
今、初詣を終えて保土ヶ谷駅まで戻ってきたところだ。そう言えば去年は一緒に初詣に来てくれた恋人がいた。いいえ、ほんの半月前までだ。そう、クリスマス直前で別れを切り出された可哀想な女が私だ。
大体はドラマや物語では献身的な女の子はハッピーエンドで結ばれるのが相場だ。ううん、べつに私が凄い一生懸命に彼に尽くしていたとまではいわない。でもそこそこ彼の心に寄り添っていたのは事実だ。
じゃあなんで別れたのかっていうと、よくある話で、彼に新しいお相手が出来てしまったからだ。どっかの歌の文句ではないが、最後の贈り物に涙を拭くハンカチーフが欲しいくらいだ。
だったら初詣など来ないで家でゴロゴロしていれば良いとも思う。でも私は良縁をお願いするために来たのだ。神明さまでは紙の人形を清らかな水の池に沈めてきた。これで私の心と残念な過去は浄化されたと思っている。
手元のスマホがお昼の十二時の時報を知らせている。
「そっか、急いで来たから何も食べていないなあ」と独りごちる私。おじさん向けのグルメマンガなら、自分勝手に自由にひとりの食事を求めて彷徨うのだ、とかなんとか言って飲食店に入るのだろうが、私は女ひとりで飲食店に入って食事をするほど肝が据わっていない。家に戻ってお餅でも焼いて済まそうと考えた。
「あれ、カマスじゃん!」
どこからかこのハマッコ言葉で『じゃん』とか使う男の声がする。振り返ると三木元亜麻吾が笑っていた。まるでお日さまニコニコのような性格の男だ。
こいつは高校の同級生で、おまけに大学も一緒。さすがに就職は違う会社だったが、七年も同じ学校にいたせいで忘れるわけもない。それは私だけではなく、あっちも同じだろう。
「三木元って、そう言えば、地元保土ヶ谷って言ってたっけ」と私。
「うん」
「あ、思い出してきた。入学式の日に付いたあだ名が『おしるこ』。なんであんた高校の時『おしるこ』ってニックネームだったのよ」
「そうそう、懐かしいね。この先の乾物屋がウチなんだ。小豆を扱うのが得意な店でね。たまにねーちゃんが炊き出しでお汁粉を配ったりするのよ。それを知っていたやつらが付けたあだ名なんだよ。美味しそうなあだ名だろ」と嬉しそうに話す。
「なるほど」と私。本人が気に入っているニックネームなら問題ない。
「ところで初詣なの?」と彼。
「うん」
「知っていれば、一緒に行ってやったのに。ひとりで来たの?」
きっと彼はごく自然な流れで訊いてきたんだろうけど、振られたばかりの私は素直に受け入れることが出来なかった。
「悪い?」と少々下目遣いのひねた態度で返した私。
「なんだよ。おかんむりだな。新年早々そりゃないだろう」とヤレヤレ顔の三木元。
「私、今、おなかが空いて機嫌が悪いのよ、ごめんなさいね」
私がそう言うと、彼は「ぷう」と吹き出して、「空腹で機嫌悪いって、子どもかよ」と軽く笑う。
そして私の背中を押すと、「こっちだ」と言って、Y字路の右側の商店街へと続く道、駅ではない方に私を連れて行く。
よく見ると、こいつこの寒空にジーンズにトレーナー一枚でいるのだ。およそ真冬の外出の格好ではない。
「あんた、寒くないの。そんな格好で」と私。
「寒い」
私は呆れを通り越して苦笑いである。
「あほっ!」
私がそう言うと、三木元は「ようやく笑ったな」と嬉しそうに言った。
「えっ?」
「小羽田にフラれたんだろう」と彼は心配そうに私を見た。
「知ってたんだ」
「うん。寂しそうにウチの近くを通っていたのを見つけたから、このままの格好で追いかけてきたんだ」
『それでこの格好なのか。優しいとこあるじゃない』と内心思う私。
元彼のコハダはモデルの卵とつきあい始めたのを風の噂で知っている。何でも読者モデルからタレントになった美形のモデルさんらしい。しかもみなとみらいの高層マンションに住んでいるという彼女。私のような庶民でお酒の味しかわからない田舎女は不釣り合いなのだろう。
私とその元恋人であるコハダは高校から五年以上付き合ってきた。まさかこんな形であっけなく終わりが来ようとは夢にも思わなかった。
「小羽田の家さあ、保土ヶ谷で、オレんちの先なんだよ。結構近いのよ。クリスマスに加増じゃない違う女性を連れて歩いているのを偶然見たんだ。それで本人に聞いてびっくりだった」
「そっか」と合点のいく私。本人が教えたのなら噂ではなく本当のことだ。
「あいつ趣味わりいなあ。結構派手な女だったぜ。お前のほうが数百倍綺麗だ」という。
「数万倍の間違いじゃないかな。でもありがとう」とジョークで笑う私。
「そうだな」と話が一段落したところで、商店街の中程のちょっと奥まった店の前で扉を開けた。和風の小さな割烹建築の店だ。こぢんまりとはしているが上品な割烹小料理屋の品格は漂っている。
「カンチャン、やってる?」
三木元が声をかけると、「おう、今から開けるところだ」と威勢の良いイケメンが店の奥から現れた。
「済まないけど、欠食児童をひとり連れてきたんで腹一杯喰わしてくれよ。オレには熱燗と鍋と刺し盛りで」と言った。
「分かった」と白衣を着た、その威勢の良い店主は腕まくりをする。そして「何だ。お前その薄着は。風邪引くぞ」と店主。
「色々あってな。暖房強めで頼むわ。じゃあこの辺に座ろう」と三木元。
「ちょっと、私、こんな立派なお店の飲食代払えない。お金持ってきてないわよ」と言うと、三木元は、
「大丈夫、オレのおごりだ。安心して食べてくれよ。ここは同級生の店でね。地元では一番か、二番に美味しいといわれているんだ。存分に味わえ。そして嫌な事なんてわすれちめえ」と東京人ではないくせに江戸っ子訛りで言う。
暫くして、料理が出そろうとカンチャンと呼ばれる大将は厨房から出てきて、彼の横の向かいにあるテーブルの椅子に腰を下ろした。
「こんにちは。三木元の幼なじみの権太坂勘八っていいます」と頭の帽子を取りながら挨拶してくれた。
「この娘、加増奈々枝ちゃんだろ?」と三木元に問うカンパチ。
「え、なんで分かるの?」と私。返事したのは私の方だった。
カンパチはニヤリと笑うと、
「高校時代からあなたの話ばかりしていたからね」と意味深な言葉。
「私の?」
「あんみつは砂糖漬けのパイナップルが入っていないとダメとか、パウンドケーキはドライフルーツの量が多くないとだめとか、カレーライスはミルククリームの入った甘口が好きなんだとか、ずっとあなたの好みを聞かされていました」
見事にバラされた三木元は赤面して俯いたままだ。
「合っているわ。なに三木元、私の身辺調査員? ストーカー?」
いきなり「違うって、あの頃はまだコハダと付き合っていなかったから、ワンチャン、オレにもあるかなって、恋の相談がてらこいつに話していただけだよ」と狼狽えながら完全否定するところが可愛い。
「そうそう。オレンジ色が好きで、マフラーも眩しいオレンジ色だったって聞いているよ」とカンパチ。
「そう言えばあの頃はオレンジ色の小物に凝っていてみんなオレンジだったわね」と笑う私。まだコハダとは出会っていない、影響を受けていなかった時期。生粋の私だった頃だ。懐かしい。
そうだ、あの頃はふわっとしたガーリーなスカートや大きなリボンが好きなファッションだった。格好いい女と言うよりは、『かわいい』が軸のコーディネートだったな。
「それでさ、ウチの二階に上がり込んで、オレのベッドに勝手に寝転んで、あなたのことを愛しの君って言って、お揃いのマフラーをこっそり手に入れて抱きしめていたよな」と勘八は、三木元の黒歴史とも言える秘密を、次々にミラクル級のネタとしてバラす。
「こら、それじゃオレ変態みたいだろう。過去のこととはいえあまりバラすな。オレのイメージ悪くなる。まだ十代のガキの頃の話だ」と必死に抑制する三木元。
「わかった、わかった。でもオレから見たら、あれは完全に変態だったよ」といって目の前の三木元を爆死させてからカンパチは私の方を見て、「入ってきた女性が何で加増さんと分かったのかって言うと、今している髪ゴムのマスコットが蜜柑で、バッグの取っ手にも蜜柑のキーホルダーが付けてあったから、もしかしてと思ったのさ。以前こいつから蜜柑の小物が好きらしいって聞いていたからね」と笑った。
「なるほど」と合点がいったようで、点頭する私。
そこでミカンに関することが興味のあることだったようで、沈黙していた三木元が「なんで蜜柑なの?」と訊ねてきた。
「答えは簡単。栃木の足利に従妹がいるんだけど、その子はイチゴのマスコットが好きなので同じように集めていたの。それと山梨のはとこは葡萄のマスコットなので、親戚が集まったときに互いにお披露目していたのよ。小学生の時から。そのなごりでね」と答えた。
「なるほど、神奈川なのでみかんか。相模川より向こうは蜜柑畑、結構多いもんなあ」と三木元も納得したようだ。
「ウチは大磯の造り酒屋。母方の従妹の家は足利で造り酒屋。はとこは山梨の石和でワインメーカーやっているお家なのよ。何故かお酒にご縁がある親戚関係なのね」と初めて三木元に身の上話をした。彼は興味津々で私の話を、一言一句真剣に聞いていた。
「そっか。それでフルーツの髪飾りやグッズで蜜柑か。長年の謎が解けたよ」と笑う三木元。そして「どうやらさっきの悲壮感漂う顔は一旦無くなったね」と私に優しい顔を向ける。
「あっ」と私。
そしてカンパチ君はお酒を入れたガラスのおチョコとガラスの徳利を持ってくる。
「大磯名物の銘酒『おおゆるぎ』の生酒をどうぞ」と三木元と私の前に置いた。
「ウチの酒?」と私。
「こいつがいつも呑むから、常備してんのよ。ウチのお店。半ば強制で仕入れさせられてんの」と笑うカンパチ。
照れくさそうに三木元は頭を掻く。
私は私で『ありがとう』と言うのが照れくさくて「まいどあり」と言ってしまう。
「オレはさ、洗練されたファッションや気の利いた流行の品は分からないし、トレンドとかも知らないけど、真面目に素朴に生きる事なら誰にも負けないよ。だからさ、人生に迷ったらいつでも言ってよ。加増の力なるよ」と三木元は真っ直ぐ正面を向いて言った。
私は少し涙目になる。こんなストレートに真面目をぶつけてくる人間は大人になると少なくなる。高校時代のままだ。昔からこいつは言い訳しないし、頼まれるとちゃんと行動してくれる。口は堅いし、思いやりもある。何でこいつじゃなくコハダに惹かれていたんだろう。ルッキズム?
「私は男を見る目がなかったあ」とノビをしながら言うと、
「違うよ。コハダはさぁ。大学まではオレと同類だったの。芸能寄りの業界に就職して、その世界で生きていく慣習に染まっただけなんだよ。恋愛の一つ一つを大切にするよりも、その場その場の浮き名で生きる世界に身を置いただけ。どの世界で生きていくかは自分自身の取捨選択だし、環境は人を変えるよ」と元彼の自主性も尊重した答えを三木元は出した。
「彼とのお付き合いでぇ、君自身も成長できた部分も多いしぃ、失ったからと言って全てが間違いというわけでもないじゃんか。得たモノを十分に活かして次に進めば良いじゃん」と得意がって話すときは、こいつ相変わらずのハマッコ言葉である。
「そうだね」と私。そして出されたウチのお酒、チョコに注がれた冷酒を一気に飲み干す。
「かあ、ウチのお酒は美味しいなあ」と笑う私。そして「三木元」と呼んでみる。
「なに?」
「私なんかのこと好きでいてくれてありがとう」と笑顔を向けた。
すると「どういたしまして」と折り目正しい返事が返ってくる。
「この真面目さが三木元なんだよね」となぜか胸が熱くなった。それは日本酒のせいではなく、間違いなく心のぬくもりだ。
「ねえ、三木元。初詣、仕切り直して、もっかい一緒に行ってくれる?」と私。「いいよ。途中で家によってコートだけ取ってからね」と彼。
私は笑って「OK」と返す。
お会計を済ませた三木元が店から出て、二人で旧東海道の通りを歩き始めたときだった。
「ちょっと、あり得ないんだけど。肌に悪いような寒空の下でこんなに待つなんて。私カフェで温まっているから順番来たらメール飛ばしてよ」
列を作っている人気店で順番待ちをしていたのだろう。彼女のほうは耐えきれないようだ。
「え、オレひとりで並べって言うの?」
「当たり前でしょ、彼氏なんだから」
聞き覚えのある声が通りに響いている。コハダと小綺麗な格好の女性が問答していた。彼女の認識ではどうやら召使いと彼氏は同義語らしい。私とは別人種だ。
私は両手でギュッと三木元の腕を掴んだ。三木元も分かっているようで、元彼には軽く挨拶して通り過ぎる。
やがて彼らの姿が豆粒ほどになった時に三木元はあきれ顔で私に言う。
「有名人の彼女を持つと大変だね。オレは普通の人がいいや」
これは負け惜しみという訳では無い。きっと本音だ。
「ファッションモデルの彼女とドキドキわくわくで楽しい思いが出来る代償は、後始末と便利屋仕事ってわけか……」
「うん」
私はなにも言わなかった。コハダのあの姿を見て、可哀想とも思わないし、実はさっきまでの失恋の痛みもどっかに消えてしまった。
「今度さあ、ウチの酒蔵見に来る? うちの父に紹介してあげるよ。ウチの銘柄のファンだって」
「本当? ついでに高校時代からの奈々枝さんのファンでもあります、って紹介してよ」
「ばあか。そんな事言ったら、湘南平の電波塔にあんたと私の名前書いた錠前の鍵かけちゃうぞ!」
「それって恋人になるって事だよね? かけよう!」と三木元。
どうやら彼はこんな風になった私でも、まだ好きでいてくれるらしい。
私はちょっと頬に熱さを感じながらも自然に彼に寄り添って、腕を絡めて歩き始めた。古い知り合いとの新しい恋がもうすぐそこまで来ている気もする。ご縁と御利益はあの神明さまがくれたモノなのだろうか。いずれにせよ、ややこしい男女関係よりも、晴れやかですっきりした愛情関係のほうが私らしいと三木元に改めて教わった気がする。忘れかけていたあのミカンの香りとともに……。
了




