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第二十三話 新・桜の神明社と希望-香菜子の好きな家族-

 桜木町駅。かつてここは東急東横線の終着駅だった。根岸線の桜木町駅の横には並んで、東急の桜木町駅が存在していた。横浜駅までの短い区間を二社は併走していた。そんな風景を知っている最後の世代ももうアラフィフに差し掛かっている。

 とある休日に、そこを歩く親子三人。絵になる家族の光景だ。この親がアラフィフの世代となる。

「君はどんな大人になるんだろうね」と父。

 娘は「私の場合、『蛙の子は蛙』と『鳶が鷹を産んだ』ではどっちかな?」 と笑う。

 すかさず母親は「『蛙の子は蛙』でしょうね」と、さも当たり前のように言う。

「もっと他に言い方ないの? それが愛娘にいう台詞か。デリカシー無いな」と笑う娘。

「あらじゃあ、『瓜の蔓に茄子なすびはならん』や『燕雀鳳えんじゃくほうを産まず』でもいいわよ」と母親。

「そういう別の言い方じゃないって」と渋い表情の娘。そして「高偏差値の親を持つと娘は苦労するわ」とぼやいた。



 時計の針を少し戻そう。

 桜木町の駅前にあるコンビニからはスピッツの『ロビンソン』が流れていた。往年のヒット曲である。若い世代のバンドブームの集大成のようなヒット曲だ。たまごっちやらPHS、Windows95やらとデジタル三昧の忙しい時代が幕を開けたあたりである。この頃にはポケベルなどデジタル機器には入らないほど通信機器は進歩していた。

 今と同じような平成の米騒動が数年前におきていた頃でもある。この時の理由は、現在とは異なり晴れ日の少ないための凶作不作が原因だったようだ。そして外国産米の緊急輸入も実施されていたが、一年ちょっと後にそれは解消された。


 そんな時代の横浜・桜木町の丘の上の道を歩く高校生がひとり。この道は伊勢山皇大神宮に続く坂道である。

 彼女の名前は萬宝香菜子まんぼうかなこ。受験生だ。現役合格のために桜木町にある進学予備校に通っている高校生。勿論国立大学、旧帝ねらいのスーパー秀才クラスに在籍している。愛読書は教学社受験校別の大学入学試験問題集、いわゆる赤本や青春出版の『試験に出る英単語集』、通称シケタンである。当時流行最先端の若者としてはちょっとズレた感性の持ち主である。



 え、彼女の風貌? 牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけたガリ勉女子かって? それがこう見えても外見は立派なギャルなのだ。茶髪にピアスに、なんならヒールめいた厚底革靴で学校に行く。だから、彼女の学校のクラスメイトは、彼女が県内トップの模試成績をはじき出しているとは、担任教師以外は知らないのだ。


「あ、萬宝まんぼうコウナゴじゃん!」

  嫌な声、そして聞き慣れたハマッコ言葉が彼女の耳に入ってきた。

『……じゃん! とか使うな。高尚な私の日本語が乱れる』

 自分が使う分には問題なく、他人が自分に使うときは不快に思うという、彼女は典型的な自分勝手な自意識過剰のギャルである。


「なんだよ、お前でもお伊勢さんに来るんだ。神頼みか?」

 その声の主は馴れ馴れしく、秀才ギャルと自負する香菜子に躊躇無く話す。その通りで合格祈願のおまもりをいただいてきたので、彼女の手にはしっかりとお守りの入った神社の袋が握られている。

「アホ。努力した上での神頼みだ、あんたとはレベルが違うんだ。神さまもまるっとお見通しだよ」

 しかも彼女が不遜な気分を被ったのは、中学時代からの同級生で香菜子という漢字の読みを、()()()()などと読む無礼者のせいだ。それはあの男しかいない、と知っているからだ。

『私はおじさん御用達の酒のツマミじゃねー、っての』と内心彼を鬱陶しく感じた彼女。


 だが彼女だって言われて、ただでは済まさない。

「け、ハマチかよ」と言い返す。

 その返し言葉に一瞬怯む彼の顔。

「いい加減覚えろよ、オレの名字は八街やちまちって読むんだよ。ハマチじゃねえよ。八街景太郎。相変わらずバカだな、コウナゴ」

 得意がる八街にふたたび報復だ。まあ彼は典型的なガリ勉である。全ての興味関心を教科書に向けるタイプだ。残りの時間はドラクエで勇者になりきる厨二病オタクだ。

「その言葉、そっくりあんたにお返しするよ。ハマチ。あたしの名前はカナコ、カナコって言うんだよ、漢字も読めないのかよ、大馬鹿! アンタの方が受験は神頼みだな」

 彼女は神さまにお参りした後で申し訳ないと感じながらも、ぞんざいな言葉合戦が飛び交う桜木町の駅前近くの紅葉坂である。とても彼ら、今傍から見たなら、成績優秀な学年一位と二位の人間が話す会話にはとんと聞こえない。

「細かいこと気にすんなよ。出世しないぞ」と笑う。

「細かいこと気にしろよ。だからお前モテないんだよ」とふたたび返すカナコ。

 これが決定打となり黙り込むハマチ。「ぐぬぬ」と言って、返す言葉がつきた。確かに八街はモテるタイプではない。


 だが客観性で言えば、申し訳ないが、やはりこの二人中学生以下のレベルに見える口論問答である。とても超進学校の生徒とは思えない内容だ。あたりの店先からはまたもやスピッツの『ロビンソン』が流れている。それ程のヒット曲なのである。そんな時代に青春を送っていた二人だ。感性の時代の覇者であるこの時代の若者。この時、二人は同じ高校、横浜魚卵高校という超難関進学校の生徒だった。


 ……だった。過去形。

 そう、この二人、令和の今、一緒に桜木町の駅前を歩く。あの頃とは違い、ロープウェイの乗り場が出来た駅前。その横の映画館が複数入るファッションビルの出口で二人は会話する。


 まるであの日の二人のように、そう心のタイムスリップを楽しんでいるかのように。

「おい、コウナゴじゃん」と悪ふざけのような父。たまに彼女の父親はこういうモードで母親をからかう。仲良きことにこしたことはないのだが。

「じゃん?」とカナコはあきれ顔で振り返ると、その目線の先にパーカーにジーンズで笑顔の年取ったハマチがいる。見た目大人になったハマチ。彼女はあの日と同じ言葉を発した。

「ハマチ!」と花柄のお洒落なフレアスカートに白いブラウスで返すカナコ。当時のギャルの面影など何処にもない。エレガントな母親だ。

八街やちまちだって言ってんだろう、いい加減覚えろよ」

 彼のその言葉の返しに「アンタ、成長しないな」と笑うカナコ。

「け、お互い様だ」と笑うハマチ。彼も髪をかき上げながら、眠い目を擦っている大人。まあ休日のおじさんだ。

「しかも教えてやろうか。おあいにく様だが、おかげさんでアタシも今は、アンタと同じハマチになってんだよ!」と得意げにケラケラと笑い返すカナコ。そしてハマチと手を繋いで夫婦同士で微笑む。


 そして「ねえ、あなた。こうしてわたしもハマチになってしまったのよ」とひとしきりして、演じきった感じで笑いなから確認する口調。五十歳も見えてきたこの大人二人が、あの頃の二人だけの世界に浸っているのだ。

「はい。奥さんががんばってくれるから、今のオレがあるんです」と頷くハマチ。そう、この二人今は夫婦である。


「パパ、ママ? なに小芝居してんの? 子どもの前で惚気のろけるの本当やめて、はずい」と笑う二人の娘。

「パパとママにとって、ここ桜木町とハマのお伊勢さんは想い出の場所なのよ」とカナコ。

「ふーん」と娘。そして「魚卵高校のとき、ママが学年一位で、パパが二位だったんでしょう。そしてママが生徒会長、パパが副会長だったんだよね」

「そうよ」と少し得意げな表情のカナコ。

「パパってば、ママにしてやられてばかりだね」と笑う娘。

 帆船日本丸の前を抜けて大通りをみなとみらいに向かって歩く三人。今日は美術館で特別展を見る日だ。家族三人で久しぶりに出かける休日。

「そうね、パパは二番が好きなのよ」と笑うカナコ。

 すると娘は父を庇う。

「でも大丈夫、私はパパみたいな男性を見つけるんだ。今私の中でパパは一番だから。でも、そのうち私の中でも二番になっちゃうかもね」と満面の笑みをハマチに贈った。

「ありがとう」とハマチ。娘に戯けながらお辞儀をした。


 正面から来たすれ違う家族連れに娘が手を振る。

「あ、魚住じゃん! 家族でお出かけ?」

「うん、皆で映画を見に来たんだ」

「ふーん」と意味ありげに笑う娘。

「この次の模試はお前に負けないからな」と秀才顔の男の子が笑う。

 彼の両親は横で『なんで受験失敗した両親二人からこんな出来のよい子が生まれたんだろう』と日頃から不思議に思っている。まさに『鳶が鷹を産んだ』を我が身に感じる魚住の夫婦だ。一世代飛び越えたお伊勢さんパワーなのか? と苦笑いだ。

「ふん。あんたなんか返り討ちだね。生徒会長の座も頂くつもりよ」と娘。

 カナコたち親同士は軽く会釈をすると、「いつもお世話になっています」と言ってすれ違う。この男の子との会話の中で我が娘が彼を気に入っているのは一目瞭然。娘の中で、パパのハマチが二番になる日もそう遠くないとカナコは思った。


 すると街角のどこからか、あのスピッツの『ロビンソン』が流れてきた。

 ハマチとカナコは微笑みを返し合うと、

「幸せを確かめるための神さまのご厚意かな?」と二人で伊勢山の方を向いて微笑んだ。並木道には満開の桜の花。青空は何処までも深く遠くに広がるお天気。白に近い淡いピンクの花が空に映えながら、風にそよぐ穏やかな晴れた日の一コマであった。


                        了

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