辺境立ち上げ編その4
青十字盾。
言わずもがな、隻腕となる前の傭兵時代のカイルの呼び名である。
名前の通り、縦横にクロスするように青い帯の入った盾と、片手に持つにはやや大ぶりの長剣を武器にしていた。
剣と盾というスタイルから、鉄壁の防御力を想像しそうなものだが、むしろカイルが数々の勲を上げることになったのは、その反撃の趨勢を見極める目。
すなわち、カウンターこそカイルの真骨頂である。
相手が焦れ、状況が自分に有利に傾くまでじっとこらえ、いざその天秤が自分側に傾いた瞬間、雷鳴の如く動いて勝機を逃さず戦況を覆す。
これは商売においても後のカイルの秘訣と言えた。
実のところ、辺境領土の今の状況は、ほぼカイルの読み通りと言えた。
まだ村々やマグヌス公の信頼を得ることができず、財源の確保がままならないことも。
そして冒険者の唄を広めてイリアス全土にギルドの知名度を広めたものの、それを聞いて集まった新参の傭兵たちのせいで、かえって自分の首を絞めることになったことも。
「あと数日」
こらえて欲しいと、カイルは直談判してきた青年ヘレスに告げた。
数日という言葉に、特別の意味があったわけではない。
ただカイルがいざ「動く」という時に最大限の効果を挙げるには、まだ時間が少し必要だった。
あえて言い換えれば、カイルはより状況が悪くなるころを待っていた、と言い変えてもいい。
そして、その数日が過ぎた時。
カイルは雷鳴の如く動いた。
「これより風紀の引き締めにかかる」
などと大大的に告知し、著しくギルドの評判を下げる者への依頼の発行の一時停止を発表したのである。
カイルの本気というか執念、そして用意周到さを示すのが、カイルは事前にその違反者をリストアップし、さらには告知と同時の宿泊地まで把握し、即座に差し押さえに動いたことである。
歴戦の傭兵もカイルの勢いに飲まれて、当然これに泡を食う者が続出した。
が、
カイルがその青十字盾という清貧な名に似合わぬ狡猾さ、いわばずる賢さを発揮し、そうして実際に処罰されるのは、目立つ人間の一部だったことである。
汚い言葉を使えば「見せしめ」である。
そのような当たり前のことで効果を挙げたのは、リーノが評したように、ならず者たちにとっても冒険者ギルドの便利さは、得難いものだったからである。
処罰された者は当然激怒した。ならばと村々で暴れる者、ならば冒険者ギルドを通さず自分たちで依頼を引き受けて冒険者ギルドの仕事をなくしてやろうと動く者もいた。
これももちろんカイルの想定の範囲内。
「村々で横暴を働く者、とりわけ冒険者を名乗る者がいれば、知らせてください。即座に鎮圧部隊を派遣します」
と村々に触れてまわり、乱暴狼藉を働く者がいれば、誰よりも率先して冒険者ギルドの者が捕まえにいった。
財源の確保ができない現状、これらの面々は、全てボランティアである。
それでもヘレスなどの地元出身の義侠心にあふれた若者や、魔物の相手に飽きた血気盛んな傭兵など、名乗りを上げる者には事欠かなかった。
村々の人々を脅して、冒険者ギルドの仕事を横取りして自分たちで仕事を見つけてやろうと息巻いた者もいて圧力に屈する村もあったが、カイルが直々に出向いて説得し、粗暴な傭兵よりも冒険者ギルドの方が安全安心なのは自明で、すぐに追い払われた。
カイルがいざ動いた時、瞬く間にギルドの空気は一新された。
すなわち、ここでカイルの真骨頂でもあるカウンターとは、
新参者たちにとっても、冒険者ギルドというものが意外に便利だという認知が生まれるまで時を待ち、
例えボランティアでも、その冒険者ギルドを守るために働くことを辞さない義侠心を持つ者の心が焦れるまで待ち、
その水面下ではあえて泳がせていたならず者たちの動向を監視してリストアップし、居場所まで特定し、
即座に動けば、即座に効果を挙げる絶妙な“機”を図った、ということである。
これがタイミングを一つ間違えれば、根本の問題を解決することなく、問題はくすぶり続ける火種のように長期化し、それこそ冒険者ギルドそのものが内側から崩壊する可能性とてあった。
そのタイミングを見極め、同時に周到に準備を進めたのは、カイルの戦場で培われた嗅覚のようなものによるものかもしれない。
ある時、カイルはサーシャにこのようなことを言った。
「商売も戦争も似たようなものだ。いざこうとして剣を交えた時には、勝負の九割方は決まっているものだ。実際の戦場での機転や武運で勝敗の趨勢が変わることなどたかが知れている。どれだけ周到に準備を進め、どれだけ適切に時節を見極めて、手札を切るかだ」
また、ボランティアに集った者たちにカイルは言い放った。
「俺たち冒険者は、ただの傭兵ではない。矜持、すなわちプライドと呼べるほどの物は必要ない。ただ一握り、“これ”と守りたい灯し火、それ一つあればいい」
「このままでは、冒険者という新たな概念も、風雪に流されるまま立ち消えるだろう。そうなれば、このギルドはこのままではやっていけなくなる」
「俺が作った新しい概念。すなわち、『冒険者』という言葉に、少しでも心焦がれるものがあれば、その力をふるってくれまいか。他でもない俺たち自身の手で、その名を貶める者たちから居場所を守るために」
まだこの時点では、冒険者という概念がどれほど皆の心に根付いたかはあやしいところだ。
しかし、かつてならず者で慣らした者の中にも、その名の残滓が少しでも芽生えはじめていたのは事実。
そしてここに着てカイルの言葉。
「所詮傭兵」
そう言われて悪し様に扱われることに馴れ、ならばと粗暴に振る舞ってきた者たちだ。
だがそうではなく、新しい『冒険者』なる名などを名乗り、その名前を守るために戦えという。
否。戦ってくれと。
一文にもならないのに、そう言われて働くことに充足感を覚えるのはなぜだろうか。
カイルの言葉を受けた『冒険者』達は、本人たちもわからぬ内面からの高揚を沸き立たせながら、ならず者たちを取り押さえにいった。
『冒険者の汚名は同じ冒険者が雪ぐ』
この時を境にカイルが率先して行い徹底した方法により、冒険者ギルド内の空気は急速に浄化されていき、ギルドは以前よりかえって賑わいを見せた。
そして冒険者ギルドが確かな自浄作用を持つことを知って、村々も冒険者ギルドへの評価を塗り替えた。
「冒険者ギルドは魔物を追い払うだけでなく、厄介にたかってこようとする傭兵などを追い払ってくれる効果もある」
「ここはやはり、冒険者ギルドがこのまま辺境に在り続けてくれた方がいいのではないか」
そう思い立つ村々も出始めて、寄付金が集まり始めだした。
これで冒険者ギルドの経営も好転するか、と期待したサーニャだったが、集まった金額はぎりぎり赤字を帳消しにできるかどうかぐらいで、マダム・レーシィに借りた金を返すどころか、払えない利子で負債は増すばかりで焼石に水であった。
カイルに訊ねると、苦笑を浮かべて、
「もともと、この辺境の村々に満足な金銭的余裕などないさ。本来なら、普段から発行する依頼料だって彼らにとってカツカツなんだ。そんな彼らからの寄付金をもらっても、無い袖を無理やり振るってもらったようなものだよ」
「えぇ、でも以前……」
「そうだね。冒険者ギルドがこの辺境の土地でやっていくためには、やはりかの方の援助が必要不可欠だ」
「かの方って……」
「もちろん、マグヌス公だよ」
今度は、わざわざカイルは宣伝料を払う必要はなかった。
一度広めた冒険者の唄は、多少だがイリアス王国各地の都市で根付き、中にはその動向が気になる者もいた。情報を求める者がいれば、その情報を集める者もでてくる。そして特需の状況にある辺境と主要都市を行き来する商売人は決して少なくない。
カイルがわざわざ触れ回るまでもなく、冒険者ギルドがカイルの号令の元その自浄作用を発揮して、ただの傭兵とは違うところを見せたことは自然と喧伝された。冒険者の唄の続きを創作する詩人も出てきた。
こうして冒険者の唄が広まっていけば、当然いたる帰結もある。
宮廷、すなわち国王アズートの元まで冒険者の唄が伝わったのだ。
宮廷。
「陛下。万一のこともありまする。これは用心する必要があるかもしれませんよ」
そうさも忠言かのような態で声を潜めて言ったのは、でっぷり太り、おでこから頭頂まで禿げ上がった中年の男。
彼はロンダル伯といい、アズートの母、先王妃マリーネの実の弟にあたる。本人はどちらかという暗愚な評判だったが、イリアス王国有数の名家の人間で、姉マリーネの影響もあって宮廷でも大きな発言力を有し、普段からまるでアズートの補佐役のように振る舞っていた。
「冒険者などと名前を変えていますが、戦士には変わりますまい。今のマグヌス公に兵力を持たせるのは危険です。一度宮廷に呼んで、直々に問いかけるべきでしょう」
「ふむ……」
「そして冒険者ギルドなるものは即刻解散させるのです。もともと、陛下が下賜した兵力があるはず。それなのに市井の者の手を借りねば治安を守れぬようなら、国の名折れだと衆目の場で叱責せねば体面が保てますまい」
「ふむ……」
この2人のやりとりを見て、多少口の悪い者であれば、かようなやりとりをしたかもしれない。
(おやおや。姉君の権力を笠に着るお方と、母上のご機嫌をうかがわねば政治を行えないお方。これでは国の行く末も心配ですなぁ)
(ロンダル伯もさも自分が考えた忠言かのように言いますが、果たして。発案は姉君とどちらやら)
王座をひきついだアズート王であるが、対した失策もしていないのにいまいち風采の上がらない評判の一番の理由がここにある。母親であるマリーネ妃の影響を逃れられず、そのマリーネを後ろ盾にするロンダル伯の言葉を無下にできないのである。
(マグヌス公に対するあれも少々いびりがすぎる)
(母子間のあれこれがあるとはいえ、政治に私情を絡めるとは)
(マグスヌ公に翻意がないのはもはや明白。あれではむしろ反逆心を煽るようなものだ)
(むしろそのつもりかもしれぬぞ。反逆させて、あの血を根絶やしにするつもりやもしらん)
(おお怖い)
(それで済めばまだいい。いざマグヌス公がその気になった時、もしマグヌス公につこうという者があらわれれば、本格的な内乱になりかねん。その時果たしてこの国はどうなるやら)
(そう思うのなら、直々に直訴をしたらどうだ。マリーネ妃に睨まれることを覚悟でな)
(まったく。本当にどうなるやら)
イリアス王国内部は、私情に駆られる先王妃の影響から国王が逃れきれず、指導力が発揮できずにいて揺れている状況なのである。アズートやマリーネ達に自覚があるのかないのか、だからこそ、王座としてはマグヌスの方がふさわしいのでは、という声もあり、民の知らないところで国は揺れているのだった。
「そうだな……。沙汰はどうするにあれ、どのような事か、一度マグヌスを呼び出して問いただしてみるか」
アズートがつぶやいた。
──ここまでは、カイルの想定通り。
しかしカイルとて、予言者でもなければ、神算鬼謀の策略家でもない。
全てを見通すことはできないのだ。
事態はカイルの予想外の展開を見せ、カイルの計画は全てが狂うこととなる。