辺境立ち上げ編その2
マグヌス公の邸宅を出るなり、同伴していたサーニャはふう、と息を吐いた。
「カイル様……今日はちょっとどきりとしました。あの方、すごい貫禄があって……王族なのでしょう? その……なんであんな言い方を」
「無礼だったか?」
「はい……。少し」
「わざとだよ。ああやって無礼に振る舞って、わざと焚きつけてみたのだ」
「焚きつけて?」
「あの方は、少々優しすぎる。それ故、ああやって不遜に振る舞わないとこちらの本気が伝わらないと思ってな」
「本気……。あの、カイル様はこの辺境の地でなにを……」
「なにを?」
きょとんとした顔でふりむいて、カイルはサーニャを見下ろした。
「なにを、か」
そこで考え込むように腕組みすると、今度は視線を高台の下の村々へとむけた。炊事の煙の立ち上るそれらを一望し、しばし考え込むかのように足を止めた。
一方、マグヌスはカイル達が去った後、客間の片づけを侍従に命じ、執務室に入ると、木製の椅子に深々と体重を預けた。
「あの者め。余計なことを……」
あの者、とはもちろんカイルである。
確かにマグヌスは、自分の領土の問題、特に兵力不足をなんとかせねばならないと頭を悩ませていた。
しかしそれよりもなんとしても避けなければならないのは兄王との不和。
もっと言えば、王国の分裂である。
マグヌスとしては、数年をこの辺境の地で耐え忍び、そしてその後の段になって、
『陛下。辺境領土の開拓を命じられましたが、我が不徳のいたすところ。力及ばず、開拓は遅々として進まぬ次第です。いかなる責めも受けますので、別の者に役目をお任じください』
などと訴状をするつもりであった。
命じられた役目を果たせなかったとあれば、いかに王族とは言え、罰する理由は立とう。
もちろん、マグヌスの失敗はアズートの睨みのせいであることは国内では自明だが、それもマグヌス自身が糾弾せねば他に弾劾する者もいない。
いよいよマグヌスに反乱の目なしとしてアズートも心を許すかもしれないし、そのようなふぬけた態度をつらぬけば、他の諸侯もマグヌスの背中を押そうとはしなくなるだろう。
マグヌスとしては、この辺境領土で過ごす数年は、兄王への忠誠を示す禊のつもりだったのである。
だが。
(民には罪はない)
そのことが、つねにマグヌスとしてはしこりとしてまとわりついていた。
カイルのいう通りだ。醜い宮廷の骨肉の争いに、民を振り回してはならじと思っていた。
とはいえそれでも、国を割るよりはマシ。
だから今日はカイルと会うまで、彼の申し出を断るつもりでいた。
だがカイルは、マグヌスの内心などすべて見透かしていると言わんばかりの不遜な物言いで言った。
それだけなら、ただの大言壮語だと、マグヌスは気にもしなかっただろう。
だが。
(あやつ)
(わしと、兄上と、共存共栄になれると言ったか)
マグヌスと兄アズートが触れ合った機会は、式典などの公式の場を除くとごく少ない。
出会いらしい最初の出会いは、アズート8才、マグヌス6才の時。
「おい、お前!」
不貞の王子とはいえ、王族は王族。そのような物言いで声をかけられることは初めてで、マグヌスは思わず目を丸くしたのを覚えている。
やぶからぼうに声をかけてきたのが、幼い兄アズートである。とものものをつけず、顔に土埃をまとわりつかせて一人顔を輝かせていた。
「俺は、お前の兄、アズートだ」
「し、知っています。わた、僕は……」
「知っている。マグヌス。ついてこい」
「え? え?」
戸惑うマグヌスを気遣う風でもなく、アズートはマグヌスの手をひっぱって強引に連れて行った。
場所は宮廷の裏手で、人目につかず、行きかうのは使用人などばかり。
「ほら」
そこでアズートが差し出してきたのは木剣である。
「俺たちの父上は、かつて戦場に立ち、その剣で敵将の首を切り落としたという」
「は……」
「俺たちも父上を見習ってつよくあらねばならん。王国は俺たちで守らなければな!」
そういって剣を振るう。
どうやら二人で剣の稽古らしい。たまに通りかかった使用人が目を丸くしている。
マグヌスはこれまで、乳母や後宮の一室を与えられている母親など、まわりの人間からアズートには決して声をかけてはいけない、近づいてもいけないと言われていた。
(兄は、私が嫌いなのだ)
と勝手に思っていた。
しかし、初めて口を聞いた兄はそういう風ではなく、少し横暴なきらいはあったものの、お互いに剣を交えての模擬戦でマグヌスが鋭い打ち込みをした時も、
「やるなぁ」
と目を丸くしながら素直に称賛した。
「いいぞ、マグヌス。お前は国一番の将となれ。俺が王となり、お前が将となればイリアスは安泰だ!」
と、はしゃいだ姿は、なぜかマグヌスの憧憬を湧き立てさせた。
「はい、兄上!」
いつしかマグヌスも戸惑いを忘れて、目の前の男を兄として受け入れ、そしていずれ自らが仕えるべき君主と認識していた。
しかし、幼い兄弟の邂逅は短いものだった。
「なにをしているの、アズート!」
アズートの母、正妃マリーネが、顔をひきつらせドレスの裾をつまみつつ駆け寄ってきたのだ。
「ああ、母上! 今、マグヌスと……」
「汚らわしい! アズート、離れなさい!」
マリーネは、金切り声のような声でマグヌスとアズートを引き剥がすと、目を白黒するアズートを抱き寄せながら、つばを飛ばしつつマグヌスを罵った。
「この売女の息子め! アズートをそそのかして! ……あぁ、アズート。怪我はない? 駄目よ、王宮だからといって気を抜いては……」
などといってアズートを引き寄せつつ、マリーネは遅れて近寄ってきた侍従たちにマグヌスをアズートに近づけないよう厳しくしかりつけ、マグヌスとその母を罵倒しつつ立ち去った。
以来、それまで以上にマグヌスはアズートに近づける機会がなくなった。アズートが姿を見せると、そばの近衛兵がそっと誘導するのである。アズートもあの時のように闊達に声をかけてくることは二度となく、目線が合いそうになると、気まずげにそっと視線を反らすのである。
マグヌスも、しばらくは、兄との思い出を胸に温めた。
だがそれから三十年近く。幼い思い出だけを燃料にするには、時が経ちすぎた。
(すべてを諦め、ただ、母とともに安寧を過ごせればよかったと思ったが)
アズートの母、正妃マリーネは当然ながら後宮の実権を握る立場にある。
父である先王も多少は母の味方をしてくれるだろうが、マリーネ相手には強く出られない立場だ。
母を守るためにもマグヌスはアズートと、そしてマリーネ相手に忠実な家臣を演じざるを得なかった。
そう思っていた時に、かつて青十字盾と呼ばれた隻腕の男がやってきた。
(冒険者ギルド、か)
久方ぶりに会った男は、その貴人のような面相に、商売人としての笑みを浮かべるようになっていた。
それは、あるいは戦場に立つ戦士だった時よりも、凄惨たる凄みを、マグヌスは肌で感じた。
とはいえ。
(勝手にやると言ったのだ)
(ならばお主が言うその時が来た時、お前がただの期待外れであったなら、私も手心をくわえずにふさわしく処理するつもりだぞ)
カイルは冒険者ギルドの旗揚げに当たって、いくらかの人材を集めていた。
例えばサイアスという男。
この男はサーニャの父率いる穴熊傭兵団の会計役であり、戦士ではなく、依頼の受注や備品管理など、裏方の仕事を任されていた。このため穴熊傭兵団が壊滅した際にも前線にはおらず無事だった。長年傭兵団を裏から支えた経歴があるので、なにかと似通うところのある冒険者ギルドの事務作業に適した人材だった。
そしてそのサイアスの娘、シスターシャ。
年は22才。商家の手伝いをしていたのだが、父親づてにカイルの冒険者ギルドの話を聞いて、おもしろいと思ったらしくついてきたのである。
シスターシャは見た目もよく頭の回転もはやいので、冒険者ギルドの窓口業務の責任者を任せることとなった。
元傭兵フルカス。
彼は穴熊傭兵団の古株の傭兵で、サイアスが連れてきた。団が壊滅する戦場にも参加していたが、なんとか逃げ延びることができたらしい。
彼の口から、サーニャの父グレイブの死の真実を聞けることになった。
表むきサーニャの父グレイブ率いる穴熊傭兵団は命令無視をしたとして処罰されたが、これは全くの濡れ衣だったらしい。軍団を率いる将軍は十分すぎる兵力に慢心していたが、リザードマンの領土となる湖沼地帯が戦場となることを危惧したグレイブは、十分に斥候を放つよう事前の会議で将軍と意見を対立させていたらしい。しかし差別主義者でもあった将軍はグレイブの言葉を無視して強硬な進撃を続け、リザードマンのライダー部隊の奇襲にあった。
陣形がかき乱されて、あわや自分の身が危なくなった将軍は、わが身可愛さに撤退を指示したのである。
もっとも連携が問われるのが撤退戦であり、ちりじりに逃げようものなら大軍も砂糖菓子のように溶け消えるように飲まれていくのが撤退戦の怖さである。指揮をすべき将軍がいの一番に逃げたため、全軍が総崩れとなった。特に傭兵や下層市民でしめられた歩兵隊は前線にまるごと取り残されることとなった。
このままでは全軍壊滅も危ぶまれる状況でグレイブは、周囲のいくつかの傭兵団に声をかけ殿を引き受け、友軍の撤退の時間を稼いだのだという。
このフルカスには指導役を任せることとなった。冒険者ギルドの知名度はまだ無いに等しく、冒険者となるべくくる人材は呼んでも少ない。
カイルは近隣の腕自慢の若者を戦士に仕立て上げることを考え、そのためにフルカスに指導官を頼んだのだった。
もちろん彼らを即座に戦力としてアテにするつもりはない。
サイアスとフルカスのツテで傭兵たちや魔物専門のハンターをかき集めて、難易度の高い依頼は彼らにふるつもりだった。もっとも腕利きと呼べるほどの人材はほとんどいなかったし、この時点では、彼らが冒険者ギルドの理念を理解しているのかは甚だ疑問ではあったが。
カイルの初仕事は、辺境領土に点在する集落の村長などのもとを訪れて、冒険者ギルドの存在を伝え、依頼を発注するよう頼むことである。
冒険者というものの存在に困惑した風であったが、村長たちにとって魔物の被害が身近なものだったのは事実。何人かの村長が、冒険者ギルドに対して好意的な反応を返した。
当たり前と言えば当たり前の話だったが、冒険者ギルドなる新しい概念に皆戸惑い、どのように扱っていいか訝しんでいる様子で、サーニャは不安を覚える。
だがカイルはいつも通りの様子で、
「問題ない。全て想定通りだ。この辺境の地では武力というものに需要がある。あとは俺たちがそれを正しく管理して届ければ、俺たちは互いの溝を埋められる」
と大きく構えていた。
この辺境の村長たちは政治には疎いようで、マグヌス公とアズート王の不和はとどいていないようだった。
マグヌス公の評判も、彼らの中では特に悪くなかった。マグヌス公は少ない兵士を村々の警護に当てていてとにかく被害を抑えるように尽力していたためだ。使える範囲の兵士で、現状維持をマグヌス公は心がけていた。
そして準備を終えて冒険者ギルドの開業当日。
さっそく訪れたのは、付近の集落で育った血気盛んな若者たちだった。
素朴で腕自慢の彼らは、自分たちが村を守るんだと意気揚々としており、冒険者というものが世間一般の傭兵とは違うというカイルの弁をそのまま信じた。
カイルは彼らの意思を好意的に受け止め、フルカスに指南を任せた。
遅れて集落の顔役たちがやってきて、依頼を持ち込んできた。
受理したそれらの依頼を精査し、掲示板に張り出していき、カイルが誘って連れてきた傭兵たちがそれを引き受けて出発していく。
こうして始まった冒険者ギルド。
ある日、事務処理を手伝っていたサーニャが、あることに気付いた。
「受け取った依頼料のほとんどを冒険者さんへの報酬に出していますけど、これじゃギルドの収入はほとんどないんじゃないんですか?
多少の手数料は引いているがいかにも少額。
依頼料のほとんどをそのまま冒険者たちに報酬として渡していた。しかし冒険者ギルドの運営にはサイアスたち従業員に支払う給料をはじめ、多額の経費が発生していた。
これではマダム・レーシィに借りた金を返すどころではない。
カイルはこれも想定済みだと涼しい顔で、
「ああ、そうだ。依頼の手数料で儲けるつもりはない」
と落ちついた様子で返した。
「冒険者ギルドの主な財源は寄付金で賄おうと思っている」
「寄付金、ですか? でも……マグヌスさまも、他の村長さんたちも、まだそこまでギルドについて理解は……」
「ああ。そうだな。今は先行投資。赤字覚悟で信頼を勝ち取るしかない」
カイルの言葉なら信じようと思うサーニャだったが、ギルド経営に携わって日常的にやりとりされる金額は、普段の生活で使う物とは文字通り桁が違う。
日ごとに積み重なる数字に、不安になるなという方が無理だった。
「今の間だけでも、手数料を引き上げては?」
「それはできない。ただでさえこの辺境集落では、満足な報酬を支払うのが大変なんだ。それから手数料を差し引いてしまえば、割に合わないと言って腕のいい冒険者たちが立ち去ってしまう。大丈夫。やがてみんなも、この冒険者ギルドがこの地になくてはならないものだと理解してくれるさ」
サーニャとしては、カイルを信じるというよりは、祈るような心持ちでいるしかなかった。
さて、カイルはというと、ただ座しているばかりではなかった。
その一つが、土地の護衛武官との蜜月のやりとりである。
そのローグという名の武官は、この周辺出身から取り立てられた武官で、マグヌス公の配下だった。
表向きマグヌス公の手を借りず勝手にやると言ったカイルであったが、このローグとはやりとりしていた。
といっても賄賂の授受などではなく、治安維持の上での情報の共有である。
冒険者ギルドは付近の集落から依頼を募り、厄介な亜人や魔物を討伐しているが、腕利き揃いとはいいがたく報酬の兼ね合いもあって、大きな亜人の集落や強力な魔物の巣となると手が出ない。
それら冒険者ギルドに手に余る魔物たちの情報をローグに伝え、ローグは「地元住民からの情報供与」といった体で軍全体に共有し、それをもとに掃討作戦を立案するのである。
軍としても、実際の現地で戦う冒険者たちが持ち帰る言わば生きた情報は価値があった。また冒険者たちが端数の魔物たちを間引きしてくれるので、これらの厄介な魔物の巣に集中する余裕が生まれ出しているとも言えた。
冒険者たちが魔物たちを間引きし、大規模な掃討が必要な場合は軍が対処するという役割分担が、2人の連携のもと確立しつつあったのだ。
この2人の蜜月関係は、さほど時間を置かずに公然の秘密の状態となっていったが、そのころには冒険者ギルドが市井から勇者を輩出するという公言はとにかくとして、辺境領土に一定の利益ある存在として認められ始めていた。
まだまだ信頼を勝ち取るほどではなく、寄付金も満足に集まらない状況だったが、冒険者ギルドの滑り出しはまずまず好調だったと言える。
確固たる財源が未だない状況だったが、時期を見てカイルはさらに大きな出費をする。
吟遊詩人たちに、冒険者たちを題材にした歌をつくってもらい、それを王都をはじめとしたイリアス各地の主要な都市で広めてもらうよう金を払って頼んだでのある。
費用を惜しまなかったことと、あの青十字盾が、なにやら市井から勇者を輩出するなる大仰な建前をでっち上げたとして、冒険者ギルドの存在は当の辺境以上に、イリアス王国の主要な都市で広まることとなった。
そしてこれが、辺境領土に災禍を呼び込むこととなるのである。