辺境立ち上げ編その1
「ほらよ」
マダム・レーシィは、そう言って証書をカイルに渡した。
「あんたには私だけでなく、あんたの考えを面白いと思った人間の共同出資という形で出資することになった。ま、そちらのお嬢ちゃんにもわかるように説明すると、万一あんたらがこけても、それぞれで出資を分散した分、あたしらの被害も少ないってことさね」
「さすがに顔が広い。これほどの商人たちが顔をつらねるとは」
「それはあんたの手柄でもある。片腕となった謎の貴公子、青十字盾。その再起の動向に、注目する人間は多いのさ。……それで、カイル」
「なんでしょう」
「イリアス王国へは、いつ立つんだい」
「時は金なりと申します。準備を終えれば、すぐにでも」
「イリアス王国はここから遠いが、私が知らない貴族ばかりでもない。私に遠慮しているのではなく、私からの文は必要ないということでいいね」
「はい。大それず動いた方が、状況は御しやすいでしょう」
「わかった。健闘を祈るよ」
カイルとサーニャは荷造りすると、知り合いたちに挨拶してすぐに東方へ飛んだ。
カイルとサーニャが暮らしていた街より距離を隔てた東方、イリアス王国。
国の規模としてはまずまずである。つい最近、王が代がわりした国で、現王はまだ36と若い。愚鈍というわけではないが、英才というわけでもなく、自らも戦場に立った先王に比べれば若さもありやや精彩に欠ける評判である。
カイルが会いにいったのは、そのイリアス王ではない。
彼の王弟、マグスヌ公だ。
マグヌス公は34才。現イリアス王アズートの腹違いの弟に当たる。妾どころか、先王が城に勤める使用人に産ませた子で、王位継承権は低かった。
ところがこのマグスヌ公、武術や学問などに、兄アズートの存在がかすむほどの才覚を見せたのである。
あるいはマグヌスを世継ぎに、という言葉が宮廷の端から出だしたころ、慌てたのはアズートの母である先王妃だ。彼女の影響力は強く、先王は自分の不貞もあり、言いなりになるしかなかった。
こうして先王妃の思惑通り、王位はアズートへと引継がれ、マグヌス公はというと、ほとんど未開の地である辺境領土へと飛ばされた。
そのマグヌス公を悩ませているのが魔物の問題である。
マグヌス公の領地はほとんど未開の地で、自然そのままの野山に集落が点在しているのみ。
まずは治水を行い街道や街壁の整備から、という段であったが、マグヌス公の反乱を警戒するアズート王は、マグヌス公が兵力を持つことを好まず、そのためマグヌス公は最低限の兵士しか持たず、領民の保護すら満足に行えない状況だった。
そもそもマグヌス公に与えられた領地は辺境の地で発展を望まれていないどころか、下手に発展してマグヌス公が手柄を上げようものなら、なおさら気運がマグヌス公に傾き己の立場が危うくなるとアズート王から敬遠されていたのだ。
こうしてマグヌス公は、兄王の睨みのせいで己が領民を守ることすら満足に動けない状況にあるのだった。
カイルは元々、魔物の被害の多い東部地方で傭兵家業をしており、マグヌス公にも多少面識があり、マグヌス公の置かれている状況も伝い聞いていた。
そして冒険者ギルドの旗揚げには、これ以上ない場所だと思っていたのだった。
カイルが訪れたマグヌス公の屋敷は、木の柵に保護されただけの街とも言えない村の高台にある、広さだけが取り柄の質素なものだった。
マグヌス公はカイルの来訪を複雑な面持ちで出迎えた。
「久しいな。青十字盾」
「おひさしぶりです、マグスヌ公。ご壮健うるわしゅう」
「ふ、皮肉かな?」
「いえ」
カイルは首をふり、視線を鳥の音が鳴り響く外へとやった。
「のどかな村です。都会の喧騒と比べて不便なこともありましょうが、時間の流れがゆったりと過ごせているようで、ぶしつけながら、宮廷でお見受けした時よりもお気持ちを楽になされている様子」
「ふむ。たしかにそういえば、こちらでの方が気が休まるやもしれんな」
カイルの言葉に、マグヌスは苦笑を浮かべた。
兄王には多大な警戒を置かれているものの、マグヌス公自身には、兄王の座を奪おうというほどの野心はなく、平穏に暮らしたい思いがあるばかりだ。
だがカイルの来訪こそが、目下の彼の心配の種であった。
「そちが話した新しい傭兵ギルドだったか」
「閣下。冒険者ギルドです」
「そんな名だったか。申し出はありがたいが……」
「道中、ゴブリンに襲われました」
マグヌスの機先を制するように、カイルが言った。
「街道も獣道同然。整備もままならない様子。公のおひざ元であるこの村はまだ大丈夫でしょうが、他の集落となれば、自警団を絶えず巡回させて、それでもなお危険が差し迫ることも多いでしょう」
「ああ、ああ、そうとも。カイル。わしはお主が言う冒険者ギルドというもの、得体が知れずとも手が出るほど欲しい。だがな、そうはいかぬ事情、察して欲しい」
「やはり、アズート様の目が気になるのですか」
カイルが自分と兄王の確執を知っていることをマグヌスは驚かなかった。
わざわざ辺境の自分の元を訪ねてくる時点で、何らかの下調べはしているだろうとは思っていた。
「陛下は私の二心を警戒している。ここのようなのんびりとした村と宮廷は違うのだ。大勢の臣下に囲まれながら、陛下は玉座の上で苦慮されておるのだ」
「ですが、城郭と大勢の兵士に囲まれた宮廷と違って、この土地にある脅威は身近です。両親に囲まれた幼子が、次の日には父無し子になっているのがおかしくないぐらいに」
「…………」
マグヌスは沈黙するよりなかった。正統な理由なく、王国の庇護を受けられない領民が不憫でならなかった。それも自分の不徳によるものとあればなおさらだ。
カイルは静謐な眼差しで視線を揺るがさずに訴えた。
「閣下。心痛はわかるつもりです。宮廷のいらぬ闘争に、無辜の民が被害を受けることは、閣下同様、私としても本意ではない。ですので」
「…………」
「私はここで冒険者ギルドとしての事業を展開します。これはあくまで商売人としての私個人の事業。私は別に閣下の私兵になりにきたのではありません。ですから、今日もただ久方ぶりの挨拶にきただけです。閣下は私の事業に、うんともいいえとも言わなかった。あとは」
「あとは?」
カイルの真意が読めず、誘い込まれるようにマグヌスは反芻した。
「時が来た時に、私たちの活動を見てご決断ください。私たちの存在が、ご領地にとって毒とわかれば切って捨て。ですがもし、私たちの活動が、この宮廷の暗闘劇に巻き込まれた辺境に、光明をもたらすものであれば、状況を見て、よりよく取り計らってください。アズート様に警戒された、その智謀と決断力を持って」
「なかなか、難しいことを言う」
マグヌスは、渋面で言った。
「カイル、わしはお主と知らぬ仲ではない。それでも、必要とあれば切って捨てる。それが為政者というものだ」
「であるからこそ、私ども冒険者ギルドは閣下とよきビジネスパートナーとして栄えることができると存じております」
カイルはその貴人な面差しに、かつては見せなかった商売人のごとき切れ味のある凄みを帯びた笑みでマグヌスを見返しつつ、礼をした。
「繰り返しますが、私ども冒険者ギルドは閣下の私兵ではありません。なればこそ、閣下と、そしてアズート様と、共存共栄できると思っています」
「兄上と? ………ふむ」
マグヌスは、難しい顔をしてうなずいた。その顔色はまだ冴えなかったが、口元には、ほのかに面白がるような期待をのぞかせた笑みが刻まれていた。
「わしはお主の事業をいいとも悪いとも言わなかった。となれば、すべてお主が勝手にしたこと。そういう話でいいのだな」
「ええ。もとよりそのつもりです」
「やってみせよ。青十字盾。そなたの盾の加護が、我が民に降りそそがんことを」
「御意」
二人の貴人は、お互いに挑みかかるかのような白い歯をむき出しにした笑みを湛えつつ、見つめ合った。