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辺境陰謀編その5

 『戦場の鷹』が襲来してから、十日以上の月日が経とうとしていた。

 『戦場の鷹』の豪遊は続き、辺境の地から立ち去ろうという気配はない。

 カイルたち冒険者ギルドも、沈黙を続けることは厳しくなり、ほそぼそと営業を再開することとなったが、相変わらず『戦場の鷹』たちは冒険者ギルドの近辺にたむろし、他の冒険者たちの仕事を奪い、そして時には引き受けたはずの依頼を放棄したりということもあった。

 ギルド側から依頼主たちへの謝罪や賠償といった雑事に追われ、ギルド職員からも不安と不満が募っていた。

 マグヌス公への返事を保留している状況だが、マグヌス公から再度、会いにくるようにという通達はない。

 マグヌス公は今回のことを静観するつもりか、あるいは冒険者ギルドが『戦場の鷹』を独力で対処できるか、手腕を見ようというところだろう。

 カイルもサーニャも方々に出向き、頭を下げ、説得し、宥めるなどの対応に追われた。

 これ自体は二人とも辛抱強い性格で堪えることはなかったが、しかし他の職員や冒険者たちの疲弊は増していた。



「当面、重要そうな依頼は、信頼できる冒険者さんに名指しで依頼することで誤魔化していますが……。このままでは、新規の冒険者さんに仕事をふれないですし、業務規模は小さくなる一方です……」


 サーニャの報告を、カイルは沈黙のまま受け取った。

 何か考えているのだろうと思い、サーニャはペコリとお辞儀をすると、自分の席に戻った。

 じっと黙り込んだカイルが何を考えているか、サーニャでもうかがい知ることはできない。


(やはり、時を稼いでも病魔が蝕むだけ……)


 沈黙するカイルの内には諦観が芽生えていた。

 あれこれと、泡沫のように些末な案が浮かぶものの、どれも分の悪い賭けとも言い難い、やけっぱちな手段だ。


(いよいよ、腹をくくらねばらないか)


 実のところ、動くべきはもっと早くと思いながらも、あまりに徒手に近い状況で躊躇っていたのだが、何かこれという動きをしなければ、状況を動かす"風"すら呼び込めなくなりそうだった。

 そのように、カイルが心の内を固めている時だった。


「カイル様。来客です」


 従業員が、告げてきた。

 来客は、護衛武官ローグ。


(無策のまま、顔を合わせたくない人物だったが)


 断るわけにもいくまい。

 通すようにと、カイルは通達した。


 本来、カイルとローグが顔を合わせるのは、人目を忍ぶような楼閣などが多かったが、隠す必要がないと判断してか、ローグは直々にギルドに出向いた。

 室内に入室してきたローグは、強面の顔をこれでもかというほどぶすっとした不機嫌にしかめている。

 彼としても今の冒険者ギルドの体たらくがふがいなくて仕方ないのだろう。

 なまじ彼が護衛武官という立場で、その気になれば衛視たちに命令して『戦場の鷹』を放逐することすら可能な権限の持ち主なのがそれに拍車をかける。

 そして彼は、事実上のカイルとの共犯でもある。

 冒険者ギルドの台頭は、ただの護衛武官で終わるまいという、彼の成り上がりのためにも必要な代物だった。

 そのために、ローグはマグヌスの指示を無視して、ある種危険な、冒険者ギルドとの連携を行ってきたのだ。

 ローグは、ずかずかとした足取りでサーシャを押しのけカイルの座る執務机に一直線にむかうと、その大きな両の手のひらでバシン!と、机を叩いた。


「なぜ俺を頼らねぇ」

「……手助けは無用と伝えたはずです」

「何をためらう必要がある。あの無法者どもを放り出すのに何の遠慮があるっていうんだ」

「あれはおそらく、アズート王派の人間です。マグヌス様に迷惑がかかります」

「マグスヌ様に迷惑がかかって、お前たちに何の問題がある? 冒険者がやっていることだって、あの方の尻拭いのようなものだ」


 今はサーシャとカイルしかいないとはいえ、他人に聞かれれば立場の危うくなりそうな挑発的な物言いをローグはした。


「カイル……お前と冒険者ギルドは、何を考えている? マグヌス様に忠義だてしているわけではないのだろう?」

「………」


 カイルは口をつぐみ、一瞬、共犯者である彼には自分の考えを共有してもいいかと思った。

 だがその案は泡のように水面に浮かんだ瞬間にはじけた。


 市井から勇者を輩出する勇者召喚の儀──


 冒険者ギルドがそのような存在になるなど、彼に話をしても、鼻で笑われ、失望を買うだけだろう。

 ローグはあくまで実利でカイルを支援している。そして彼の考えはもっと即物的だ。

 カイルが描く深淵な視点は持っておらず、そしてそれはカイル自身をしても、空想めいた計画だ。

 仮に立場が逆で、カイルが誰かに赤裸々にその計画を持ち掛けられたとして、カイルは感銘を受け協賛しようと果たしてしたかどうか。

 心の内で苦笑を浮かべて、応援の言葉を吐くにとどめたのではないか。

 ありえない空想劇だ──

 そう思ったカイルの自嘲が、自然と口の端を歪めて、笑みのようなものを刻んだ。


「なんだ、何がおかしい。カイル」

「いえ……失礼。ローグ様が考えているように、私は大それたことは考えていませんよ。……ただこの辺境の地を足場として、冒険者ギルドの地盤を固めて事業を拡大したいまで」


 カイルは決して嘘ではないが、決定的に本質を隠す言葉を吐いて、誤魔化した。


「そしてそのためには、冒険者ギルドはあくまで独立した組織でなければありません。冒険者ギルドが、国家や組織に大きな借りをつくるようではいけないのです。少なくとも、今は」

「ならこの危機をどう乗り越える? たかが無法者の傭兵団。だが奴らは、暴力の売り方を知っている。俺たちの庇護をなしに、どう乗り越える」

「………」

「考えて置け、カイル。俺はいつでもお前を支援する用意をしておく」


 ローグはそう言い捨てるように言ってから踵を返し、そこで何かに気付いたように、顔を半身ふりかえらせて言った。


「俺はお前の冒険者ギルドに、このクビをかけたつもりだ」

「………」


 ローグにも、背負う覚悟があるのだろう。

 カイルはそれを感じ、(まなじり)を鋭くして、うなずいて応じて見せた。

 ローグが立ち去った後、サーニャは息を吐いて、不安そうにカイルの顔を見た。

 そこでカイルは、端正な顔を崩さないまま、慇懃な口調で言った。


「盗み聞きは関心しませんよ。リーノさん」

「え?」


 サーニャが戸惑う横で、入口の扉が再度開かれた。

 今度は年は近いながらも、大柄なローグと対照的に痩身の男。

 元傭兵のリーノだった。


「いやぁすいません、マスター。依頼の報告にきたら、たまたま面白そうな話をしていたもので」


 リーノは悪びれた様子で首筋をかきながら、自身の隠密術には自信があったから、カイルに気付かれたことに内心舌を巻いていた。


「でも実際、どうするんですか。このままの状況が続くんじゃ、俺たちだって冒険者を続けることが難しいですぜ」

「君たちには申し訳ないと思っている」

「申し訳ない、と思っているのなら、さっきの御代……軍の偉い人でしょう。その手を借りない理由をお聞かせ願いたいですね」

「君たちの気にすることでは──」

「おいおい、こちとら今後の生活が掛かっているんですぜ。軍の取り締まりがありゃ、『戦場の鷹』たちだって辺境で大きな顔はできんでしょうよ。俺が考えつく中で最良の解決方法ですぜ。なんでそれに乗らないんです?」

「それは……」


 カイルが言いよどんでいる。

 明かすことはできないが、実際苦しい思いをしているのが、彼ら冒険者であることが、突き放す言葉を吐くことを躊躇させた。


「『青十字盾』」


 リーノは、もってまわった言いぶりで、カイルの称号を口にした。


「俺が傭兵時代に幾度も耳にした名前です。その武芸はもちろん、その知機でも知られた名です。ドーントールの戦いでオーガの氏族との戦争が敗色濃厚になった時、潜伏させた少数の騎兵で立て直した話は有名だ。各国のお偉いさんは、『青十字盾』を将校として召し抱えて兵士を任せればどのように用いて活躍するか、胸を躍らせたと聞きます」

「……生憎だが、俺はもう戦士ではない。この冒険者ギルドが、俺の唯一の財産で守るべき戦場だ」

「──その冒険者ギルドを守るために、別の兵力のアテがあるとしたらどうします?」

「? どういう意味だ?」


 一瞬、リーノの言葉の意味が咀嚼できず、カイルは聞き返した。


「軍の兵力は借りられない。では他の戦力であれば? 冒険者と変わらない……市井の力。『戦場の鷹』と同じ、傭兵です」

「…………」


 リーノの言わんとすることを察知して、カイルは眦を鋭くした。


「リーノさん、あなたは」

「傭兵団『銀の小手』。名前ぐらいはご存じじゃないですか」

「……ああ、もちろんだとも。リーノさん、あなたは」

「お察しの通り、俺はそこから派遣されてきた密偵です。まあ、当初の予定とは狂いましたがね」


 リーノとしては、これまで有耶無耶にしてきた自分の出自を明かした瞬間だった。


「俺ら『銀の小手』は数こそ『戦場の鷹』に負けますが、質の点で話になりやしません。俺らがこのケンカ、冒険者ギルドに味方すれば、逃げ足だけは速い奴ら……即座にこの辺境から追い払ってやりましょうや」

「───」

「どうですか。俺らを雇いませんか」


 リーノの申し出は、さしものカイルでも全くの予想外の言葉であった。

 けふん、と息を吐いて、呼吸を整える。


「──失礼。突然のことで驚いたので。しかし残念ながら、私たち冒険者ギルドには潤沢な資金があるわけではありません。『銀の小手』の噂は私も聞いています。『戦場の鷹』よりもはるかに格が上と聞き及んでいます。しかし……私どもには、あなたがたに見合う報酬を支払えません」

「それについては問題ない。台所事情が苦しいのは、どこも一緒なようでしてね」


 リーノは斜に構えて、自嘲的に口元を歪めた。


「うちの団長が、人の良さばかりで経営のうまくない人間でして。ところかまわず新人を入れるもので、常に火の車状態でしてね。そこで俺は一計を案じたんですが……『銀の小手』の分隊をまるまる、冒険者ギルドに預けてみてはどうかとね」

「……どういうことです? 私たちにはあなた達を雇う資金は……」

「冒険者、といっても、傭兵とそう大きな違いはありやせん」


 リーノはそう答えてから、肩をすくめた。


「もちろん、マスターはゆくゆくは、その認識を改めさせようと考えていることは知っています。でも俺らに細かい話はいいんです。武で身を立てる。これにあこがれる者は多い。そして、マスターが自主性を重んじて自由にさせてくれるのもいい。言ってしまえば、俺たちは傭兵をやめて冒険者になっていいと言っているんです」

「それは……。私たちは、来るものを拒みませんが」

「そう言ってくれると有難い。じゃあさっそく本隊に連絡して──」

「あの……それで、『戦場の鷹』を追い払った後は?」


 カイルとリーノ、話し込む二人の横手から心配気な声を上げたのは、サーシャだった。

 傭兵というものへの危機感、そして、世の中甘い話ばかりでない先入観から、つい口を出た戸惑いだ。


「リーノさん達『銀の小手』が『戦場の鷹』を追い出した後……。『戦場の鷹』と同じように居座ることにならないと言えるのですか?」


 サーニャの言葉に、リーノは口の端を歪めた。

 そして億劫気に、頭をかいた。


「いくらかはマシ……となるでしょうさ。別に冒険者ギルドを潰そうなんざ考えていないから、嫌がらせまがいのことはなくなるでしょうし、第二の『戦場の鷹』への抑止力となる」

「ただ」


 静かに口を挟んだのは、カイルだった。

 その表情には諦観があった。


「この辺境の地はまだまだ魔物はびこる土地ですが、その討伐報酬を満足に払える財源のない状況です。どれほどの人員を送るか知りませんが……場合によっては、仕事の奪い合いになるかと」

「さすがに、察しがいい」


 リーノが笑んで言った。


「俺たち『銀の小手』がくるということは、そういうことです。これも一つの仕事(ヤマ)だ。『戦場の鷹』如きに遅れをとるわけにいかない。団総出で、『戦場の鷹』を追い出しにかかりましょうや。しかし、その分、俺たちは見返りがなくちゃいけねぇ。じゃなきゃ、団長はともかく副団長たち幹部連中を説得できやしませんから。……結果、この辺境の土地に少なくない人数を送り込む。斡旋、出向、どんな言葉をとりつくろうかは知りませんが……事実上、団を身軽にするための足切りです。そしてそいつらは生きるために仕事を求めるでしょう。そうしたら、そこらのぽっと出の若者ができそうな仕事は、残りはしませんでしょうなぁ……」

「それは第二の『戦場の鷹』と違うのですか……?」


 リーノの考えをまだ咀嚼(そしゃく)しきれない様子で、サーニャは円らな瞳を戸惑いに揺らしていた。

 カイルはというと、


(『戦場の鷹』よりはいくらもマシだろうが、事実上、ギルドを乗っ取られると大差ない……)

(いや。『戦場の鷹』とは違い、裏の思惑が絡まず、不自然な資金援助を受けられないのなら、自浄作用で持ち直せるはず……)


 と脳裏で計算しながら、リーノの考えを読み取ろうとした。


「どうですか、マスター」

「……どうですか、とは」

「俺たち『銀の小手』を迎え入れてくれやすかい?」

「……。冒険者ギルドは、来る者拒まずです。ですが……」

「はっきりと言いましょうか。何かと口を利いてほしい。冒険者ギルドは、なんだかんだこの辺境の地の人間の心をつかんでいる。俺たちがこの辺境の地へ送った人材を邪険にするんじゃなく、地元の人間と摩擦なく融和できるように口を利いてほしい。そうすれば、俺たち『銀の小手』が、あんたの言う『市井より輩出される勇者』となりやしょう」


 リーノは流暢に言ってから、人好きのする笑みを浮かべた。


「どうですか。悪い話じゃないと、(あっし)なりに考えたんですが」

「……リーノさん」


 カイルはリーノの名前を呼び、一瞬瞑目すると、営業用の紳士的なスマイルを浮かべて、首を振った。


「申し訳ありませんが、ギルドが特定の出自の冒険者のみ便宜を図ることは理念と反します。生憎ですが、あなたの求めるような口利きは、できないでしょう」


 リーノは、少し呆れた様子で唇の端をひんまげた。


「……この話も蹴るんですかい? あんた、冒険者ギルドで何を成したいんですかい」

「いえ……。あなたの話はとても魅力的でした。しかし、同時に気付いたんです」

「気づいた? 何を?」

「組織は、自分以外の他者の思惑と無関係にはいられない。何者かにあてにされ、そして何者かをあてにしなければ、組織は立ちいかない」

「……そうですかい。ローグ殿を頼りやすか。まあ、そちらの方が無難な道でしょうな」

「いいえ。……そうして他者の思惑で揺り動かされる中で、組織が自らの羅針を見失わず舵取りをするためには、組織はしっかりとした強さを持たなければいけない。組織が自らその強さを誇示することで、"風"を巻き起こすことができれば、他者の思惑も巻き込んで流れを引き寄せることができる」

「……つまり。マスター……。もしかしてあんた」

「俺は少し、臆病になりすぎていたようだ。すでに得たものを失いたくないから。だが、俺が初めから思い描いていた展望は、絵物語のような儚いもののはずだった。だから俺は、恐れず突き進もう。自らの理想(ユメ)のために。それが分の悪い賭けだとしても」


 カイルは、まるで己に言い聞かせるように告げた。その表情にはいつしか営業用の微笑が消え、むっつり(、、、、)とも見える、いつもの素顔を覗かせていた。

 その素顔のまま、カイルはリーノに相対した。それは彼が意図して見せた素顔だったのか、それとも自らに渦巻いた一念の余りに心を囚われとりつくろうのを忘れたのか。

 ともかく、素顔をさらけ出したまま言った。


「リーノ殿。本隊に声をかけるのは、しばし待った方がいい」

「……なぜですかい?」

「俺は打って出る。場合によっては、そう……。全て無駄になる」

「……カイル様。全て無駄になるとは」


 サーニャが声をかけると、ふと、カイルは彼女から目線を反らすように顔を傾けながら、


「場合によっては、冒険者ギルドそのものが、なくなるからだ」





「なんでですか、カイル様。何を考えているのですか」


 サーニャがようようカイルに問いかけられたのは、何とも言えない表情でリーノが退出した後だった。


「……聞かせてください。何か、無茶を……」

「……ああ、悪い。このギルドは、私一人のものではないというのに。だが……」


 カイルは言いよどむと、息を胸いっぱい吸い込み、背筋を張ると、正面からサーニャと向き直った。


「カイル様……?」

「サーニャ。私を信じて欲しい」


 そう言って、サーニャの肩をその両腕につかんだ。


「言いたいこと、聞きたいこと。山とあるだろう。だが、今はどうか」

「そ……そんなこと、ずるいです。カイル様が無茶を……危険なことをしようとしているのがわかっているのに、私は……」


 サーニャの言葉はおびただしく震えていた。それはカイルの意気、もしくは勘で察して、彼自身がとてつもなく危険なことを企んでいることを、察知したからかもしれない。

 別にサーニャは、冒険者ギルドがどうなろうといい。それで冒険者ギルドが潰れて職員や地元の若者たちが路頭に迷おうが、胸は痛むものの諦められる。カイルが創り上げたものだ。その結末を彼に委ねるのはかまわない。

 しかしこの時サーニャは、カイルの様子から、それだけではすまない危険なことに、彼が挑もうとしているように感じられた。


「せめて……せめて話してください。私には……」

「サーニャ……」


 切実に訴えるサーニャに、カイルは口を開こうと震わせる。

 ……が。

 こらえきれずに飲み込むように口をつぐむと、背中を見せた。


「……悪い。話せば、きっとお前は止めるから。だから……今は俺を信じて欲しい」

「……」


 サーニャの円らな瞳にみるみる雫が溜まり、溢れるように零れ落ちた。

 サーニャは嗚咽も上げず、まばたきもしなかった。ただカイルの背中を焼き付けるように、その目で見据えた。


「わ、わかりました……。私はッ、カイル様の従者なので、その通りにします……!」


 ようよう、それだけを言い捨てると、身を翻す。

 一度身支度をして気持ちを落ち着けなければ、カイルとむきなおれなかった。

 執務室の扉を蹴破るように押し開き、廊下を駆ける。

 曲がり角を曲がったところで、前方の人影とぶつかった。


「きゃっ。あぶなっ……サブマスター」


 ぶつかったのは、窓口業務を任せているシスターシャだった。

 サーニャは彼女に泣いている姿を悟られぬように、顔を背け嗚咽をこらえていたが、小刻みに震える肩で、シスターシャも何事か察した様子だった。


「……何があったの。サーニャちゃん」


 仕事上ではサブマスターと職員という立場であるが、プライベートでは気安く接する姉代わりや同性の友人と言ってもいいシスターシャだった。

 サーニャもこの時ばかりは、職務時間中だというのに、シスターシャの胸に飛び込んでわぁわぁと泣いて矢継ぎ早に言葉を吐いた。


「私……私……本当はギルドのことなんてどうでもいいです。ただカイル様のしていることをそばで見守りたくて……」

「そばで見られて、ただあの人のすることを支えることができればいい。そう思っていました」

「だけど違う……。私は本当は欲張りで。あの人が、私をだれかと違う存在だと見ることを期待して。だから私には、全てを話して欲しくて」

「でも違う。あの人は、肝心なことは全て、私になんかは話してくださらない……!」


 胸にこみあげるままに矢継ぎ早に繰り出した言葉はきれぎれで、余人には理解できるか怪しい嗚咽(おえつ)にまみれていたが、それでも何かを察せられたのか、シスターシャは何か言葉をかけるではなく、ただサーニャに語るに任せて、母が幼子にするように髪を()き、安心させるように背中を撫でた。

 シスターシャはサーニャがひとしきり言いたいことを口にし涙を流し尽くすまで辛抱強く待ってから、サーニャが落ち着いたころを見計らって、声をかけた。


「それで、サーニャちゃんはどうするの?」


 シスターシャの言葉に、サーニャはまだ涙の痕の残る顔を上げ、そのくしゃくしゃの表情で言った。


「カイル様を、信じます」


 その表情は汚れていても、強い決意に満ち溢れていた。

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