3.王太子アルフォンス(2)
※本日更新、2/3回目です。
「さすがに疲れた……」
その夜、11時を回った頃。
談話室代わりに使っている、「桜の館」の東翼1階奥の空き部屋で、アルフォンスとノアルスイユはげんなりした顔を見合わせた。
昼食も夕食も食べそびれたので、厨房に我儘を言って、ベーコンと目玉焼きを挟んだパンと果物を持ってきてもらったのだが、食欲がない。
平気でぱくついているのはサン・フォンばかりだ。
「殿下、食わないと持ちませんよ。
明日、レディ・カタリナの審問会が大詰めになるでしょうから」
ノアルスイユも食えと、サン・フォンが勧める。
そうだなとアルフォンスとノアルスイユは即席サンドイッチを口元に運んだ。
「しっかし、令嬢同士があんなにドロドロしているものとは……
女性恐怖症になりそうですよ」
下位貴族の令嬢達の聞き取りを主に担当したノアルスイユがぼやき、アルフォンスは「こっちも凄かったぞ」と力なくうなだれた。
お互いの悪行を非難しあい、揃ってカタリナをこき下ろしては、また仲間割れ。
罪の告白に慣れている神官でもドン引きするような聞き取りが、3時間以上も続いたのだ。
その後は、お互いわかったことを共有するための会議。
学院長など学院幹部も同席し、明日午後にもカタリナの処分を審議することとなった。
「それにしても、師匠があれだけあからさまに嫌がらせを受けていたとは。
師匠こそ嫌がらせを受けやすい立場だとわかっていたのに、全然気が付きませんでした。
不明を恥じるばかりです」
ノアルスイユが潮垂れる。
「いや、それは私も同じだ。
ジュリエットの様子は気をつけて見ているつもりだったんだが……」
アルフォンスがノアルスイユのせいではないと軽く手を横に振り、サン・フォンも頷く。
ジュリエットには気の毒なことをしたが、結局、カタリナが気に入らない人物を脅しつけていたり、学院や社交界から排除していたことが正式な証言として取れて、三人はほっとしていた。
対象は、アルフォンスと絡んだ令嬢だけでなく、カタリナが受けている授業で教師に褒められた者など、多岐に及んでいた。
誰かに話せば家ごと潰すと脅していたようで、それで被害がなかなか表に出なかったのだ。
「サン・フォン。
君の婚約はどうするんだ?」
アルフォンスは気になっていたことを問うた。
素直に自爆してしまった失神令嬢とサン・フォンの婚約者が、少々気の毒な気もしないでもなかったのだ。
失神令嬢とサン・フォンの婚約者がジュリエットと口をきかないように周囲の令嬢に働きかけていたのは確かだが、同時期、カタリナの取り巻きも同じようなことをしていた。
取り巻き令嬢の一人が、ジュリエットの同室者に、ジュリエットと口をきくなと命令していたこともわかっている。
失神令嬢やサン・フォンの婚約者と親しい令嬢数名については彼女たちに責任があるが、それ以外の責任はない。
「そうですねぇ……
落ち着いたところで師匠と話をしてもらって、その反応次第ですかね。
師匠が話したくないといえば、それまでですが」
「なるほど」
今日の様子だと、ジュリエットは彼女となら話くらいはしてくれそうではある。
そこで婚約者がやらかさなければ、婚約継続ということで収まるかもしれない。
「あ、うちは無理です。
あの女、勝手に人の本を捨てるタイプですよ絶対」
聞かれてもいないのに、ノアルスイユが断言した。
ノアルスイユの父は、最初の妻をたった1年で離縁している。
理由は「勝手に本を捨てたから」。
大貴族の間では離縁そのものがかなり珍しく、妻の実家も相当抵抗したのだが、ありとあらゆる手段を使って本好き侯爵は縁を切った。
ノアルスイユの母は二度目の妻で、ガチで本好きの女性をわざわざ探して娶ったのだ。
その話は婚約者も知っていたはずなのだが。
ま、ノアルスイユのところは仕方あるまいと、アルフォンスとサン・フォンは頷いた。
「とりあえずは……
明日の段取りも考えつつ、早めに寝るのが良いかな」
どうにかサンドイッチを茶で流し込んだアルフォンスは、深々と吐息をつきながら呟いた。
なにはともあれ、カタリナの取り巻き令嬢達の証言は取れた。
ノアルスイユの働きで、ジュリエットの寮の舎監も、取り巻き令嬢の一人に、ジュリエットが寮で暮らせないようにしろと、サン・ラザールの家名をちらつかせながら強要されたのだと証言した。
バケツの水をベッドにぶちまけたのは、寮監本人。
机に嫌がらせの言葉を刻み込んだのは、取り巻き令嬢の下っ端。
その折、ジュリエットの部屋から出ようとした取り巻き令嬢に別の寮生が出くわし、脅して口止めをしていたことも、サン・フォンが担当した聞き取りから明らかになった。
そして過去の悪行もかなり第三者の証言が取れ、全貌が見え始めている。
やれやれ、である。
「明日こそ決着をつけて、すっきりするぞおおおお……!」
「「おー……!」」
いまいち上がりきらない気勢を上げると、「私は少し、散歩してから寝る」とアルフォンスは談話室を出た。
アルフォンスの「散歩」は、毎夜の習慣だ。
雨だろうが嵐だろうが雪だろううが、ちょっとあたりを一回りして、カタリナの部屋から見えない角度から、ジュスティーヌが眠る部屋をしばし見上げて、帰る。
それだけのことだ。
アルフォンスの気持ちは、長い間、ジュスティーヌにある。
子供の頃は、よく王宮や離宮で一緒に遊んだ。
幼い頃から感情をあまり表に出さないジュスティーヌであったが、その心根の美しさをアルフォンスは良く知っている。
だが、そろそろ婚約者選びとなった頃──
ジュスティーヌの父、シャラントン公爵は、アルフォンスがジュスティーヌに近づけばサン・ラザール公爵家が本気でジュスティーヌを攻撃する可能性が高くなることを示唆し、婚約だのなんだのという話は受け付けられないと婉曲に断った。
逆に言えば、カタリナとサン・ラザール公爵家の増長を片付けられないのであれば、ジュスティーヌを嫁がせるつもりはないということだ。
だから、アルフォンスは学院内でもめったにジュスティーヌに話しかけられない。
たまに眼が合った時に軽く頷き合う程度。
あとは母の慈善活動に一緒に同行して、母や姉妹の生温かい監視のもと、わずかなりとも言葉を交わしたり、夜会でカタリナや他の令嬢達を「接待」した後に、目立たないタイミングでこそっと一曲だけジュスティーヌの手を取るくらい。
そんな我慢の日々も、明日、カタリナの断罪が成功すれば終わる。
シャラントン公爵に堂々と婚約を申し入れ、ジュスティーヌにプロポーズするのだ。
公爵は、いまだにジュスティーヌの婚約に向けて動いてはいない。
自分がジュスティーヌに値する男であることを証明する日を待ってくれているのだ。
きっと婚約は通る。
婚約すれば、夜会で、何曲でも好きなだけジュスティーヌと踊ることができる。
ジュスティーヌの美しさを引き立たせるような装身具やドレスを一緒に選んで贈ることだってできる。
そして晴れて結婚だ。
ジュスティーヌはどんな花嫁衣装が似合うだろうか。
優美な身体の線を見せる細身のドレスでも、思いっきり膨らませたドレスでも似合いそうではある。
ジュスティーヌの高貴さに見合った、長い長いヴェールは必須だが。
最新流行のドレス、スタンダードな儀典用のドレス、総レースの豪奢なドレス、色々色々妄想したあげく、アルフォンスは一つの結論に達した。
ぶっちゃけ、ドレスはなんでもいい。
中身がジュスティーヌであれば。
そしてそして、結婚式が終われば新婚生活だ。
この国の場合、王族が結婚すると、少なくとも1ヶ月はゆっくり離宮で過ごすことになっている。
新婚向けの風光明媚な離宮といえば、高原にある「緑の宮」、湖畔にある「鏡の宮」、海辺にある「潮騒の宮」だが、一度切りしかない新婚生活、どれがベストだろう。
爽やかな夏の風が吹く高原で、咲き乱れる花を眺めながら、ジュスティーヌと二人乗りで乗馬をするのも良さそうだ。
もちろん、ジュスティーヌは自分の前に座らせ、抱き込みながら走る。
あ? 後ろから抱きついてもらうのも良いかもしれない。
いやでもやっぱり後ろから抱き込みたい。
特に秋の紅葉が美しい、穏やかな湖でボートに乗って二人きりの時間を愉しむのも捨てがたい。
だが、護衛から自分たちの様子が丸見えになってしまうか。
それは都合が悪い。
普通に木立を散歩するか?
それなら乗馬の方が良いな……
砂浜で手をつないで散歩し、美しい貝を拾ったりするのも良い。
最近、女性も健康増進のため、海水浴をすることがあるが、ジュスティーヌは水着を着てくれるだろうか。
着てくれるのなら、圧倒的に海だ。
だが護衛の目にジュスティーヌの水着姿を晒すのはいただけない。
その時だけでも、護衛を女性騎士だけで揃えるか?
いずれにしても、どこで過ごしても、ジュスティーヌはきっと、あの美しい紫の瞳で自分を愛しげに見つめてくれる。
誰はばかることなく、共に笑い、抱き合い、接吻をし、そして──