5.ヴァランタン・サン・フォン卿(3)
※本日更新分、3/3回目です。
「ところで、なぜ俺にこの話を?」
「殿下に、この標本をお見せしたい。
殿下への私の『忠誠』を知っていただきたいのだ」
「はぁ……」
勢い込んで言う校医に、サン・フォンは意味を掴みかねているような声を返した。
アルフォンスに便宜を図らせたいとか、そういうことのようだが。
「なぜ、ノアルスイユではなく私に?」
アルフォンスに「忠誠」を伝えたいのなら、将来の侍従と目されているノアルスイユに持ち込むべきだろう。
自分は、卒業後は騎士団に入ってアルフォンスから離れる。
どうしてこっちに声をかけてきたのか、サン・フォンにはよくわからなかった。
「ノアルスイユ卿は、少々……四角四面なところがあるように見える。
貴殿はもっと実際的だ」
「あー……
そういうことですか」
ようやく理解したサン・フォンは、頷いてみせた。
校医は、アルフォンスがカタリナを殺したと思っているのだ。
ひょっとしたら、勝手にカタリナの遺体を精査して、彼女が「乙女」ではなかったことに気づいたのかもしれない。
先日の調査の結果は校医まで共有されていないから、相手はアルフォンスだろうと推測するのが自然だ。
婚姻の日までは「乙女」であるはずの令嬢が「事故死」し、調べてみたら「乙女」ではなかった。
まず疑うべきは、貞操を捧げさせたか奪ったか、とにかく彼女を乙女でない状態にした者だろう、というのはわからないこともない。
学園内では、カタリナは最有力の王太子妃候補と見られていた。
カタリナの相手はアルフォンスだと、ある意味素直に校医は推測したのだろう。
将来の国王であるアルフォンスの最大の弱みを握ったと、校医は考えている。
だが、アルフォンスの健康管理は王宮の侍医団が行っているので、校医からアルフォンスに接触するのは難しい。
アルフォンスに内密に連絡するなら、ノアルスイユか自分に声をかけて仲介させるのが順当なところだが、もし仲介者がアルフォンスが殺人者だと知らなかった場合、馬鹿正直にアルフォンスを告発する方向に動く可能性もある。
いかにも生真面目に見えるノアルスイユでは危ないと、校医は回避したのだろう。
実際には、アルフォンスがカタリナを殺したと思い込んだノアルスイユは、とにかく犯行を誤魔化そうと奔走したのだから、彼の遵法精神を過大評価していると言うべきか、アルフォンスとの絆を見くびっていると言うべきか悩ましいところだが。
いずれにしても、この標本を見せられたのが自分でよかった、とサン・フォンは思った。
ノアルスイユもこれを見たら、必ずジュスティーヌがカタリナを殺害したのだと気づいたはずだ。
確かに「四角四面」なところがある彼ならば、ジュスティーヌを告発しただろう。
法に従って考えるなら、ジュスティーヌの行為は、正当防衛はおろか過剰防衛にもあたらない、議論の余地のない殺人だ。
アルフォンスがどれだけジュスティーヌを愛していようと、国母とするわけにはいかない。
そういう考え方にも理があることはわかる。
だが、サン・フォンは、ジュスティーヌを告発する気にはなれなかった。
戦場に出たことこそまだないが、サン・フォンの精神は武人のものである。
サン・フォンの感覚では、今回の件は、カタリナがジュスティーヌにいきなり夜討ちをかけたようなものだ。
カタリナが狙い通りにシャラントンの宝刀でジュリエットを殺し、ジュスティーヌに巧く罪をかぶせていたら、ジュスティーヌは毒杯を賜ることになっただろう。
カタリナは罪のないジュリエットを殺し、それを以って、ジュスティーヌを殺そうとした。
しかもこれは単なる恋の鞘当てではなく、王太子妃争い、ひいては公爵家同士の権力争いも絡んでいる。
返り討ちにしてなにが悪い。
それに、おそらくアルフォンスはジュスティーヌがカタリナを殺したことを知っている。
知っていて妃に迎えるつもりだ。
ノアルスイユが、カタリナの絵をでっち上げている間、アルフォンスとジュスティーヌは2人で話していた。
感情の波をめったに見せないジュスティーヌが、涙を溢れさせていた。
2人の会話は聴こえなかったが、一瞬だけ見えたアルフォンスの唇が「いっしょに・せおう・から」と言っているように読めた。
状況が不透明な中、ジュスティーヌは自分が殺したと明言できず、咄嗟にぼかしてしまった。
アルフォンスと2人だけだったら、そのまま告げていただろうと思う。
だが、ノアルスイユと自分、ジュリエットもいた。
家の名誉を守らなければならないという、ほとんど本能に近い衝動もあっただろう。
しかし、ジュスティーヌが殺したのではないと思い込んであれだけ喜んでくれたアルフォンスに、自身が殺人者であることを隠し続けるのは辛すぎる。
だから、ジュスティーヌは時が経てば経つほど口にできなくなる罪をあの場で告白し、それにアルフォンスが返した言葉が「『一緒に背負うから』共に歩んでくれ」とかそういうものだったのではないか。
そもそも、カタリナの遺体を発見した時、ジュスティーヌが殺したと思ったアルフォンスは、ジュスティーヌでは実現不可能な状況に変えてしまおうと、彼女には手の届かない高さの枝を折り、それでカタリナの遺体を刺している。
たとえ殺人者であっても、ジュスティーヌを守りたい。
それが、アルフォンスの意志だ。
ならば、自分はアルフォンスの意志に沿おう。
ジュスティーヌがカタリナを殺した決定的な証拠であるこの標本は、闇に葬るしかない。
覚悟を決めたサン・フォンは、校医に問うた。
「……なにか、殿下に願いたいことがあるのですか?」
「本来、私は王立中央病院の医局にいるべきなんだ。
それが、同僚の奸計でここに追い出されて……」
「なるほど」
この校医、わかりやすいタイプのようだ。
これならアルフォンスや「とある部署」にお伺いを立てるまでもない。
今後の段取りを脳裏に描く。
できるだけすみやかに、そしてできるだけ学院の騒動から切り離してこの件を「処理」するにはどうすればいいか──
「そういうことなら、殿下とお話する機会を作ります。
殿下は、先生の希望を叶えてくださるでしょう。
ですが、ノアルスイユに気づかれるとまずいので、外の方がいいですね。
今夜8時に、学院の北門から出てちょっと行ったところにあるソア橋の西のたもとでどうでしょう?
確認のため、そのまま数日、保護させていただく必要があるかもしれない。
その支度もしておいてください」
サン・フォンは、さも我々は仲間だと言わんばかりに、声を潜めて告げた。
翌朝、校医は退職願を保健室の机の上に残して学院から消えていた。
部屋から身の回りのものもなくなっていたので、どうやら出奔したらしい。
三日後には新しい校医が着任し、職場への不平不満ばかり口にしていた前の校医のことはすぐに忘れ去られた。
一年後、アルフォンスとジュスティーヌの婚約が発表され、二人は無事結婚した。
前後して、サン・フォンは予定通りレティシアと、ノアルスイユは遠縁にあたる本好きの令嬢と、ジュリエットは「黒王号友達」の一人だった伯爵家の次男と結婚した。
数年後、鉱山経営の不正を厳しく追及されたサン・ラザール公爵は、破れかぶれでクーデターを起こしたものの、わずか数時間で鎮圧された。
混乱のさなか、公爵は流れ矢にあたって亡くなった。
サン・ラザール公爵家は取り潰しとなり、生き残った一族も多くは刑死した。
その際、同家の富の源泉だった鉱山は国有化されている。
やがて学院は、貴族の子女だけでなく、優秀な平民の生徒も受け入れるようになった。
平民の受け入れに合わせて新たな寮が建てられ、「桜の館」はマナー講習を行う場として使われている。
例の水盤は、維持に手間がかかりすぎると取り壊された。
カタリナの事件が起きた頃からすると、学院もだいぶ様変わりした。
だが、桜の花の盛りの頃、白い寝間着を着て、血まみれの短刀をぶら下げた金髪の女の幽霊が桜並木に出るという噂が、「学院七不思議」の六番目「桜の悪役令嬢」として生徒の間で語り継がれている。
今は墓のありかもわからなくなった公爵令嬢カタリナが生きた名残は、この不正確な怪談にしか残っていない。
サン・フォン
「ブクマ&評価ありがとうございました!
というわけで、校医をさくっと始末し、ひょっとしたら公爵もぷすっとやってるかもしれない俺ですが……
『いやいやいや、なんも考えてなさそうな脳筋枠が実は犯人だった!とかありげじゃね?』と思っていた方は、そっといいねをお願いします!」
これにて本編は完結です!
ご覧いただき、ありがとうございました!
次の「いいね」による投票結果もぜひ御覧ください。