5.ヴァランタン・サン・フォン卿(2)
そして休校明け──
続々と戻ってきた生徒達は、まず講堂に集められた。
事後処理のせいで明らかにやつれている学院長が、今回の処分について詳細を生徒たちに説明し、再発防止のため匿名通報制度を設けることも告知した。
そしてついでのように、カタリナ・サン・ラザール公爵令嬢が事故で亡くなったことも告げ、黙祷を呼びかけた。
既に、王都中に色んな噂が飛び交っている。
生徒達は学院長の立場を察しつつも、皆、黙祷した。
初日こそぎこちなさが残ったが、2日目、3日目と時間が経つうち、だんだんと生徒たちに明るさが戻ってきた。
ジュリエットも楽しく過ごしているようで、黒王号もご機嫌だ。
やや憔悴の翳が残るジュスティーヌは、相変わらず控えめに振る舞っている。
アルフォンスはジュスティーヌをさりげなく気遣いながら、学院長らと連携して慎重に生徒達の様子を見守っている。
色々と訝しい点は残っているが、これでなんとか収まりそうだと思っていたサン・フォンは、ある日の午後、校医から呼び出しを受けた。
騒動の前に受けた健康診断でなにかあったのだろうかと、本館の隅にある保健室に赴く。
「ようこそおいでくださいました」
30歳手前と見える校医は、妙にうやうやしくサン・フォンを迎えた。
明らかに生徒に対する態度ではない。
校医はサン・フォンに椅子を勧めると、部屋の内鍵をかけた。
人払いをしたのか、常駐しているはずの看護婦も見当たらない。
嫌な予感がした。
「お目にかけたいものがありまして」
校医は、棚から標本瓶を取り出して、サン・フォンの目の前に置いた。
高さは30cmほど。
中は透明な液体で満たされ、白っぽい、ぴろぴろしたよくわからない形の細長いものが浸かっている。
幅は2cm足らず、長さは十数cmほどか。
「レディ・カタリナの傷口に包帯スライムをあてがい、同化する前に引きずり出してホルマリンで固定したものです」
「……は? 彼女は亡くなっていたのに、包帯スライムを使ったんですか」
あの朝、サン・フォンが呼んできた学院長は、カタリナの遺体をこのままにしておくことはできないと言った。
だが、アルフォンスが「桜の館」にカタリナを入れるのを嫌がったので、結局、担架に載せて覆いをかけ、本館の小会議室に運んで安置したのだ。
その時、一応、この校医が死亡を確認している。
アルフォンスが別室で公爵夫妻に対応している間、廊下には見張りを置いていたが、部屋の中には見張りを置いていなかった。
校医はなにか巧いことを言って入り込み、小細工したのだろう。
「傷の型取りに便利ですから。
学院長からは『事故死』と聞いていましたが、後々問題になることもありえると思いまして」
この野郎、余計なことを、とサン・フォンは内心歯噛みした。
包帯スライムというのは名の通り、それなりに大きな傷を仮に塞ぐために使われる、そこそこ貴重な魔物である。
狭い湿ったところを好む小型のスライムで、傷口に押し当てると中にぴったりと入り込み、数日後には肉に同化してしまう。
同化しても特に後遺症もないので、大きな怪我をした時は、まず包帯スライムで傷を埋め、必要ならそのまま縫えば早く治るので、騎士団でも重宝しているものだ。
校医は、包帯スライムにカタリナの傷を埋めさせ、スライムが傷の形に変形した頃合いで引きずり出し、傷の型をとったということのようだ。
「ご覧の通り、レディ・カタリナは複数回刺されています。
いずれも傷の始点はほぼ同じですが、傷の終点は4つに分かれている」
校医は、得々と標本をペンの尻で指した。
傷の始点のあたりに、見覚えのある、少しくすんだピンクの絵の具がついている。
ノアルスイユがでっちあげた絵は、「桜の館」の部屋にあったカタリナの私物と一緒にサン・ラザール公爵家に送られたから、この校医が眼にする機会はなかったはずだ。
本物の傷跡からとった型ということだ。
「まず、ここに幅の狭いナイフによる比較的浅い傷。
角度や位置からして、刃が肋骨に軽く食い込んで途中で止まったんでしょう。
それから少し角度を変えて、同じナイフによる深い傷。
これは心臓に達する深さです」
サン・フォンはじっと標本を見つめた。
確かに説明の通りのようだ。
アルフォンスは油絵の具がついたペインティングナイフを傷口に差し込みはしたが、傷口に絵の具をつけるためにしたことだ。
新たな傷をつけたわけではない。
カタリナは、シャラントンの宝刀で二度刺されたと見るべきだろう。
「だがこのあたりがよくわからない。
深い傷から枝分かれした、ナイフの刃の厚みよりも太い、断面がほぼ円形になっている傷が2つある。
細い、先がそれほど尖っていない棒のようなもので、ナイフの傷の上から2度、突かれているように見えます」
「なるほど。ためらい傷というにはおかしいということですね?」
「はい。ペインティングナイフで胸を刺し、上手く刺せずにもう一度刺した。
それだけならまだわかりますが、ナイフで刺して一旦抜き、2度棒で刺して、もう一度ナイフで刺したというのは、少々……
発見時は、ナイフが刺さっていたんですよね?」
校医は厭な感じに笑った。
「と、聞いています」
サン・フォンは、適当に言葉だけ合わせながら、思考を全力で巡らせる。
浅い傷は致命傷ではない。
もし、致命傷となった深い傷が先であれば、カタリナはそこで死んでいる。
わざわざ浅く刺し直す必要はない。
浅い傷が先、そして深い傷が後と考えると──
カタリナは宝刀でジュリエットを襲おうとして転び、自分を刺してしまった。
だが彼女はそこでは死ななかった。
おそらく、転んで刃が刺さった衝撃で失神していたのだろう。
その直後、騒動に気づいてやって来たジュスティーヌがカタリナの息がまだあることに気がついて──宝刀で刺し直し、殺してしまったのではないか。
事故に居合わせてしまったジュリエットと、宝刀を持ち去ったジュスティーヌ以外、宝刀でカタリナを刺す機会がある者はいない。
そして、ジュリエットにはカタリナをわざわざ殺す動機はないが、ジュスティーヌにはいくつも考えられる。
慎重に扱わねばならない家宝の宝刀を盗み出し、無辜のジュリエットを殺してまで、自分を追い落とそうとしたカタリナが許せなかった。
そんなことをする女が次の王妃の座に就いたら、国が危ういと考えた。
そこまでして周囲の者を支配したがるカタリナが妻の座に就いたら、アルフォンスがボロボロにされてしまうと危惧した。
単純に、恋敵を葬り去りたかった。
常に超然と振る舞うジュスティーヌがカタリナを相手にしなかったので公の場で諍いが目立ったことはなかったが、ジュスティーヌとカタリナの間には相当な暗闘があったはず。
理由は他にもいくらでもありそうだ。
ジュスティーヌと親しかった令嬢にカタリナが悪巧みを仕掛け、えげつないやり方で社交界から追い出したこともあると、取り巻き令嬢の古株は証言していた。
そうかそういうことだったのかと、サン・フォンは腑に落ちた。
足場の悪いところで刃を振り回していて転び、自分を傷つけるというのは事故としてありえる。
だが、それであっさりカタリナが亡くなったというのが、綺麗すぎて落ち着かなかったのだ。
もっと言うと、あのタイミングでカタリナが死んだのは、都合が良すぎた。
公爵令嬢カタリナは非常に狡猾だった。
何年も前から、カタリナ周辺の挙動が怪しいことはわかっていたのに、なかなか手が出せなかったほどだ。
仮に、怪我だけで済んでいれば、カタリナはジュスティーヌに襲われたと言い張って、事態はめちゃくちゃに紛糾しただろう。
あの夜、「桜の館」西翼の護衛に睡眠薬を盛られていたのは確かだが、どうやって盛ったのかはよくわからないままになっている。
カタリナが生きていれば、彼女の証言によって、ジュスティーヌが盛ったとしか思えない証拠が出てきたのではないか。
もし、あの夜死ななければ、カタリナはアルフォンスの断罪に全力で逆襲したはずだ。
自分が王太子妃になれなくても、ジュスティーヌがその座に就くことはなんとしても阻止しただろうし、なんなら自分のものにできないアルフォンスの廃嫡に動いたかもしれない。
だから、ノアルスイユにカタリナの死体を見せられた時、てっきりアルフォンスが殺したのだと、サン・フォンも思い込んだのだ。
「……卿も発見者ではないのですか?」
「いや。俺は水盤から引き上げるのを手伝っただけなので」
「そうですか」
校医は、サン・フォンの顔色をじっと伺っている。
こいつ、なんのつもりだ。




